ポイント
・ 植物での機能性タンパク質生産において障害となる「RNAサイレンシング機構」を抑制したrdr6植物体において、TAS3と呼ばれるDNA配列から二本鎖RNAが作られなくなることで生じる矮小化や不稔を解消
・ 新規作出したTAS3i植物体は機能性タンパク質の高い生産能力を持ちながら、矮小化することなく正常に成長し、種子も作ることができる
・ 植物を用いた機能性タンパク質の効率的かつ経済的な生産が可能に
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202509296074-O1-u78Ywa3J】
概 要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)バイオものづくり研究センター 松尾幸毅 主任研究員は、RNAサイレンシング機構を抑制することで機能性タンパク質を生産する高い能力を持ちながら、正常に成長して種子も作ることができる植物体を作出しました。
遺伝子の情報を生物に導入して生産される機能性タンパク質は、ワクチン抗原や酵素などとして幅広く利用されています。
今回、RDR6と密接に関連して植物の形態形成に関与するTAS3というDNA配列に注目し、TAS3の逆反復配列をrdr6植物体に導入する遺伝子組換えを実施しました。その結果、高い機能性タンパク質生産能力に加え、野生型植物と同程度の大きさに成長して種子も形成される実用性を兼ね備えた「TAS3i植物体」を作出することに成功しました。この植物体は、機能性タンパク質の効率的かつ実用的な生産を可能にします。例えば再生医療や培養肉産業では、細胞培養に用いる高価な機能性タンパク質が大量に必要とされており、それらの供給コストが課題となっています。この植物体で機能性タンパク質を生産・供給することで、細胞培養にかかるコストの大幅な削減が期待されます。さらに、医薬品や研究試薬・診断薬などを製造する産業分野においても、同様にコスト削減と安定供給への貢献が期待されます。なお、この技術の詳細は、2025年7月18日に「The Plant Journal」に掲載されました。
下線部は【用語解説】参照
開発の社会的背景
組換えタンパク質は生物に人工的に目的の遺伝子を導入し、その生物の細胞内で合成されたタンパク質のことで、ワクチン抗原や酵素などの機能性タンパク質が医薬品や試薬として幅広く活用されています。機能性タンパク質は一般的に、目的のタンパク質の設計図となる遺伝子を動物細胞や微生物などに導入して培養することで生産されていますが、大量生産するには設備費が高く、また病原体やウイルスが混入するリスクもあります。近年、遺伝子を植物に導入して植物体内で機能性タンパク質を生産する技術が、動物細胞を用いた従来の手法に比べて安全性や生産コストの面で優位性があると期待されています。一方で、植物による機能性タンパク質生産には、発現量の低さや精製の難しさといった技術的な課題も残されており、生産効率を更に高めるための技術開発が進められています。
植物には、ウイルスなどの外敵から身を守るための「RNAサイレンシング機構」という仕組みがあります。RNAサイレンシング機構は、外から入ってきた遺伝子に由来するメッセンジャーRNA(mRNA)を分解することで、ウイルスなどの増殖を防ぐ仕組みです。植物における非常に重要な防御機構の一つですが、この働きがあるために、植物に遺伝子を導入して機能性タンパク質を作らせるときに、目的の機能性タンパク質遺伝子由来のmRNAも分解してしまい、生産効率が下がってしまうという問題があります。
研究の経緯
産総研は、機能性タンパク質の生産に最もよく使用されるタバコの一種Nicotiana benthamianaを用い、RNAサイレンシング機構において二本鎖RNAの合成に中心的な役割を担うRDR6遺伝子を破壊した植物「rdr6植物体」を過去に開発しました※1。これにより、目的とするタンパク質の遺伝子由来であるmRNAの分解を抑制し、機能性タンパク質の生産量を大きく向上させることができました。しかし、RDR6は植物の葉や花の形を作る形態形成においても重要な役割を担っているため、rdr6植物体には、遺伝子組換えをしていない野生型に比べて植物体が小さく、種子ができない(不稔)という欠点があります。今回、機能性タンパク質をより効率的に、また安定的に生産するために、rdr6植物体をもとにこれらの欠点を克服した新たな植物体の作出に取り組みました。
なお、本研究開発は、JSPS科研費「高効率物質生産植物体の開発」(16K14833)およびNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の「カーボンリサイクル実現を加速するバイオ由来製品生産技術の開発/産業用物質生産システム実証/植物による高度修飾タンパク質の大量生産技術の開発」(2022年度~2025年度)による支援を受けています。
研究の内容
今回の研究では、ワクチン抗原や酵素などの機能性タンパク質を効率よく生産できる植物を開発しました。
