『生物はなぜ死ぬのか』(著:小林 武彦)
◎遺伝情報とは設計図だ
本書の著者、小林武彦先生は生物学、わけても遺伝研究の専門家です。数年前に『DNAの98%は謎 生命の鍵を握る「非コードDNA」とは何か』という本を出版されています。
わたしたちの姿は、両親から受け継いだ遺伝子から構成されている部分がとても多くなっています。これは、細胞内のDNAに書き込まれた遺伝情報(ゲノム)のはたらきによるものです。
本書の表現をかりれば、遺伝情報とは設計図です。人はそこに書き込まれた情報にしたがって組み立てられます。ところが、DNAでこの役割を果たしているのはわずか2%にすぎず、残りの98%は何のために存在しているのかわかりませんでした。Junk(ゴミ)とさえ言われていたのです。『DNAの98%は謎 生命の鍵を握る「非コードDNA」とは何か』は最新の研究成果により、ここが重要な役割を担っていることを教えてくれました。
本書は、それとは少々趣を異にしています。
自分のおじいちゃんは父方も母方も若ハゲでした。子どものころは、将来は自分も若ハゲになるんだと思っていました。ところが今、すっかりオッサンになっても、この兆候はあらわれていません。
おじいちゃんの設計図にはまちがいなく「若ハゲ」と書かれていたはずです。
どうしてそんなことが起こったのでしょうか?
自分のアタマがおじいちゃんの性質を引き継がなかったのはなぜなのでしょう?
実は、このことが本書のテーマ「生物はなぜ死ぬのか」に大きく関係しています。
◎進化の理由
結論からいうと、わたしが若ハゲにならなかったのは、遺伝が備えている性質――多様化によるもののようです。
わたしはおじいちゃんからさまざまなものを受け継いでいます。顔や肉体の造作はもちろん、味覚や好み、酒が呑めるか呑めないかまで。
しかし、おじいちゃんとまったく同じではありません。似てはいるが、違っているところもたくさんあります。そのひとつが頭髪の状態だったのです。すなわち、遺伝とは「似たものを作りだすしくみ」であると同時に、「違ったものを作りだすしくみ」でもあります。
本書はそれを語るために、地球の誕生とそこにはじめて生物が生まれた事情から語り起こしています。思わず、おいおいそこから始めるのかよとツッコミを入れてしまいましたが、後述するように、「生物はなぜ死ぬのか」はとても大きな問いです。その問いに答えを与えるために、本書は始原を述べているのです。
本書に紹介されたたとえ「25メートルプールにバラバラに分解した腕時計の部品を沈め、ぐるぐるかき混ぜていたら自然に腕時計が完成し、しかも動き出す確率」の奇跡(と呼んでいいでしょう)によって地球に生物が誕生して以来、生物は進化を続けてきました。
長い長い時間のあいだには、環境は幾度も変わりました。極端に気温が低くなったこともあるし、酸素が少なくなったこともあります。巨大な隕石が降り注いできたり、大地震が起こったこともあります。そのたびに、生物はかたちを変えてきました。
進化とは遺伝のつみかさねです。もし遺伝が「同じものを作りだすしくみ」であったなら、こうした環境の変化に適応できるはずはありません。
適応できなければ、個体の死、さらには種の絶滅があるばかりです。たとえば今、われわれは恐竜を見ることはできませんが、これは彼らが環境の変化に適応できず、絶滅の道をたどるほかなかったからです。
わたしたちが今ここに存在しているのは、気が遠くなるような回数の遺伝、つまり「別のものを作りだす」ことを繰り返してきたからです。ものすごくわかりやすく乱暴に表現するならば、「俺はこの変化に耐えられないが、息子たちは耐えられる。なぜなら俺と同じじゃないからだ」そう言い残して息絶えるような父親があったからです。
遺伝子の変化が多様性を生み出し、その多様性があるからこそ、死や絶滅によって生物は進化してこられました。その過程で私たち人類を含むさまざまな生き物は、さまざまな死に方を獲得してきました。現在も「細胞や個体の死」が存在し続けるということは、死ぬ個体が選択されてきたということです。「進化が生き物を作った」という視点から考えると、「生き物が死ぬこと」も進化が作った、と言えるのではないでしょうか。
◎お釈迦様の疑問は解決された?
