
ヨーロッパへ渡った人類は、どのルートを通ってきたのか?長年にわたり、バルカン半島や中東を通るルートが定説とされてきた。
だが今回、トルコ西部、アイワルク沖の海岸で、138点の旧石器時代の石器が発掘されたことで新たな手掛かりが見つかった。
ここは数万年前の氷期、海面が大きく下がったことで一時的に陸橋となり、人類の通り道となっていた可能性があるという。
当時のネアンデルタール人やホモ・サピエンスが実際にそこを行き来していたとすれば、ヨーロッパへの人類移動の歴史を書き換える可能性がある。
この研究成果は『Island and Coastal Archaeolog[https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/15564894.2025.2542777#abstract]y』誌(2025年9月17日付)に発表された。
沈んだ海底から現れた「失われた陸橋」の痕跡
ハジェテペ大学、アンカラ大学、デュズジェ大学に所属するトルコの研究者チームは、トルコ西部の町、アイワルクの沖合に広がるエーゲ海の海底で、138点の旧石器時代の石器を発見した。
発見された石器の中には、「ムスティエ文化」と呼ばれる中期旧石器時代の特徴をもつものも含まれていた。
ムスティエ文化とは、主にネアンデルタール人に関連づけられるヨーロッパの石器文化で、約30万年前から4万年前にかけて見られたものだ。名称はフランス南西部の遺跡「ル・ムスティエ」に由来する。
この文化の代表的な技術として、ルヴァロワ技術と呼ばれる加工法がある。
ルヴァロワ技術は、石の表面をあらかじめ整えたうえで、意図的な形の剥片を一枚ずつはがし取っていく石器製作法で、道具づくりの高度な計画性を示す技術として知られている。
数万年前、アイワルクの海は“陸”だった
更新世(約11万5000~1万1700年前)にあたる氷期、地球の海面は現在よりも100 m以上低かった。氷河に大量の水が閉じ込められていたことで、現在は海の下に沈んでいる場所が、当時は陸地として姿を現していた。
今回、石器が見つかったアイワルク周辺も例外ではない。
かつてはアナトリア(現在のトルコ)から東南ヨーロッパへと続く自然の陸橋が存在していたと考えられており、現在アイワルクに点在する島々や半島は、当時はひとつながりの内陸地だった可能性があるという。
人類はこの陸橋を通ってヨーロッパに移動した可能性
これまで人類がアフリカからヨーロッパに移動した際は、バルカン半島や中東のレバント地方(現在のシリアやイスラエル周辺)を経由したというのが通説だった。
だが、今回の発見はその仮説に新たな視点を投げかけている。
研究チームは、アイワルクの海岸線沿いに広がる200 km²の範囲にわたり、石器が点在していたことを確認した。
それはこの地域が単なる通過点ではなく、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスが行き来し、活動していた拠点のひとつだった可能性があるということだ。
調査に参加したハジェテペ大学のカラハン博士は、「これまで旧石器時代の痕跡が知られていなかったこの場所で、まさか最初の石器を手にするとは思いませんでした。私たちの手に握られていたのは、数万年前の人類の足跡そのものでした」と語っている。
ヨーロッパへの人類移動の歴史が書き換わる?
今回の研究はあくまで表面調査によるもので、地層の発掘や年代測定はこれから行われる予定だという。
研究チームは今後、地質学・気候学・考古学の複数分野を組み合わせ、より精密な年代特定と環境復元を進めていく方針だ。
もしかすると、アイワルク沖の“幻の陸橋”は、私たちの祖先がユーラシア大陸を横断する中で見落としてきた、重要な道だったのかもしれない。
数万年の時を超えてようやく発見されたその痕跡が、人類の起源と移動の物語に新たな章を加えようとしている。
References: Sciencedaily[https://www.sciencedaily.com/releases/2025/10/251011105529.htm] / Taylorandfrancisgroup.com[https://newsroom.taylorandfrancisgroup.com/early-humans-may-have-walked-from-turkiye-to-mainland-europe-new-groundbreaking-research-suggests/]