汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は伏見区、観月橋西側の北岸、宇治川を臨む場所にある空き地。かつてのキリシタン信者の牢獄、処刑場のあった場所。
地元民にもあまり知られていない歴史スポット
伏見区中書島エリア。酒蔵が立ち並ぶ、酒処・伏見ならではの風情が楽しめる場所。元は豊臣秀吉が築いた指月伏見城の濠であったことがその名の由来となる『濠川(ほりかわ)』。酒蔵を臨み、坂本竜馬など幕末の志士たちにとっては癒しの川。近代では琵琶湖疏水の水を運び、戦後しばらく水運路としても活用され、伏見の暮しに欠かせない川でもあり、濠川から分岐する水路には伏見十石舟も行き来する観光スポットでもあり。



豊臣秀吉や徳川家康時代のキリシタン信仰の地☆酒蔵エリアに佇む史跡「伏見教会址」





伏見酒蔵風景の水路先にあるレンガ建築!「平戸樋門(ひもん)」



特に何か駒札が建っているわけでもありませんが、実はこの場所にかつてのキリシタン信者にかかわる深い歴史があります。前述の伏見教会址からもわかる通り、16世紀末~17世紀初頭、ここ伏見は豊臣秀吉や徳川家康といった天下人たちの本拠地であり、政治・経済の中心地、発信地でもあった場所。そして、キリシタン信仰の場でもあり。

江戸時代(1614年)キリシタン武士・ジョアン兵右衛門が、京橋近くの宇治川本流の河原で斬首。御香宮蔵「伏見市街地図(伏見図)」には『セイバイ場』とこの場所が記されていたり。さらには医学的発展の観点により遺体の解剖もこの地で行われたと、「京都の医学史」などの歴史書に記されています。
基本的に刑場址など、黒歴史的場所にはなかなか駒札が設置されたり観光ガイドなどに載らないことが大半。伏見にそんな場所があったとは、おそらく地元民でも知らない方多数の場所。
伏水(伏見)刑場跡への口コミ
【資料館】 京都の刑場の歴史について書かれた本はないか: 『京都の監獄史』p56~69に西土手の処刑場、粟田口刑場、伏水刑場についての記載がある。
— 京都の図書館 (@Kyoto_lib) February 22, 2013
また、『京都刑死勤皇倒幕家列伝』p22に、西土手の処刑場についての記述がある。 http://t.co/zwKy0yAjoF
基本情報
名称:伏水(伏見)刑場跡住所:京都市伏見区平戸町