犯罪捜査において重要な証拠となるのは、指紋や血痕、あるいはDNA鑑定などが一般的だ。しかし、私たちの足元に広がる微細なコケ植物の断片も、犯行現場や遺体の場所を特定する重要な証拠になるという。
アメリカの研究チームは、2013年に実際に遺体遺棄現場を突き止めた実例をもとに、過去150年分の事例を精査し、科学捜査におけるコケ植物の有用性を裏付ける最新の研究結果を報告した。
これまで捜査で見落とされがちだったコケ植物は、特定の場所を指し示す「生物学的な指紋」として機能しており、法医植物学の可能性を大きく広げるものだ。
この研究成果は『Forensic Sciences Research[https://academic.oup.com/fsr/article/10/3/owaf026/8261381]』誌(2025年11月10日付)に掲載された。
なぜコケが科学捜査の有効な手段になるのか
地表や岩の上にはいつくばるように成長していく「コケ(苔)」と呼ばれるものには、コケ植物や地衣類、藻類などがあるが、今回の科学捜査の主役となるのはコケ植物(Bryophytes)だ。
コケ植物は地球上で最も単純な構造を持つ植物の一種であり、本物の茎や葉、根、種子を持っていない。
代わりに体全体で周囲から水分や養分を直接吸収する仕組みを持っており、この能力によって他の植物が生育できないような湿った日陰や沼地でも生き延びることができる。
コケ植物が証拠として機能するのは、周囲の環境に対して非常に敏感であり、それぞれの種が特定の条件下でしか育たないという性質があるからだ。
今回の研究を行った、アメリカ・イリノイ州シカゴのフィールド自然史博物館のマット・フォン・コンラット博士は、コケ単体は非常に小さいために、岩の隙間や樹冠、草の下といったわずかな範囲に独自の「微小生息域(Microhabitat)」を形成すると説明している。
微小生息域に密集して生えるコケの隙間には、目に見えないほど小さな微生物たちが独自のコミュニティを作って暮らしており、コケ植物はあたかもそれら微小生物にとっての「小さな森」のような役割を果たしている。
そのため、コケの断片だけでなく、そこに生息する微生物の種類まで調べれば、容疑者が立ち寄った犯行現場や遺体の遺棄場所をピンポイントで特定するための、より詳細な裏付けが得られるという。
コンラット博士は、警察や鑑識官などの捜査担当者が「目の前にある緑色の断片が、犯行現場を特定できる重要な証拠である」という認識を持っていないために、こうした植物学的証拠が見過ごされている可能性が高いと指摘している。
犯罪捜査におけるコケの150年におよぶ歴史
コンラット博士は、ジョージ・ワシントン大学の科学捜査専攻の修士課程学生のジェナ・メンケル氏と共に、コケ植物が捜査にどのように利用されてきたかを調査した。
2人は150年分の科学文献を精査し、これらの植物が犯罪捜査にどれほどの頻度で登場したかを確認した。
しかし、これまでの犯罪捜査では、それほど多く活用されてこなかったことがわかった。
特定された中で最も古い記録は1929年にまで遡る。
この事例は、腐敗した骨格の上に成長していたコケの状態から、その人物が亡くなってからどれくらいの期間が経過したかを捜査官が推定することに成功したというものだ。
それ以来、フィンランド、スウェーデン、イタリア、中国、そして米国で少なくとも10件の事例が報告されている。
それぞれの事件において、コケ植物は犯罪の発生時期、場所、あるいはその状況に関する客観的な情報をもたらしてきた。
わずか畳3畳分の場所を特定した実例
今回の最新の研究報告には、フォン・コンラット博士らが自ら取り組んだ事件についての記録も含まれている。
2011年、ミシガン州北部でケイトという名の乳児が父親に殺害されたが、遺体がなかなか発見されなかった。
父親は警察に対し、埋葬場所について曖昧な情報しか供述しなかったが、捜査官は父親の靴に付着した顕微鏡レベルの微小な植物の断片を発見していた。
2013年、コンラット博士は植物学者やボランティアのチームを率いて現地を調査し、靴から見つかった素材と一致する場所を探して、草や木、コケを記録した。
博士は、その地域には何百種ものコケが生息していたが、コケ植物の断片を分析したことで、捜索すべき微小生息域が明確になったと述べている。
チームは捜索範囲を7つの郡という広大なエリアから、わずか4.6平方m、およそ畳3畳分という極めて狭い範囲に絞り込むことに成功した。
後の取り調べで、父親はこの場所こそが娘を埋葬した正確な地点であることを認めた。
法医植物学が事件を解決する鍵になる可能性
研究者たちは、この成果が犯罪捜査におけるコケ植物のさらなる活用を促し、事件の被害を受けた家族に解決をもたらす助けになることを願っている。
メルケル氏は、植物、特にコケ植物はこれまで見落とされてきたが、人物と場所、あるいは出来事を結びつける有力な証拠源になると確信している。
この論文を通じて法医植物学(Forensic Botany)への認識を高めることで、法執行機関が捜査中にたとえ微細な植物の断片であっても、その価値を考慮するようになることが目標だ。
植物学的な証拠は、何を探すべきかを知っていれば、事件を解決するための有効な手段になる。
コケという最小の植物の断片が示す証言は、科学捜査の死角を補い、事実を明らかにするための新たな可能性を提示している。
References: Fieldmuseum[https://www.fieldmuseum.org/about/press/solving-mysteries-with-moss] / Sciencedaily[https://www.sciencedaily.com/releases/2025/12/251225080738.htm] / Academic.oup.com[https://academic.oup.com/fsr/article/10/3/owaf026/8261381]











