新たな信仰対象は寺院のセキュリティゲート?次々にタッチして通る信者たち

新たな信仰対象は寺院のセキュリティゲート?次々にタッチして通...の画像はこちら >>

 宗教が広まるのは、布教する者がいるからかもしれないが、信仰自体は自然発生的に起こる場合も多い。

 思いもよらないことがきっかけになって、突然「何か」が祈りの対象になってしまうケースだってあり得るのだ。

 例えばエアコン由来の水を「聖水」として信者が殺到したり、誰かがコインを置いたことでパワースポットになってしまったり。

 そして今、インドで新たな信仰が生まれつつある。今回人々の祈りが向けられた対象は、なんと寺院の入り口にあるセキュリティゲートらしいのだが…。

セキュリティゲートに崇める人々

 インド北西部・ラージャスターン州スィーカル県にある、カトゥ・シャーム寺院[https://www.shrishyammandir.com/]には、インド中、いや世界中から多くの巡礼者が訪れるのだが、最近この寺院である異変が起こっているという。

 寺院を訪れた善男善女の参拝者たちが、なぜか入り口にあるセキュリティゲートにタッチして、祈りを捧げているというのだ。

[画像を見る]

 とりあえず、Xに投稿された短い映像を見てもらおう。ゲートをくぐる信者たちが、次々にゲートの上に手を当てているのがわかると思う。

[画像を見る]

 この手を触れる、というのはインドでは敬意を示すしぐさのようなもので、神様の像や目上の人の足などに触れた手を、自分の頭や胸に当てて敬意を表する。

 つまりこの寺院を訪れた信者たちは、セキュリティゲートに対して敬意を表しているというわけなのだ。

[画像を見る]

たまたま誰かが行ったしぐさが習慣になった?

 だが、いったいなぜこんな習慣が始まったのだろうか。上の動画を投稿したジャーナリストのディーペーシュ・パテルさんは、次のように推測している。

誰かがたまたま、ハエを追い払おうとしてゲートに触ったのかもしれません。それ以来、みんなが触ることが習慣になってしまったのでしょう

 この様子を見たインドの人たちからは、さまざまな意見が寄せられている。

  • これ、誰も疑問に感じないんだろうか
  • みんなが同じことをしているからって、深く考えずに同じことをしてしまう群集心理の典型例だね
  • 人間はみんな、他人の行動に簡単に影響されてしまうものなんだよ
  • これは寺院のセキュリティチェック用のゲートだよ。
    「止まれ」のサインが手の平の形をしているだけ。でもみんなそれを「神の手が祝福を与えている」と勘違いして触っているってわけ
  • 手の平のサインを、スキャナーだと思って手を置きながら進んでいるのでは?
  • あそこに触る意味が何なのか考えたけど、敬意の表れとして寺院に入るときに入口の上部に手を触れる習慣があるから、その延長でみんな手を伸ばしているんだと思う
  • 人は足に触れて祝福を受けるものだと思っていたけど、上に手を伸ばして触る習慣ができたのを見るのは初めてだわ
  • 一度「やり方」ができてしまうと、それがルールみたいになって、理由も考えずみんなが繰り返すようになるんだよ
  • こうやって迷信は始まるんだ。みんな論理的に考えず、理由もわからないまま、ただ見た通りに真似するんだ
  • 自分は実際にこの寺院にいて、こんなことしなくていいんだと説明して回ったよ。でも、みんなやめようとしなかった
  • こういう人たちのせいで盲目的だと思われ、ヒンドゥー教全体が笑いものにされる。本当に残念だよ

 確かによく見ると、信者たちが手を触れている場所には、ちょうど手の平の形の「止まれ」を意味するサインがあって、赤いランプがつくようになっている。

[画像を見る]

 手の平マークの周りは、かなりの人が触ったせいか、塗装がだいぶ剥がれたりよれたりしているようだ。

[画像を見る]

叙事詩の英雄を祀る寺院

 カトゥ・シャーム寺院は、古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』に登場する戦士ビーマの孫、バルバリーカの首を祀っているとして、多くのヒンドゥー教徒の崇敬を集めている寺院である。

 バルバリーカは、マハーバーラタのテーマでもある戦争を、1人であっという間に終わらせるほどの力を持つ戦士だったという。

 だがこの戦争は、人間界に正義と秩序を取り戻すために必要なものだった。そこでヴィシュヌ神の化身クリシュナは、バルバリーカに首を差し出すよう命じる。

 バルバリーカは喜んで従うかわりに、戦争のすべてを見届けたいとクリシュナに懇願。その首は戦争が終わるまで、戦場を見渡す丘の上に安置された。

 彼の態度に感銘を受けたクリシュナは、自身の別名「シャーム」を彼に与え、後の世の人々がその名で彼を信仰するであろうと祝福し、首を川に沈めたという。

 そして1027年、首がカトゥの村人たちによって発見され、この地域を治めていたループ・シン・チャウハン王によって、寺院が建立されたのだそうだ。

[画像を見る]

 また、首が発見された場所には「聖なる池」シャーム・クンドがあり、巡礼者たちが沐浴をしている。この池に浸かると病気が治ると信じられているらしい。

 実は本物の池は境内の別の場所にあるのだが、多くの巡礼者が沐浴できるほど広くないので、この場所に専用の沐浴場が作られているんだとか。

 日本人の感覚では、お世辞にもキレイとは言い難い。ここで沐浴して健康になれるとは思えないが、これも信仰の姿なのだろう。

[画像を見る]

 週末になると、寺院は巡礼者でごった返す。周囲は門前町として、お守りやお供えを扱う店やレストラン、土産物屋などが軒を連ねており、にぎやかな雰囲気だ。

 最寄りの都市は州都のジャイプールだが、首都のニューデリーからでも、時間はかかるが車でアクセスできるようだ。

 新しい「信仰」が生まれる様子を目撃してみたいという人は、訪れてみてもいいんじゃないかと思う。

[画像を見る]

[動画を見る]

[動画を見る]

References: Video: Devotees mistake security metal detector for 'attendance machine' at temple[https://www.indiatoday.in/trending-news/story/video-devotees-mistake-security-metal-detector-for-attendance-machine-at-temple-2836694-2025-12-16]

編集部おすすめ