安倍首相が例の「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言を再び口にして、ちょっとした話題になっている。9日の参院決算委員会のなかで、昨年の都議選での応援演説中、聴衆に向けて放ったあの暴言について質され、こう言い放ったのだ。



「あきらかに選挙活動の妨害行為であります。3000人、4000人の人たちが私の演説を聞きに来ているなかにおいてですね、私の演説をかき消すかのような、集団的なこの発言をする。これは何か政策を訴えるのではなくて、『安倍やめろ』ということを単に言っている」
「こういうことをする人たちには私たちは負けるわけにはいかない」

「こんな人たち」を「こういうことをする人たち」に言い換えただけ。安倍首相は都議選の惨敗後、「私に批判的な国民の声に耳を傾けない、排除すると受け止められたのなら私の不徳の致すところだ」と陳謝していたが、あれはなんだったのか。

 しかし、追い詰められると、被害者ヅラをして逆ギレするというのは安倍首相の得意技。きっと今回も、文書改ざん問題発覚で「ヤバイ」と焦るあまり、いつもの思考パターンに陥ってしまったのだろう。

 そういえば、最近、安倍首相はもうひとつ、自分と昭恵夫人を被害者に見立てて、こんなトンデモ被害妄想発言をしたらしい。

「左翼は人権侵害が平気だから」

 この発言を紹介したのは、産経新聞の阿比留瑠比論説委員の連載コラム(「阿比留瑠比の極言御免」4月5日付)。阿比留氏といえば、"安倍首相に一番近い記者"のひとりと言われる名物記者。なりふり構わぬ安倍政権擁護はもちろん、ときにデマまで交えた"反安倍バッシング"でネトウヨから熱い支持を受けている御仁だが、このコラムでもお得意のリベラル叩きを展開していた。

 阿比留記者はまず、世論や野党が求める昭恵夫人の証人喚問を「現代の魔女狩り」と呼ぶ。続けて〈人権重視をうたい、弱者や被害者を尊重する姿勢を強調し、売りにしてきた〉野党と「多数派メディア」が一変して〈相手の人権も立場も諸事情もおかまいなしに、大罪人であるかのように石を投げつけ〉ていると主張。
「リベラル」のせいで日本が「息苦しい社会」になっていくのを〈断固拒否したい〉と締めている。

 まあ、コラムの趣旨自体は、いつもの陰謀論パターンで、正直、取り上げるレベルですらないのだが、しかし、そのなかにシレッとこう書かれていたのだ。

〈実際、安倍首相が慰めているものの、昭恵夫人はかなり落ち込んでいると聞く。首相官邸の目の前には、もうずっと首相の似顔絵とともに「売国奴」と書かれた横断幕が掲げられているが、こんな嫌がらせをして何がうれしいのか。
 安倍首相は周囲に「左翼は人権侵害が平気だから」と漏らす。〉

●人権侵害政策を強行した安倍が自分の批判者に「左翼は人権侵害が平気だから」と

 前述のように、安倍首相と阿比留記者の関係を考えれば、安倍首相が〈周囲に「左翼は人権侵害が平気だから」と漏ら〉したのは、おそらく事実なのだろう。しかも、阿比留記者は、わざわざ〈ここでいう「左翼」とは、日本では「リベラル」を自称している〉人たちのことを指すと注釈まで加えていた。

 一国の首相がこんなネトウヨみたいなセリフを口にすること自体、ありえないが、もっと唖然とするのはあの安倍首相が「人権侵害」などという言葉で、他人を攻撃したことだ。戦後日本で、もっとも人権を抑圧する法案を通し、人権を踏みにじる政策を断行した政権の責任者がいったいどの口で言っているのか。

 たとえば、多くの反対をよそに強行成立させた共謀罪。昨年5月には、国連の特別報告者であるジョセフ・ケナタッチ氏(マルタ大学教授)が「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」と指摘する書簡を安倍首相宛てに送付した。そこでは英語でこのようにはっきり指摘されていた。


〈いわゆる「共謀罪」法案は、その広範な適用範囲がゆえに、もし採決されて法律となれば、プライバシーに関わる諸権利と表現の自由の不当な制限につながる可能性がある。〉
〈プライバシー権は、この法律が広範に適用されうることによってとりわけ影響を被るように見える。さらに懸念されるのは、法案成立のために立法過程や手順が拙速になっているとの指摘から、人権に有害な影響を与える可能性だ。この極めて重要な問題について、より広い公共的議論が不当に制限されている。〉

 つまり、国連の特別報告者が、共謀罪法案は人権侵害を招く法案だと警告したのである。ところが、政権は聞く耳をもたず、あろうことか国会で安倍首相自らが「教授による今回の言動は著しくバランスを欠き、客観的であるべき専門家の振る舞いとは言い難く、また信義則にも反するものです。日本政府の説明を無視した一方的なものである以上、政府のこれまでの説明の妥当性を減ずるものでは全くないと考えております」と個人攻撃まで繰り出した(17年5月29日参院本会議)。

