1990年の打ち上げ以来、長きにわたって宇宙の深淵を見つめ続けてきた伝説の瞳、ハッブル宇宙望遠鏡がいよいよその旅路の終着点に近づいている。
これまでに60億km以上を航行し、人類に数々の驚きをもたらしてきたこの不屈の観測者は今、地球の大気が生む目に見えない抵抗に阻まれ、最期の時へと向かっているという。
本来であれば、スペースシャトルで回収される計画だったが、シャトルの引退により帰還の道は閉ざされた。
最新の予測では、早ければ2029年、遅くとも2040年までには地球に墜落するとみられ、最も可能性が高いのは2033年頃だという。
人類に尽くした功労者の最期が悲劇にならないよう、制御不能な落下に伴う地上の安全リスクについて、現在も懸命な調査が続けられている。
任期を20年以上延長し、宇宙を観測し続ける偉大な功労者
ハッブル宇宙望遠鏡は、天文学の歴史を塗り替えた偉大な功労者だ。
全長13.1m、重さ11tという大型バスほどの巨体を持つこの望遠鏡は、地上から約540kmの低軌道を時速2万8163kmという猛スピードで駆け抜けている。
当初のミッション期間は約15年とされていたが、その並外れた性能と重要性から、幾度となく任期が延長された。
1990年の打ち上げからすでに35年以上(2026年1月現在)の歳月が経過しているが、今もなお、たった独りで130万回以上も観測を行い、私たちに未知の銀河の姿を届けてくれている。
この観測者が果たした功績は計り知れない。ハッブルは、宇宙の距離を測る物差しとなるIa型超新星や、明るさが周期的に変わるセファイド変光星を精密に観察し、宇宙の広がり方を解明した。
宇宙の年齢はハッブルが現れるまで100億年から200億年の間とされ、はっきりしていなかったが、ハッブルはこの謎を解き、138億年という正確な数字を導き出した。
宇宙の膨張を加速させる謎のダークエネルギーの発見にも、ハッブルの存在は欠かせなかったのだ。
スペースシャトルが運用終了、帰還の道が断たれたハッブル
実は、ハッブルが燃え尽きながら墜落することは、当初の予定ではなかった。
15年の任期を終えた2005年にスペースシャトルによって回収され、地球へと安全に連れ戻されるはずだったのである。
スペースシャトルとは、かつてアメリカが運用していた、再利用型の有人宇宙船だ。
宇宙飛行士を乗せてハッブルのもとへ向かい、これまで5回も宇宙で直接修理やメンテナンスを行ってきた「主治医」でもあった。
ところが、ハッブルが度重なる修理を乗り越えて現役を貫くうちに、2011年、スペースシャトル計画そのものが先に幕を閉じてしまったのである。
ハッブルを迎えに行き、安全に連れて帰るための「唯一の船」が消えてしまったことで、ハッブルは宇宙に取り残されることになった。
現在、ハッブルの足取りは確実に重くなっている。1990年に高度約610kmにいたハッブルは、2026年1月現在、高度520km以下まで沈み込んでいる。
平均すると年間で約2.5km、時間に換算すれば1時間に約28cmという、人間の歩幅よりも短い距離を刻むようにして、今この瞬間も高度を下げ続けているのだ。
自力で軌道を修正するエンジンを持たないハッブルは、この摩擦によって速度を奪われ、地球の重力に引き寄せられて高度を下げる。
実は、同じ低軌道を飛ぶ国際宇宙ステーション(ISS)も、大気の抵抗で常に高度を下げている。
しかしISSは、定期的にエンジンの噴射(リブースト)を行い、自分の力で高度を元に戻すことができる。
対するハッブルには、自力で軌道を修正する推進系(エンジン)が一切備わっていない。
かつてはシャトルの力を借りて軌道を戻していたが、主治医が去った今、ハッブルにできることは何もない。
ただ重力に引かれるまま、孤独な「終わりの降下」を続けるだけなのである。
速ければ2029年、ハッブルが迎える最期
ハッブルがいつ地球に落ちてくるのか、最新の研究では複数のシナリオが示されている。
太陽活動が活発化するなどの条件が重なった最悪のケースでは2029年という早い時期に再突入を迎える恐れがあり、逆に最も良い条件下であれば2040年まで軌道に留まれる可能性がある。
現時点で最も可能性が高いと考えられているのは、2033年だ。
ハッブルは自力で姿勢を制御して安全な海域へ導くための推進系(エンジン)を積んでいない。そのため、再突入の際には構造的な限界を超えて空中分解し、制御不能な状態で墜落することになる。
11tもの巨体を持つハッブルには、チタンやステンレス鋼、セラミックといった高融点の素材が多く使われている。
