猛毒を持つ生物の宝庫であるアマゾン。その奥地に生息するサソリの毒が、将来的に乳がん治療の新たな希望となる可能性を秘めていることがわかった。
ブラジルのサンパウロ大学リベイラン・プレト薬学部(FCFRP-USP)の研究チームは、現地のサソリから抽出した成分が、特定の乳がん細胞に対して既存の抗がん剤に匹敵する効果を持つことを突き止めた。
この研究は、自然界に眠る未知の成分を医療に役立てるバイオプロスペクティング(生物資源探査)の一環として進められている。
「毒薬変じて薬となる」ということわざがあるように、猛毒も、使い方によっては、毒にも薬にもなるのかもしれない。
サソリの毒ががん細胞の膜を物理的に破壊
ブラジルのサンパウロ大学リベイラン・プレト校の薬学部(FCFRP-USP)、およびアマゾナス国立研究所(INPA)、アマゾナス州立大学(UEA)の研究チームが注目したのは、ブローテアス・アマゾニカス(Brotheas amazonicus)というサソリの毒に含まれる、BamazScplp1と名付けられた分子だ。
この分子は、複数のアミノ酸がつながってできたペプチドと呼ばれる物質の一種である。
実験室で行われたテストにおいて、この成分は乳がん細胞に対して強い抗腫瘍活性(がん細胞を抑える働き)を示した。
がん細胞を死滅させる能力は、世界中で広く使われている代表的な抗がん剤のパクリタキセル[https://www.ncc.go.jp/jp/ncch/division/pharmacy/010/pamph/breast_cancer/070/index.html](Paclitaxel)と比較しても遜色ないレベルに達している。
実験はシャーレの中で培養した乳がん細胞を使って行われた。
対象となったのは性質の異なる複数の乳がん細胞株で、その中には治療が難しいことで知られる「トリプルネガティブ乳がん」のモデルも含まれている。
このタイプのがんは、一般的な薬が標的とする3つの受容体(アンテナ)をすべて持っていないため、これまでの薬が効きにくいことで知られているが、今回のサソリ毒の成分を加えると、こうした細胞もダメージを受けて死滅していく様子が確認された。
がん細胞の膜を狙い撃ちするペプチドの性質
バイオプロスペクティングとは、自然界に生息する動植物や微生物から医療や産業に役立つ手がかりを探す研究分野だ。
本研究の責任者であるエリアーネ・カンディアーニ・アランテス教授は、この手法を通じて、乳がん細胞に作用するこの分子を特定することができたと述べている。
今回見つかったサソリ毒由来のペプチドは、がん細胞の遺伝子そのものを狙うのではなく、がん細胞を包む膜を傷つける作用を示した。
一般的な抗がん剤の多くは、細胞があらかじめ決められた手順に従って自律的に死滅する「アポトーシス」と呼ばれる仕組みを誘導するが、この分子の場合は、細胞膜が破れて内容物が漏れ出す「ネクローシス(壊死)」というタイプの死滅を主に引き起こしていた。
この物理的な破壊を伴う仕組みは、既存の薬に対して抵抗力を持ったがん細胞に対処する上での一つの手がかりになる可能性が示唆されている。
解析データが示す既存の抗がん剤との比較
細胞は外側を細胞膜という薄い膜で包まれており、この膜が外と内を仕切ることで生きていくための環境を保っている。
ところが発見された分子は、脂質でできた細胞膜に強く結合しやすい性質を持っていた。
これにより細胞膜が不安定化し、細胞の中身が漏れ出るような状態が引き起こされたことが論文で示されている。
下の図は、この分子を与えたとき、乳がん細胞がどれだけ生き残り、どのように死滅したかを示している。
左端のグラフでは、何も処理していない細胞(NC)に対し、抗がん剤投与(PC)、および成分投与(50)を行った細胞の生存率が大きく低下していることがわかる。
特に、治療が困難ながん細胞株であるSKBR3やMCF7、MDA-MB-231において、既存の抗がん剤と同程度の細胞毒性が確認された。
中央と右の解析からは、アポトーシスの指標よりも細胞膜の損傷を示すシグナルが強く、主にネクローシス型の死滅が起きていることが結論づけられている。
正常細胞への影響と実用化に向けた課題
研究者たちは、この分子の持つ性質が、既存の治療に反応しにくいがん細胞に対しても作用する可能性につながると考えている。
ただし、これは実験室レベルの条件下での比較であり、ヒトに投与した場合の効果や安全性を示すものではない。研究段階としては、まだ初期の段階だと言えるだろう。
むしろ論文の中で率直に語られているのは、解決すべき課題のほうである。
上の図の最上段にあるMCF10Aは正常な乳腺細胞だが、このペプチドはがん細胞だけを選んで攻撃するのではなく、正常な細胞にも影響を与えて死滅させてしまうことが示されている。
研究で示された「ネクローシス(細胞の物理的な破壊)」という仕組みについては、がん細胞と同様の膜構造を持つ正常細胞もダメージを受けることが判明している。
現段階では「がん細胞だけを狙う性質」が不十分であるため、今後は成分を患部だけに届ける仕組みの構築や、分子の改良による安全性の向上が実用化への必須条件となる。
生物が持つ毒を医療に生かす探査技術
今回の研究の背景には、サンパウロ大学の研究チームが長年にわたり培ってきた、生物が持つ毒素を医療資源として活用する高度な技術と実績がある。
研究チームはサソリだけでなくガラガラヘビの毒についても研究を重ねており、そこから抽出した酵素を利用して、手術で使われるフィブリン糊と呼ばれる生体接着剤を開発した実績を持っている。
この接着剤は、体の中の止血や組織の接合を助けるもので、すでに実用化の最終段階である第3相臨床試験に進んでおり、その製造には「異種発現」という重要な技術が使われている。
異種発現とは、ピキア・パストリス(Pichia pastoris)という「酵母」を工場のように使い、本来はその酵母が持っていない遺伝子(サソリやヘビの遺伝子)を組み込んで、目的のタンパク質を作らせる仕組みのことだ。
この方法を使えば、野生のサソリやヘビを大量に捕まえる必要はなくなり、タンクの中で育てた酵母を使って、薬の成分だけを安全かつ安定して大量に作ることができるようになる。
研究チームは、ヘビ毒の研究で成功したこの「酵母を使った製造システム」が、サソリ毒の成分作りにも応用できるとみている。
地球上で屈指の生物多様性を誇るアマゾンには、人類がまだ知らない特効薬となる分子や成分が眠っている可能性がある。
今回の研究は、その広大な自然の中から新たな候補分子を見いだし、最先端の生産技術で形にしようとする試みの一例である。
この研究は、学術誌『Frontiers in Pharmacology』[https://doi.org/10.3389/fphar.2025.1652614](2025年9月3日付)に掲載されている。
【追記】(2026/01/02)
細胞を壊死(ネクローシス)させるメカニズムが正常細胞へ及ぼす影響、および今後の安全性向上に向けた必須条件について説明を補足しました。
References: Amazon scorpion toxin kills breast cancer cells / Frontiersin[https://www.frontiersin.org/journals/pharmacology/articles/10.3389/fphar.2025.1652614/full]











