インドとバングラデシュ両国にまたがる「スンダルバン(ヒンディー語)」あるいは「シュンドルボン(ベンガル語)」と呼ばれる一帯は、世界最大のマングローブ林として知られている。
ここには世界で唯一、マングローブ林に生息するベンガルトラがいて、漁のために入り込んだ村人たちを襲い、死に至らしめることがある。
あとに残された未亡人たちにはほとんど収入を得る手段がなく、困窮を極めるという。
だが近年、絶滅危惧種となったベンガルトラの生息地であるマングローブ林の再生に取り組むプロジェクトのもとで、未亡人たちが苗を植え、林を育てているという。
いったいなぜ、彼女たちはこの活動に取り組んでいるのだろうか?詳しく見ていこう。
世界最大のマングローブ林を棲み処にするベンガルトラ
インドとバングラデシュにまたがるこの広大な森林は、ベンガル湾に面した世界最大のマングローブ林であり、ユネスコ世界遺産にも登録されている。
総面積は約1万平方km。このうち約4割がインド、約6割がバングラデシュに属しており、それぞれが国立公園に指定されている。
この森はガンジス川・ブラフマプトラ川・メグナ川によって作られたデルタ地帯であり、大小の川や水路、干潟、入江が複雑に入り組んだ地形となっている。
大半が泥が堆積した湿地帯であり、その上に繁茂するマングローブの林は、野生生物たちの宝庫でもある。
そしてこの森には、インド側・バングラデシュ側を合わせて、約250頭のベンガルトラが生息していることでも知られている。
ここの個体群は、世界で唯一マングローブ林に生息するトラであり、水中での狩りを得意とするのが特徴だ。
下の動画は、スンダルバンでボートの上から撮影された、川を悠々と泳ぐベンガルトラ。長い間にこの環境に適応し、長い距離を苦もなく泳ぎ切る。
ベンガルトラは、オスで全長が約3m、メスでも2.5mと、アムールトラに次いで巨大な体格を持つトラである。
だが、近年は特にバングラデシュ側で開発が進んでおり、ベンガルトラの生息数は急激に減っており、絶滅危惧種となっている。
さらに、棲み処を追われたトラたちは、人間の暮らす村の近くにもその生息場所を広げており、この地域では人間を襲う「人食いトラ」の出現が後を絶たない。
こんな危険に満ちた森ではあるが、周辺の貧しい村に住む人々は、魚を獲るために小さなイカダを川に浮かべ、森の中へと漁に出る。
そして、時には漁に出たまま帰って来ない者もいる。インド政府の統計によると、2000年以降、人間とトラとの衝突により、少なくとも約300人の人間と46頭のトラが命を落としているという。
下は、ボートに向かって来たトラを撃退する映像。あきらめてくれたからいいものの、少人数だったら襲われていたかもしれない。
パンデミックの影響で、トラによる被害が激増
特に、新型コロナウイルスによるパンデミックは、この地域の村々の暮らしに大きな影を落とした。
都市部や国外に出稼ぎに行っていた男たちが、ロックダウンの影響でやむなく村へと戻って来た。
だが、ここでは生計を立てる手段が限られており、彼らの多くは仕事を見つけることができなかった。
そこで生きるため、家族に食べさせるために、危険な森へ入って魚やカニをとることを余儀なくされたのだ。
その結果、多くの男たちがトラに襲われて命を落とした。2020年には24件の死者が報告され、近年では最も多くの死者が出た年になったという。
だがほとんどの場合、政府からの補償は行われない。トラの襲撃による死の多くは、森林への不法侵入が原因であるためだ。
2020年8月に夫のニラパダさんをトラに殺されたリタさんは、当時の状況を次のように語っている。
夫は、「働かなければ、どうやって食べていくんだ」と言っていました。村には他に仕事がありませんでした。
彼は「息子をどうやって学校に通わせる? 借金はどう返す? 頼むから森へ行かせてくれ」と言ったのです。
そうして夫は森に行き、3回は無事に帰ってきましたが、4回目で命を落としたんです
残された妻たちが収入を得るのは至難の業
トラに襲われて夫を亡くした未亡人は、「タイガー・ウィドウ(トラ未亡人)」あるいはベンガル語で「スワミ・ケジョス(夫を食い殺した女)」と呼ばれ、忌み嫌われて村八分のような扱いを受けることもあるそうだ。
まったく根も葉もない迷信だが、トラに襲われたのは神の罰であり、残された妻は不吉な存在だと考える村人たちは今も少なくないという。そのため、タイガー・ウィドウが村で仕事を見つけるのは難しい。
さらに彼女たちの多くは教育を受けておらず、手に職があるわけでもない。彼女たちにできるのは日雇いの肉体労働や、都市部での女中労働くらいしかない。
中には自ら、売春宿の戸を叩く未亡人もいるという。特に小さな子供を抱えている場合、彼女たちは途方に暮れるしかないのだ。
6月に夫をトラに殺されたギータ・ミストリさんは、日雇いの仕事で何とかしのいでいるが、もう限界だと語る。