そのため、大気圏突入時の高熱でも全てが燃え尽きることはなく、一部の巨大なパーツが地表まで到達すると予想されている。
破片が散らばる範囲は、地上で350kmから800kmにも及ぶ。
NASAは、落下物による死傷者リスクを1万分の1以下に抑えるという厳しい基準(NASA-STD-8719.14C)を設けているが、今回の予測では330分の1という高い数字が出た。
ハッブルがマカオや香港、シンガポールなどの人口密集地に落下した場合、死傷者が出る恐れがある。
宇宙の美しさを教えてくれた功労者が、その最期に誰かを傷つけてしまうことは、科学者たちにとっても避けるべき事態だ。
ハッブルという象徴的な存在の最期が悲劇にならないよう、より詳細なリスク分析が急ピッチで進められている。
民間企業が救世主に?軌道上昇による延命案
ただ、ハッブルの物語は絶望だけではない。
現在、イーロン・マスク氏が率いるスペースXとNASAの間で、民間宇宙船を使ってハッブルを再び高い軌道へ押し上げる「延命プラン」の共同研究[https://www.nasa.gov/missions/hubble/nasa-spacex-to-study-hubble-telescope-reboost-possibility/]が行われているのだ。
もしこの計画が実現すれば、ハッブルに再び数年、あるいは十数年の活動期間が与えられる。
ただし、この計画はハッブルを地球に持ち帰る「回収」を目的としたものではない。
あくまで、再び高度を上げて活動期間を延ばすこと、そして最後を迎える際に、無人の海域へと安全に誘導して落下させる「制御再突入」を可能にすることが主な目的だ。
かつてのスペースシャトルには、ハッブルを丸ごと積み込める巨大な貨物室があったが、現在の民間宇宙船にはそれがない。
ハッブルが五体満足で地球に降り立つ道は、シャトルの引退と共に永遠に閉ざされてしまったのである。
現在の計画は、ハッブルに最後まで現役でいてもらい、かつ誰にも怪我をさせずにその生涯を閉じさせるための、責任ある「終活」の検討なのだ。
ハッブルの魂を継ぐ、次世代の瞳たち
たとえハッブルがその瞳を閉じる日が来たとしても、その意志は次世代へと引き継がれていく。
すでに活動中のジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)や、今後打ち上げ予定のナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡は、ハッブルが開拓した宇宙の謎を解き明かすための強力な後継者だ。
ただし、これらの後継機はハッブルの完全な代わりになるわけではない。最新鋭のウェッブやローマンは、遠く古い宇宙の姿を捉えるために「赤外線」という熱の光を見ることに特化しているからだ。
ハッブルがいなくなることは、宇宙を「私たちの目に見える色のまま」で、あるいは紫外線によって激しく活動する天体の姿を詳細に観察する手段が失われることを意味している。この唯一無二の「可視光観測の時代」は、ハッブルと共に一度幕を閉じることになるだろう。
しかし、その物理的な「瞳(鏡)」の設計思想を直接的に受け継いでいるのが、ローマン宇宙望遠鏡だ。
ローマンに使用される主鏡は、ハッブルと同じ2.4mという口径を持ち、もともとは偵察衛星用に作られた高性能な鏡をNASAが譲り受けたものだ。
ローマンは、ハッブル譲りの鋭い「瞳」を持ちながらも、それを赤外線観測へと転用し、ハッブルの100倍という広大な範囲をスキャンする新しい任務に挑む。
ハッブルという名は天文学の象徴として、そしてその技術的遺産は次世代の機体へと形を変え、これからも宇宙の謎に挑む人々の心に残り続けるだろう。
この研究成果はNASAの『Technical Reports Server[https://ntrs.nasa.gov/citations/20250010561]』に掲載された。
【追記】(2026/01/16) 軌道の減衰速度に関する具体的な数値データや、民間宇宙船による最新の延命・運用計画、さらに次世代望遠鏡との性能の違いについて、詳細な情報を加筆・更新いたしました。
References: Ntrs.nasa.gov[https://ntrs.nasa.gov/citations/20250010561] / NASA[https://www.nasa.gov/missions/hubble/nasa-spacex-to-study-hubble-telescope-reboost-possibility/]











