有村架純高良健吾主演のフジテレビ月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』。現在、平均視聴率は9%台と振るわず、くわえて有村が介護職、高良が引っ越し業と、それぞれ厳しい労働環境のなかで苦しい生活を強いられていることもあって、「暗すぎる月9」と呼ばれている。



 そんななか、この『いつ恋』が議題となった2月のフジテレビ番組審議会で、さる"有識者"からこんな声があがった。

「ちょっと職場が過酷すぎて、いくらなんでも看護師の職場、あれだったら訴えられるんじゃないかというくらい。ブラック企業そのままのあの引っ越し屋さんも変」

 こう発言したのは、フジの番組審議委員である作家の林真理子。しかも驚くべきことに、林はつづけて、こんな言葉で苦言を呈したのだ。

「これだけ二人とも素晴らしい容姿をしていたら、ガールズバーへ行くとか、ショップの販売をするとか、いくらでも楽な労働があるだろうと思ってしまう」

 有村や高良レベルの美人・イケメンなら、介護や運送業に就かずに水商売とか販売とか、"楽な仕事"をやればいいのに──。職業差別や仕事への貴賤意識が滲み出すぎていて、正直ドン引きを禁じ得ない発言である。

 まず、林の指摘と同様に、介護施設で契約社員として働く主人公の劣悪な労働環境の描き方に対しては、公益社団法人日本介護福祉士会が「影響の大きさも考えて頂きたい」という意見書をフジに提出。だが、視聴者のあいだからは「これが介護現場の実態」という声も大きい。ドラマでは規則外勤務を平気で強いられたり、契約社員が使い捨てられたり、時給がまったく上がらないなどの描写が出てくるが、いずれも実際の介護施設で日常的に頻発している問題。「職場が過酷すぎて」と林は言うが、これが日本の現実なのだ。

 しかも、きちんとドラマを視聴していたならわかると思うが、有村演じる主人公は介護の仕事に使命感や責任感、充実感をもっている。「楽な仕事はたくさんあるのに」という意見こそ、世間に蔓延る介護職に対する偏見そのものではないか。


 さらに、ここで林が同時に露呈している"かわいいなら水商売で楽に稼げるのに"というのは、悪質なオヤジ意識だ。容姿端麗なら男に寄生し、人並み以下なら過酷な労働も致し方ないとでも林は考えているのだろうが、それは男社会の論理、女を容姿で分断する思考でしかない。そもそも林は女が女に抱くミソジニーを描かせたら右に出る者はいない作家だが、その女・女間のミソジニー自体も男社会が生み出し、温存させつづけている価値観だ。つまり、いつまで経っても林は男性側の意識から離れられずにいるから、このような暴言が吐けるのだろう。

 だが、皮肉にも、林のこうした男社会的な価値観によっていかに女性が生きづらさを抱えているかという点をも、『いつ恋』は描いている。主人公は1話目から、美人ゆえに資産家から結婚を申し込まれ、貧窮した養父に一方的に結婚させられそうになるし、田舎から東京に上京してきた別の女子は、めぐまれた容姿と若さは対価を得られる価値であることを知る一方、危うい目に遭ったりする。つまり林の"かわいいなら介護などせず水商売で楽に稼げるのに"というような差別観を、『いつ恋』はすでに批判的なかたちで物語のなかに組み込んでいるのだ。

 さらに脚本を手がける坂元裕二は、過酷すぎる労働環境や働けども賃金が上がらない状況のみならず、現状のおかしさを訴えても「対案を出せ」「すべては自己責任」だと問題を押し付ける社会の歪みをも描いている。この社会を覆っている生きづらさ、それを克明に描かずしていま現在の恋愛は描けない......『いつ恋』からはそんな坂元の覚悟が感じられるが、そうした創作における現実との誠実な向き合い方が、作家であるのに林にはどうやら伝わらないらしい。

 こうした番組意図も理解できない人物が番組審議会のメンバーであり、平然と差別意識を開陳させて疑義を呈する......。議論のレベルの低さには閉口してしまうが、しかし、番組審議会には、もっと深刻な問題がある。それは権力に迎合する場になっているという問題だ。


 テレビ朝日の放送番組審議会では、委員長を見城徹・幻冬舎社長が務めているが、見城氏といえば安倍首相とは公邸で"組閣ごっこ"写真を一緒に撮るほどの昵懇の仲で、早河洋・テレ朝会長と安倍首相をつなげたのも見城氏だ。昨年の『報道ステーション』をめぐる古賀茂明氏の更迭問題にしても、見城氏のパイプによって安倍首相と関係を深めた早河会長が『報ステ』の政権・原発批判路線からの転換を迫っていたなかで起こった問題だった。しかも見城氏は、昨年2月、この番組審議会の席で"『報ステ』は政権擁護もするべき"との発言を行ったと「週刊ポスト」(小学館)は報道している。

 そもそも放送番組審議会とは、放送法第6条で「放送番組の適正を図る」ため、放送事業者に設置を義務づけられているものだ。権力の介入を許さない放送法の理念から考えれば、放送番組審議会こそ"政治的公平"が求められ、本来なら放送が権力の言いなりになっていないかどうか、放送番組審議会が厳しく内容をチェックするべき場である。とくに放送法を政権が曲解して、政治的介入を進める現在は、放送番組審議会が自由な報道・番組づくりを行えているかを局や制作者に問わなければならない。しかし現状はまったく違い、権力におもねる人物が委員長という座におさまり、フジでも熱烈な安倍首相応援団の一員である八木秀次・麗澤大学教授が委員を務めている。

 あからさまな権力側の人間を重用し、本来あるべき機能も果たさず、権力擁護や差別発言が飛び交う。しかもキー局5社は、この番組審議会の模様を自局の自己検証番組内で少し放送するだけで、HPにのせる議事録では都合の悪い発言をカットし、発言者の明記も行っていない(NHKも発言者は明記せず)。こんな体たらくでは、テレビはもっと悪化していく一方だと思わざるを得ないが......。
(水井多賀子)

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