幼い息子がいて、日雇いの仕事で何とかやれるうちはやりますが、それができなくなったら、もう死ぬしかないと思います。他に何ができるでしょう。
助けてくれる人も土地もなく、何も考えられません。もう生きていけません。緊張と不安で心が壊れそうです。どうすればいいのかわからず、自殺を考えてしまうこともあります
マングローブ林の再生事業に取り組む未亡人たち
しかし、最近になって彼女たちの生活にも一筋の細い光が差し始めた。スンダルバンの中にあるジャールバリ島で、マングローブ再生プロジェクトが行われるようになったのだ。
このプロジェクトは、国際的な環境保護団体「Conservation International[https://www.conservation.org/]」が展開する「Mountains to Mangrove[https://www.conservation.org/projects/mountains-to-mangroves]」構想に基づき、国内外のNGOや自然保護団体が行っているものだ。
このプロジェクトでは、タイガー・ウィドウをはじめとする地元の女性たちの手を借りて、森の保全活動に取り組んでいる。
女性たちはマングローブの種を集め、苗を育て、植林するという作業を行うことで、現金収入を得ることができるようになった。
だが、夫を奪ったトラが生息するマングローブ林の保全に、なぜ彼女たちは協力しているのだろうか。
女性たちはこの仕事に対して1日300ルピー(515円)の報酬を得ている。大した金額ではないように思えるかもしれないが、子供たちにご飯を食べさせてあげることができる。
スンダルバンのマングローブ林は、サイクロンや高潮の被害を和らげ、魚やカニの生息環境を支えることで、地域の暮らしを支えてきた存在だ。
しかし近年は海面の上昇や河岸の侵食、そして度重なる大型サイクロンの影響で林が縮小し、その機能が弱まりつつある。
健全なマングローブ林が再生されれば、そこに住む生き物たち、特に魚の個体数が増え、人間が森の奥まで行かなくても、十分な魚がとれるようになる。
そしてトラも、人間の村の近くまで来なくても、食料が足りるようになる。そうなれば、人間とトラが不幸な出会い方をするケースも減るだろう。
ベンガルトラによって生活を脅かされた女性たちに、収入の機会を提供すると同時に、今後新たなタイガー・ウィドウが増えるのを防ぐことに繋がるかもしれない。
この保全への取り組みは、スンダルバン一帯に広がっており、バングラデシュ側でも同様のプロジェクトが行われているそうだ。
現場で指揮を執るシャヒフ・アリ氏は、さらなる目標を掲げている。
これまで、多くのタイガー・ウィドウに出会ってきました。
私のさらなる関心は、活動に参加する女性たちが安心して働ける場を作ることです。
彼女たちがここで尊重され、安全だと感じられるようになれば、きっと他の人たちも勇気を出して、この活動に加わってくれるでしょう
また、Conservation Internationalのプロジェクトリーダー、サウラブ・マルホトラ氏は、次のように語っている。
これは、彼女たちが失った尊厳を取り戻すための闘いです。彼女たちは、自分自身の人生を大きく狂わせた出来事の原因に向き合う活動に取り組んでいます。
彼女たち自身が自分の足で立ち上がり、コミュニティ全体の回復力を築くことにつながるのです
このプロジェクトはタイガー・ウィドウだけではなく、地域社会全体にも選択肢を増やしつつある。
夫たちが危険な森に入らずに生計を立てられる道、女性が自分の手で収入を得る道、そして子供たちに未来の可能性を示す道だ。
タイガー・ウィドウの1人、マラティ・モンダルさんはこう語っている。
私たちは賃金を期待しているわけではありません。スンダルバンを環境にやさしい地域として発展させ、マングローブを増やすことで、森の生態系のバランスを維持すること。それは私たちの社会的な責任なのです
「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました」はかつてネット上で流行した都市伝説だが、この話はリアルである。主人がベンガルトラに殺された妻たちは、今はトラを守るため、マングローブを再生するために尽力しているのだ。
References: Their Husbands Were Killed by Tigers. Now These Women Are Restoring the Big Cat’s Threatened Habitat[https://www.goodnewsnetwork.org/their-husbands-were-killed-by-tigers-now-these-women-are-restoring-the-big-cats-threatened-habitat/]