 また、特定機密保護法についても、「表現の自由」に関する国連特別報告者であるデービッド・ケイ氏が報道の萎縮がみられると報告書でまとめ、是正が勧告されている。なお、昨年11月の国連人権理事会の作業部会では、日本政府に対して死刑廃止など200項目超の勧告が各国からなされた。

 ほかにも、安倍政権が躍起になっている原発再稼働や、負担押し付けを固定化する沖縄米軍基地関連など、安倍政権の政策はもののみごとに人々の生存権や生活権を脅かし続けている。その極めつけが改憲だ。

●改憲論議でも「人権否定」思想を全開していた安倍首相と側近たち

 事実、2012年の自民党改憲草案では、基本的人権を《侵すことのできない永久の権利》と定めた憲法97条を全面削除。
しかも、自民党が公開しているQ&Aでは〈人権規定も我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました〉と恥ずかしげもなく記している。ようするに、なん人たりとも生まれながらにして人権をもっているという天賦人権説を否定しているのである。

 ちなみに、この自民党改憲草案は谷垣禎一総裁の野党時代に発表されたものだが、その中身は完全に"安倍マター"でつくりあげられたものだ。

 そもそも自民党は、小泉首相時代に「新憲法制定推進本部」を立ち上げて05年に新憲法草案をまとめたが、09年に「憲法改正推進本部」と改組。このとき、安倍氏は最高顧問として参加している。

 しかし、当時は麻生内閣がガタガタの状態で、自民党内も改憲議論を行うような雰囲気ではなかった。そんななかでひとり息巻いていたのが安倍氏であり、安倍氏は集団的自衛権の行使容認を自民党のマニフェストに掲げるよう強固に主張していた。

 そして、ついに政権交代が起こり野党に下野し、自民党内の保守本流が弱体化する一方で、右へ心おきなく振り切れた安倍氏は、稲田朋美氏や加藤勝信氏、礒崎陽輔氏などといった現在の右腕となった腹心たちを束ねて、憲法改正を声高に叫びはじめるのである。

 実際、当時の安倍氏および周辺の発言は、憲法改正草案に通じる物騒なものばかりだ。たとえば当時、安倍氏が会長となった創生「日本」の研修会(12年5月10日)では、稲田氏は「国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違ってると思います」と言い、第一次安倍内閣で法務大臣を務めた長勢甚遠氏は「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」とさえ言い切っている。

 この目眩がするほどの人権敵視の憲法観こそ、安倍首相の本質だ。
現在、自民党は9条改正を中心とした4つに改憲項目を絞っているが、9条を改悪して「戦争のできる国」にするのは論外なのはもちろん、ひとつでも改憲をゆるしてしまえば、そこから雪崩のように人権抑圧改憲の二の矢、三の矢を放ってくるだろう。

●「こんな人たち」再攻撃と「人権侵害」被害妄想の根っこにある独裁体質

 いずれにしても、そんな安倍首相が、自らの人権侵害政策を棚にあげて「左翼は人権侵害が平気だから」などとのたまっているというのだから、その自らを省みない厚顔にはただただ、呆れるしかない。

 しかし、考えてみれば、これこそが安倍首相やその応援団の典型的な手法なのだ。ふだん、人権を徹底攻撃しながら、いざ、自分や政権が攻撃されると、「人権侵害」だと言い出す。本来は、権力を持つ側と持たない側の圧倒的な差を埋めるために、国民やメディアは権力を批判する「表現の自由」が保証され、権力の側が権利を制限されるのは民主主義国家として当たり前のことだ。ところが、連中はそれを完全に逆転させて、自分の人権だけを守り、国民の表現の自由をさらに制限しようとするのである。

 今回、国会で繰り出した「こんな人たち」の再現、「あきらかに選挙妨害」の暴言も根っこは同じだ。安倍首相は市民に対して「何か政策を訴えるのではなくて、『安倍やめろ』ということを単に言っている」とがなりたてていたが、これほど馬鹿げた話もない。森友、加計問題をみてもわかるように、最高責任者である安倍首相の政治の私物化が原因で、政治不信と政治の停滞が起きており、その退陣を求めることも、政党な政治的な意思表示そのものではないか。それをあたかも不法行為のように言い立てるとは、まさに国民に政治的自由を認めない独裁者の発想というしかない。

 世間の批判の声に耳を塞ぎ、ひたすら被害妄想を膨らませて、批判者を排除しようと暴言を連発し始めた安倍首相。いつまでもこんな"民主主義の妨害者"を総理の椅子に座らせていていいわけがないのである。

(編集部)

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