ポーランド北西部の森で、14世紀初頭に建設され、わずか数十年で放棄された中世の都市ストルツェンベルクの場所が特定された。
ポーランドの考古学団体レリクタ財団がドローン測量や地中調査を行い、町を囲む大きな堀や市場広場、通りの跡を確認した。
1909年の文献を手がかりに調査が進められ、都市計画の跡や当時の銀貨も見つかり、町の存在が学術的に裏付けられたが、なぜ町が短期間で放棄されたのかは現在も分かっていない。
参考文献:
Archaeologists confirm discovery of medieval ghost town in northwestern Poland
https://tvpworld.com/91690560/discovery-of-medieval-ghost-town-confirmed-in-northwest-poland[https://tvpworld.com/91690560/discovery-of-medieval-ghost-town-confirmed-in-northwest-poland]
森に眠る14世紀の巨大な堀と都市の跡
ポーランド北西部のスワボボジェ近郊にある森の中から、中世の都市シュトルツェンベルクの遺構が発見された。
考古学団体のレリクタ財団は、最新のドローンによるレーザー測量(LiDAR)と地中の異常を検知する調査を実施した。
その結果、約6haの広大な土地を囲む深さ5.5mの巨大な堀や、かつての町を防御していた土塁の跡が鮮明に残されていた。
地下には1,500以上の構造物の反応があり、町の中央広場や門へと続くメインストリートが、当時のままの配置で眠っていることが判明したのだ。
1909年の歴史書が発見の手がかりとなった
この都市の存在を示す最初の手がかりは、1909年に出版された地域史の本だった。
ドイツの歴史家ヨハネス・クルトワは、当時のコルベルク=ケルリン地方の歴史をまとめた著書の中で、スワヴォボジェ付近に「死んだ町」の痕跡があると記していた。
古い地名として「旧市街」や「病院」を意味する名称が残っていることも記録されていた。
しかし長い間、考古学的な証拠は見つかっていなかった。
2019年、研究者がポーランドの地理データサイトに公開されている地形モデルを調べたところ、馬蹄形の溝と土塁が確認された。調査チームは、この地形が中世の都市防御施設である可能性に気付いた。
堀や市場広場、通りなど計画的な都市構造を確認
現地調査では町を囲む大きな堀が確認された。堀の深さは最大5.5mに達する。
堀の内側には平坦な土地が広がり、中央には市場広場と考えられる空間が存在する。その周囲には市民が暮らした区画が整然と並んでいた。
この配置は、中世ヨーロッパで広く採用された都市計画の特徴と一致する。
当時この地域は神聖ローマ帝国の支配圏にあり、ドイツの都市法に基づいて町が建設された可能性が高い。
町の北側にはポクシヴニツァ川が流れており、自然の防御線として利用されていた。さらに東側には第二の浅い堀も確認され、防御が強化されていたことが分かる。
銀貨や装身具など400点以上の遺物を発見
研究チームは金属探査も実施し、400点以上の遺物を回収した。
見つかった遺物には、ベルトの金具、ブローチ、工具、硬貨などが含まれている。中でも重要なのは13世紀のポメラニア公バルニム2世の銀貨である。
これらの遺物は、町が14世紀初め頃に活動していたことを示している。また遺物の種類から、町には職人や商人が住み、交易や手工業が行われていたと考えられている。
建設から数十年で消えた町 放棄理由は現在も不明
調査結果から、ストルツェンベルクは13世紀末から14世紀初頭に建設された都市とみられている。
しかし町は長く存続せず、建設から数十年で放棄された可能性が高い。
町を建設した勢力についても確定していない。中世にこの地域を支配していたカミエン司教区が建設したという説と、近くのブランデンブルク辺境伯が築いたという説がある。
町が放棄された理由も記録が残っていないため分かっていない。
研究者は、洪水や交通路の変化による経済の衰退、戦争や政治的対立、疫病など複数の可能性を検討している。
レリクタ財団は今後も非破壊調査を続け、町の人口規模や生活の実態、放棄の原因の解明を進める予定だ。
中世ヨーロッパの都市がどのように生まれ、どのように消えたのかを知る手がかりになると期待されている。
References: Tvpworld[https://tvpworld.com/91690560/discovery-of-medieval-ghost-town-confirmed-in-northwest-poland]











