愛する人が不治の病にかかり、余命いくばくもないとしたら…。あなたはその事実を受け入れることができるだろうか。
それとも、たとえAIがコピーしたバーチャルな姿になっても、ずっと自分のそばにいてほしいと思うだろうか。
デンマークで亡くなった男性が、自らの存在をAIに学習させ、死後も「家族と対話できるデジタルAIクローン」としてこの世に留まった。
AIの進化が止まらない昨今。現実と仮想の境界が揺らぐ中で、残された家族はそのアバターとどう向き合うことになるのだろうか。
妻の望みで自分のデジタルクローンを作ることに
2023年12月。デンマーク人のステファン・マルティヌセンさんは、脳腫瘍でこの世を去った。 あとに残されたのは、妻のカトリーンさんと、ステファンさんの連れ子の10代の息子。だが、そこには「もう1人」、ステファンさんが残した存在があった。
ステファンさんが末期の脳腫瘍と診断された時、夫妻は絶望の底に落とされた。「彼のいない人生など想像できない」カトリーンさんは、いつか夫がいなくなった後も、彼に何らかの形でそばにいてほしいと切望するようになった。
それから夫妻は、ステファンさんを「この世に残す」方法を模索し始めた。そして最終的に、2人はステファンさんの「デジタル版」を作るという、特別なプロジェクトに取り組む決心をした。
このプロジェクトを開始したのは、2023年初めのことだった。
さらにステファンさん自身も、自分の声や表情のデータを残し、家族との会話を録音した。また、カメラの前で妻や息子の質問に答え、将来に向けたメッセージを録音し、自分の考えや感情、態度や記憶についても語った。
そうして、自分の死後も生き続ける、自身の「クローン」となるべきアバターの制作に精力的に取り組んだのだ。
テレビ局がそのプロジェクトを克明に記録
そんな中、デンマークのテレビ局が彼らのプロジェクトに興味を持ち、取材を始めた。ディレクターのマグナス・バーデレーベン氏は、ステファンの闘病生活や、残された時間を共に過ごそうとする夫妻の様子を、リアルタイムで記録し始めた。
ステファンがそこにいる一方で、彼らはステファンの「デジタルクローンとしての永遠の命」について語り合っている。それが非常に人間的なんです
撮影された映像がSFのように感じられる理由は、ステファンさんのAIバージョンを開発する人々が歩むみちのりの一歩一歩が、すべて「未知の領域」だからだ
だが、残された時間が少なくなるにつれ、プロジェクトは大きな挫折に直面した。ステファンさんのアバターは、カトリーンさんがが知る「夫」であり「父親」である彼とはどうしても一致しなかったのだ。
AI企業の助けで「学習」を続けたものの…
行き詰まった夫妻は、デンマークのAI企業「Fraia(フライア)」に助けを求めた。同社の共同創業者でCEOのアンデルス・ハスレ・ニールセン氏は、そのときの状況をこう振り返る。
私がかかわり始めたのは、本当に最後の段階でした。ステファンに会ったのは最初の1回だけで、その時彼はもう車椅子に乗っていました。電話でも2度話しましたが、体調は限界に近く、会話を続けられなかったんです
ニールセン氏は、これまで7年以上にわたってAIモデルの構築に携わってきた。
私たちが最初にやったことは、可能な限り大量のデータをAIに流し込むことでした。そこから何か素晴らしいものが出て来るだろうと期待したんです。
しかしすぐに、どれだけ情報を追加していっても、「人格そのもの」は作れないということに気づいたんです
AIの「ステファン」と会話を成立させるために、夫妻は6万6000件ものメッセージやメールを読み込ませた。しかしその結果は散々だった。
大量のテキストやメールを読み込ませても、AIはハルシネーション(幻覚、誤生成)を起こすだけで、何も理解していませんでした。
例えば、ステファンの息子の名前はヴィクターなのに、AIはクリストファーと呼んだんです。自分…つまり、ステファンの誕生日すら間違える有様でした
試行錯誤が続く中、とうとうステファンさんは力尽きた。2023年12月30日、実際の彼は永遠の眠りにつくことになる。
MBTIの活用で、より「本人らしい」アバターに
ステファンが亡くなった後で、大きな転機がありました。彼らはただ情報を増やすだけではだめだと気づき、より的を絞った方法で情報をカスタマイズし始めたんです。
バーデレーベン氏は当時の状況をこう語る。実はニールセン氏は、人間の性格は、驚くほど少ないデータからでも推測できることを理解していた。
私たちはいろいろなことを試しました。多くの人事部門が、従業員を理解するために取り入れている「マイヤーズ・ブリッグス」の性格診断テストを試したことが、最初の突破口になったんです
このマイヤーズ・ブリッグスの性格診断とは、日本でも人気の16タイプの性格診断テストのことだ。略称の「MBTI」の方が、日本では知られているかもしれない。
ニールセン氏は、新たにより少量の情報から、ステファンさんの性格構造を再構築するアプローチを採用した。
このモデルは、過去30回の会話の履歴を短期記憶として保持します。そのため、起動時にAIは過去30回のあなたとの会話で、何が起こったかをかなり正確に把握しています
新しいモデルは、カトリーンさんを納得させるほど完成度の高いものとなり、彼女はアバターが答える内容の限界を試すことにした。