これまでに産総研が開発したrdr6植物体では、外来遺伝子の発現抑制が起こりにくくなるため機能性タンパク質の高い生産能力を持つ一方で、通常の野生型植物と比較して小型であり、さらに種子を形成しないため、実用化に際しては栽培効率や系統維持の面で大きな制約となっていました。植物体が小さい場合、必要なタンパク質量を確保するために多くの個体を育成したり栽培期間を長くしたりする必要があり、栽培コストや労力が増加します。また、種子が得られなければ、優れた性質を持つ植物体であっても次世代へと継代することができず、安定的な機能性タンパク質の生産体制の構築が困難となります。
rdr6植物体ではRNAサイレンシング機構を抑制するためにRDR6遺伝子を破壊しています。一方で、RDR6遺伝子は「miR390–TAS3–ARF経路」と呼ばれる遺伝子制御経路においても重要な役割を担っていることが知られています。この経路は、植物の葉や花などの器官形成を制御するうえで不可欠な「ARF遺伝子(オーキシン応答因子遺伝子)」の発現を調節する仕組みです(図1)。
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この経路では、まずTAS3と呼ばれる特定のDNA配列から一本鎖RNAが合成された後に、miR390(遺伝子発現を制御する効果を持つ小さな一本鎖RNAの一種)が認識する配列部分で切断され(ステップ1)、TAS3配列由来一本鎖RNAが生成されます(ステップ2)。切断されたRNAをもとに二本鎖RNAが合成され(ステップ3)、その後、ta-siRNA(トランス作用性低分子干渉RNA)へと加工されてARF遺伝子由来mRNAの分解を誘導することでその発現を制御します(ステップ4~5)。RDR6はステップ3「二本鎖RNAの合成」に必須の酵素です。しかし、rdr6植物体ではRDR6遺伝子が破壊されているため、TAS3配列から二本鎖RNAを生成することができません。その結果、rdr6植物体では「miR390–TAS3–ARF経路」が正常に機能せず、ARF遺伝子の発現制御ができていないと推定されました。
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従って、TAS3配列由来の二本鎖RNAをrdr6植物体においても再び生成できるようにすれば、「miR390–TAS3–ARF経路」の機能が回復し、ARF遺伝子の発現制御が正常化する可能性があると考えられます。そこで、rdr6植物体の細胞内でTAS3配列に由来する二本鎖RNAが生成されるような仕組みを新たに導入しました(図2B)。具体的には、TAS3のDNA配列をスペーサー配列を挟んで逆向きに配置したベクターをrdr6植物体に導入しました。DNA配列を逆向きに配置することで、一本鎖RNAから自己相補的な二本鎖RNA構造が形成されるようになります(図2B)。また、スペーサー配列を用いることで、二本鎖RNA構造が形成されやすくなります。このようにして、RDR6の機能を必要とせずにTAS3配列の二本鎖RNAが形成できる植物体を開発し、この植物体を「TAS3i植物体」と名付けました(図3)。
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野生型、rdr6、TAS3iの各植物体におけるARF遺伝子の発現状態を解析した結果、rdr6植物体では複数のARF遺伝子の発現が上昇していることが確認されました。これは、rdr6植物体において「miR390–TAS3–ARF経路」が正常に機能していないことを反映しています。一方、TAS3i植物体では、rdr6植物体に比べて複数のARF遺伝子の発現が低下していました。さらに、TAS3i植物体においては、rdr6植物体ではほとんど検出されなかったTAS3配列由来のta-siRNAが高レベルで検出されました。この結果は、TAS3i植物体においてTAS3配列からの二本鎖RNAが適切に生成され、それが下流のta-siRNAとして機能していることを示しており、「miR390–TAS3–ARF経路」の機能がTAS3i植物体において回復していることが確認されました。
図4に示すように、TAS3i植物体では葉の大きさや植物全体の成長が、野生型植物とほぼ同等まで回復しています。また、rdr6植物体では花の形態に異常が見られる一方で、TAS3i植物体では野生型と同様の形態を示し、種子も得ることができました。
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野生型、rdr6、TAS3i各植物体を用いて、緑色蛍光タンパク質(GFP)の一過性発現を試みたところ、GFP発現処理した野生型植物体ではGFPの蛍光がごく弱くしか観察されないのに対し、GFP発現処理をしたrdr6植物体およびTAS3i植物体ではいずれも非常に強いGFP蛍光が観察されました(図5)。これは、TAS3i植物体においてGFPが大量に生産されていることを示しています。
以上の結果から、rdr6植物体で確認されていた高い機能性タンパク質生産能力が、TAS3i植物体においても維持されていることが明らかとなりました。
