スコットランド王国の「運命の石」は、9世紀から歴代スコットランド王の戴冠式で玉座の下に据えられてきた。
この石の上で戴冠した者こそがスコットランド王国を治める正当な王と認められるという古い伝承から「運命の石」と呼ばれるようになった。
ところが1296年、イングランド王エドワード1世がこの石を戦利品として奪い、以後イギリス王の戴冠式で使用されるようになった。
征服者の椅子に組み込まれたこの石は、長くスコットランドの人々にとって屈辱の象徴となった。
1950年、王国の誇りを取り戻そうとしたスコットランドの学生たちの行動で石は割れ、多くの破片が生まれた。
そして現代、スターリング大学の研究者は、各地に散った破片を探し出し、その背後にある人々の思いを蘇らせた。
この研究成果は『The Antiquaries Journal[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquaries-journal/article/life-in-pieces-lessons-in-the-value-of-fragments-from-the-secret-lives-of-the-stone-of-sconedestiny/18B44DDBE1332FBC4613298A5A6C9D05]』(2025年11月7日付)に掲載された。
スコットランド王国の誇り「運命の石」
西暦843年ごろ、スコットランド王国が建国された時代から、「運命の石」は特別な意味を持っていた。
スコットランド王の戴冠式で必ず玉座の下に据えられ、石の上で戴冠した者こそが正統な王と認められたからだ。
王国の独立と連綿と続く王権の象徴として、この石は何世代にもわたって受け継がれてきた。
だが1296年。イングランド王エドワード1世がスコットランドを征服した際、彼はこの運命の石をロンドンへ持ち去った。
石はロンドンのウェストミンスター寺院に運ばれ、イングランド王の戴冠式専用に造られた「戴冠の椅子」の座面下に組み込まれることになる。
以後、イギリス王の戴冠式のたびに使われ、スコットランド人にとって石は、屈辱の象徴にもなった。自分たちの王国の運命を決めてきた石が、征服者の王の椅子の一部となったからだ。
大学生たちによる奪還事件
時は流れて1950年12月25日。まだ夜明け前のロンドン。スコットランド出身の大学生4人は、ウェストミンスター寺院に忍び込んだ。
彼らの目指したのは、王国の誇りを取り戻すための「運命の石」奪還だった。
だが、長い歴史を刻んできた石は、運び出す途中で重みに耐えかね、古い亀裂に沿って真っ二つに割れてしまう。
計画は大きく狂った。それでも学生たちは割れた石をそれぞれの車に積み込み、追跡の目をかいくぐってロンドンを脱出した。
イギリス政府は国境を閉鎖し大規模な捜索を開始した。
スコットランドとイングランドの境が閉ざされたのは400年ぶりの出来事だった。数日後、学生たちはスコットランドの都市グラスゴーで合流し、石の修復するための手筈を整えた。
修復と、信頼する人々に託された小さな破片
石の修復を託されたのは、彫刻家で政治家のロバート・グレイ氏だった。応急的な修復作業の過程で、石からは34個もの小さな破片が生まれた。
グレイ氏はこれらに番号を付け、信頼する家族や友人、政治家、記者、さらには海外からの観光客にまで、証明書を添えて贈った。
修復された石は1951年4月、スコットランド東岸のアーブロース修道院に安置された。
ところが翌朝、牧師の通報を受けてスコットランド警察が回収し、石は再びイギリス当局に引き渡されてロンドンへ戻っていった。
学生たちは逮捕されたが、政治的な影響を考慮した政府の判断で起訴されなかった。
グレイ氏が託した破片は、受け取った人々によって長年大切に保管されてきた。
銀のブローチやロケットとして形を変えたり、マッチ箱に包んで金庫に入れたり、あるいは持ち主の死後、墓に納められた例もある。
受け取った者の多くが「盗品」と見なされることを恐れ、破片をひそかに守り続けてきた。
失われた破片を追う現代の研究者
事件から70年以上が経ち、石の破片の多くは行方が分からなくなっていたが、 スコットランド・スターリング大学のサリー・フォスター教授は、運命の石の破片の行方を丹念に調査した。
新聞や公文書、博物館の記録をたどり、破片を受け継いだ家族や関係者への聞き取りを重ねる中で、新たな事実が明らかになった。
たとえば、スコットランド国民党(SNP)の著名な政治家であるマーゴ・マクドナルド氏やウィニー・ユーイング氏、さらに元SNP党首でスコットランド自治政府の初代首相を務めたアレックス・サーモンド氏のもとにも、運命の石の破片が託された。
サーモンド氏に寄贈された破片はSNP本部に展示されたこともあり、またユーイング氏は自身のロケットに破片を収めてテレビ出演時に身につけていた。
これらの破片は、それぞれ証明書とともに大切に保管され、政治的なシンボルとしても受け継がれてきた。
海外にも破片は渡っている。オーストラリアの観光客がグレイ氏から受け取った破片は、後に家族によってクイーンズランド博物館へ寄贈された。
カナダの新聞編集者ディック・サンバーン氏は、自分の机の裏に破片を飾っていた。
また、4つの破片が英国地質調査所(BGS)で標本として保存され、そのうちの一つは現在、ロンドンのバッキンガム宮殿のダイヤモンド・ステート・コーチにも取り付けられている。
ダイヤモンド・ジュビリー・ステート・コーチは、イギリス王室の公式行事や式典で用いられる豪華な馬車のことだ。
さらに、破片を銀のブローチやロケットとして身につけたり、マッチ箱に入れて金庫で保管し、やがて持ち主とともに埋葬されたケースもある。
多くの破片は「盗品」と見なされることを恐れ、公にされることなく家族や関係者のもとで密かに受け継がれてきた。
さらに、運命の石の裏面にはローマ数字「XXXV(35)」が刻まれていたことも明らかになった。
この数字は34個の破片と石本体を合わせた合計であり、修復を担当したロバート・グレイ氏が最後に自ら刻み込んだものだことがわかった。
フォスター教授の研究を通じて、こうした破片の“第二の人生”と、そこに込められた人々の思いが現代に蘇ったのだ。
再びスコットランドに戻ってきた運命の石
1996年、運命の石はついにスコットランドへ返還され、エディンバラ城、そして2024年からはパース博物館に恒久展示されている。
来館者は修復の跡を目の当たりにし、数百年の物語に思いを馳せた。
フォスター教授は「石の破片の物語を知ることで、スコットランドとイギリスの関係や、家族・社会に受け継がれる記憶の重みを改めて考えさせられる」と語る。
「運命の石」の破片は、今もなお多くのスコットランドの人々の心に生き続けている。
スコットランドを訪れる予定がある人は、運命の石を見に行ってみてはどうだろう。
References: Cambridge[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquaries-journal/article/life-in-pieces-lessons-in-the-value-of-fragments-from-the-secret-lives-of-the-stone-of-sconedestiny/18B44DDBE1332FBC4613298A5A6C9D05] / Stir.ac.uk[https://www.stir.ac.uk/news/2025/november-2025-news/new-stone-of-destiny-fragments-uncovered-by-stirling-researcher/]