彼女はAIステファンに、「浮気したことがある?」と質問したんです。AIは「はい」と答え、職場の同僚の名前を挙げました。
でも、詳細を確認するとそこには矛盾があり、事実ではないことがすぐに判明したんです
バーデレーベン氏は、AIクローンの現実は、本人の記憶を呼び起こす肖像画や写真とは異なると述べている。
これは、亡くなった人の携帯電話に電話をかけ、留守番電話が聞こえるといった、多くの人が共感できる状況に近いと思います。
しかし、それは一方通行のコミュニケーションです。しかし、AIクローンにはフィードバックが存在する可能性があるのです
バーデレーベン氏が撮影したドキュメンタリーの中で、息子のヴィクターがテキストを打ち込んでAIステファンに話しかける場面がある。
返ってきた「Hi sweetie(やあ、可愛い息子)」という言葉を目にしたとき、ヴィクターはこう言った。
この言葉、頭の中で「パパの声」で聞こえたよ
視聴者からは厳しい意見も
この一部始終を記録したドキュメンタリーは、「Du Forsvinder Aldrig(あなたは決して消えない)」というタイトルで、2025年8月にデンマークで放映された。
だが、番組を見た視聴者からは賛否両論が巻き起こった。「故人との対話が癒しにつながる」という意見は少数で、大部分は「前に進むことを阻むのではないか」と懸念を示すものだった。
彼女がこうしたくなる理由は理解できる。でも、それが間違っている理由も同じように理解すべきだと思う。家族や友人が介入して、「これは自然な悲しみの過ごし方ではない」と言ってあげるべき。
今のAIにはプログラミングの欠陥があるし、すでにその欠陥がきっかけで自殺してしまった人さえいる。誤作動したAIが悲嘆を煽ったり、悲しみを無視した結果としてね。
AIはあなたの友達なんかじゃないし、これからもそうはならない。人は放っておけばいいというものじゃないし、悲しみ方にも健全な形というものがある。
他人の心の状態に、私たちがもっと気を配っていれば、人はこんなにずっと悲しみに沈まなくて済むんじゃないかな
自分も若いころに父親を亡くした身として言うけど、あんな母親がいたらマジでおかしくなってしまうと思う。
人生でいちばん大事な2人のうちの1人を失ったあと、「前に進む」ことですら本当に大変なんだよ。
それでも亡くなった大切な人を覚えていることは大事だし、同時にある程度は普通の生活を取り戻すことも大事。
でも彼女みたいにしがみついていたら、それは絶対に無理。子供がその世界に巻き込まれているのが本当に気の毒でならない
私の夫は8年前、がんで亡くなった。彼は私に何度も言っていたよ。「君は若いんだから、人生を楽しみ続けてほしい」って
亡くなった人は、残された人が一生悲しみの中で生きてほしいなんて思ってない。だから私は夫のAIモデルなんて絶対に作らない。
だってそれは彼じゃないから。私の夫は私が出会った中で一番強い人だったし、私たちが一緒に過ごせた8年間は短くても濃くて、愛に満ちていた。でも他の人がどうするかはその人の選択だと思う
ことわざにこういうのがある。「悲しみの鳥が頭の上を飛ぶのは防げないが、髪の中に巣を作るのは防げる」っていうの。
彼女が話している相手は夫じゃない。それは一度は存在したモノの幻影だよ。死は誰にでも訪れる人生の一部だし、若くして夫を失ったのは本当に気の毒だけど、こういう「自然に反する力」で遊ぶのは危険だと思う
どんなことをしても、彼はもういない。それに、彼と「会話」してるわけでもない。でも、悲しみを乗り越える助けになるなら、それはそれで構わないと思う。ただし「救い」と「依存」の境界は、本当に紙一重だと思う
愛している。恋しい。その気持ちは理解できる。でもこれは危険な一線を越えていると思う。人間には「悲しむ時間」が必要で、それこそが癒しのプロセスの一部なんだから
悲しみを長引かせるだけといった懸念は、カトリーンさん本人にも何度もぶつけられてきたという。だが彼女は「何を長引かせるって言うの?」と答えるだけだったそうだ。
AIステファンには、家族以外が触れられないように明確な境界が設定されている。さらにカトリーンさん専用のバージョンと、ヴィクターが使えるバージョンは分かれており、感情面での安全性にも配慮されている。
ヴィクターは「これはテクノロジーだってわかってる。パパ本人じゃないよ」と語っており、現実と仮想を混同しない冷静さを保っているという。
AIが今後どのように発展していくのか、明言できる人はおそらく誰もいないだろう。ほんの数年前には、AI生成による画像や動画がここまであふれるとは、誰も予想できなかったように。
日本でもAIを搭載した仏壇などは、すでに市場に登場している。バーチャルな世界で故人と交流する世界が、将来的には当たり前になっている可能性だってゼロじゃないのだ。
自分が死んだあと、残された家族や友人が自分のAIアバターと会話する世界…。想像してみたらどうだろう、ゾッとするかな、それともありだと思うかな。
References: 'I made a clone of my dying husband - he admitted to the ultimate betrayal'[https://www.stuff.co.nz/culture/360861811/woman-who-made-digital-clone-her-dying-husband]