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TAS3i植物体は、野生型植物と同様に健全に生育し、正常に種子を形成することが可能です。一方で、TAS3i植物体ではRDR6遺伝子は依然として破壊された状態にあるため、RNAサイレンシング機構の機能は抑制されています。その結果、TAS3i植物体は高い機能性タンパク質生産能力を維持しており、「形態的な正常性」と「高いタンパク質生産能」という両立が難しかった特性を兼ね備えた、極めて優れた植物体であることが示されました(表1)。
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今後の予定
今後は、TAS3i植物体をはじめとした植物を活用した医薬・産業用機能性タンパク質の高効率な生産系の確立を進め、より汎用性の高い発現プラットフォームの開発を目指す予定です。また、「miR390–TAS3–ARF経路」や、RNAサイレンシング機構の分子メカニズムの解明にも取り組む予定です。
論文情報
掲載誌:The Plant Journal
論文タイトル:Recovery of RNA-dependent RNA polymerase 6 gene-knockout phenotypes in Nicotiana benthamiana via in vivo generation of inverted repeat construct of the trans-acting short interference RNA3 sequence
著者:Kouki MATSUO
DOI:10.1111/tpj.70350
引用文献
※1 Matsuo, K. and Atsumi, G. CRISPR/Cas9-mediated knockout of the RDR6 gene in Nicotiana benthamiana for efficient transient expression of recombinant proteins. Planta 250, 463–473 (2019). https://doi.org/10.1007/s00425-019-03180-9
用語解説
RNAサイレンシング機構
植物がウイルスなどの外から入ってきた遺伝子を見つけて、その働きを抑制する防御の仕組みの一つです。外来の遺伝子に由来するRNAを認識すると、そのRNAを分解することで外来遺伝子の発現の抑制を行います。
RDR6遺伝子
RNAサイレンシング機構や「miR390–TAS3–ARF経路」に関与する重要な遺伝子の一つで、一本鎖RNAから二本鎖RNAを作り出す働きを担っています。この二本鎖RNAは、最終的に低分子干渉RNA(siRNA)などに加工され、標的RNAの分解を誘導します。このような働きを通して、RDR6遺伝子はウイルス防御や植物の形態形成に関与する遺伝子の発現制御において中心的な役割を果たしています。
TAS3
植物のゲノム中に存在する特定のDNA配列で、ta-siRNA(trans-acting small interfering RNA)と呼ばれる調節RNAのもとになります。TAS3配列から生成されたta-siRNAは、ARF遺伝子などの標的遺伝子の発現を制御し、葉や花の形づくりに関与し植物の正常な形態形成に不可欠な役割を果たしています。
miR390–TAS3–ARF経路
植物における重要な遺伝子発現調節の仕組みの一種です。TAS3配列から生成されるRNAが、miR390(遺伝子発現を制御する効果を持つ一本鎖RNAの一種)という低分子RNAを利用して切断され、そのRNAを鋳型としてRDR6が二本鎖RNAを生成します。この二本鎖RNAが切断されることでta-siRNAが生成されます。これらのta-siRNAはARF遺伝子(オーキシン応答因子)の発現を調節し、葉や花などの器官形成に重要な役割を果たします。この経路が正常に機能することは、植物の形態や発育に不可欠です。
ARF遺伝子(オーキシン応答因子遺伝子)
植物ホルモンであるオーキシンのシグナルを受けて遺伝子の発現を調節する転写因子の一群です。
ta-siRNA(トランス作用性低分子干渉RNA)
低分子RNAの一種で、特定の遺伝子の発現を転写後に制御する役割を担います。特徴的なのは、発現を制御する対象の遺伝子とは異なるDNA配列から生じるという点で、他の遺伝子より生じた相補性を持つmRNAを認識し、分解を誘導することでその発現を抑制します。植物の発生や形態形成、ホルモン応答の調節などに関与しています。
一過性発現
目的の機能性タンパク質遺伝子を一時的に植物に導入し、短期間で機能性タンパク質を生産させる技術です。遺伝子導入処理後数日といった非常に短期間で機能性タンパク質の生産が可能です。
プレスリリースURL
https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2025/pr20251001/pr20251001.html