生物はなぜ死ぬのか。その理由のひとつはここにあります。生物は自分に似てはいるが別の性質を持つ個体を作りだし、環境の変化に適応してきたのです。
これが、たいへん哲学的かつ宗教的なテーマであることはおわかりでしょう。
紀元前のインドに、とても裕福な王子様が生まれました。彼は、望めばどんなものでも手に入りました。召使いがたくさんいる自分の城に住んでいましたし、舞踊など芸の観覧も毎日のようにおこなっていたといいます。美しいお姫様と結婚して子どももつくりましたし、お妾さんも何人もいました。
彼が満足できなかったのは、現状を享受していては、彼が抱いた疑問――生老病死に答えを与えることができなかったからです。
本書は、「生物はなぜ死ぬのか」のみならず、生老病死すべてに答えを与えています。こんなことを言うと仏教関係者に叱られてしまうかもしれませんが、若きお釈迦様が抱いた疑問の半分ぐらいは、本書に答えがあるのです。しかも、本書の語り口はたいへん平易ですから、自分のような門外漢さえ理解できます。
とはいえ、だからこそ生まれるペシミスティックな認識もあります。
私は、何も対策を取らなければ、残念ですが日本などの先進国の人口減少が引き金となり、人類は今から100年ももたないと思っています。非常に近い将来、絶滅的な危機を迎える可能性はあると思います。
本書はたいへんわかりやすい遺伝学の入門書になっています。
同時に本書は、提言の書でもあります。
このままいけばたぶん滅ぶ。しかし、それを回避する方法もある。すごく難しいが不可能ではない。この本は実証的な科学の方法をとりつつ、そう語っています。
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■レビュワー
◎草野真一
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/
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■本の紹介
◎生物はなぜ死ぬのか
すべての生き物は「死ぬため」に生まれてくる。――「死」は恐れるべきものではない。
【死生観が一変する〈現代人のための生物学入門〉!】
なぜ、私たちは“死ななければならない”のでしょうか?
年を重ねるにつれて体力は少しずつ衰え、肉体や心が徐々に変化していきます。
やむを得ないことだとわかっていても、老化は死へ一歩ずつ近づいているサインであり、私たちにとって「死」は、絶対的な恐るべきものとして存在しています。
しかし、生物学の視点から見ると、すべての生き物、つまり私たち人間が死ぬことにも「重要な意味」があるのです。
その意味とはいったい何なのか――「死」に意味があるならば、老化に抗うことは自然の摂理に反する冒涜となるのでしょうか。
そして、人類が生み出した"死なないAI"と“死ぬべき人類”は、これからどのように付き合っていくべきなのでしょうか。
遺伝子に組み込まれた「死のプログラム」の意味とは?
■主な内容
・私たちは、次の世代のために“死ななければならない”
・恐竜が絶滅してくれたおかげで、哺乳類の時代が訪れた
・宇宙人から見た「地球の素晴らしさ」とは
・地球上で最も進化した生物は昆虫である
・遺伝物質DNAとRNAの絶妙な関係
・「死」も、進化が作った仕組みである
・ヒトだけが死を恐れる理由
・"若返る"ベニクラゲの不思議
・超長寿のハダカデバネズミは、なぜがんにならないか
・ヒトの老化スピードが遅くなっている理由とは?
・「若返り薬」の実現性
・少なめの食事で長生きできる理由
・老化細胞は“毒”をばらまく
・テロメアの長さと老化は関係ない?
・生物学的に見ると、子供が親よりも「優秀」なワケ
・ヒトが生きる目的は、子孫を残すことだけではない
・“死なないAI”を生み出してしまったヒトの未来
・有限の命を持つからこそ、「生きる価値」を共有できる
――生命の死には、重要な意味がある。
第1章 そもそも生物はなぜ誕生したのか
第2章 そもそも生物はなぜ絶滅するのか
第3章 そもそも生物はどのように死ぬのか
第4章 そもそもヒトはどのように死ぬのか
第5章 そもそも生物はなぜ死ぬのか
- - 主書名:『生物はなぜ死ぬのか』
- - 著:小林 武彦
- - ISBN:9784065232170
- - この本の詳細ページ:https://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784065232170