もはや「保守系論壇誌」と呼ぶよりか"安倍応援団のアジト"というほうがお似合いな、産経新聞社発行の月刊誌「正論」。発売中の7月号に、こんなタイトルの対談記事が掲載されている。
「セクハラ? チンパンジーでは常識ですよ 他人の尻馬に乗る『#ME TOO』運動」
念のため言っておくが、対談しているのはチンパンジー2匹ではない。安倍晋三の首相再登板を支援し、第二次安倍政権でNHKに経営委員として送り込まれた"首相のブレーン"のひとり、長谷川三千子・埼玉大学名誉教授と、最近、「睾丸が小さい日本人男性は『日本型リベラル』になりやすい」なる"チン説"(http://lite-ra.com/2018/03/post-3918.html)で話題になった自称動物行動学研究家・竹内久美子氏が、財務省の福田淳一前事務次官や#MeToo運動で注目されるセクハラ問題を語る、という内容である。
それにしても「チンパンジーでは常識」という煽り方からしてヤバさがプンプン漂ってくるが、中身を読むと、その煽り以上に唖然とするシロモノだった。たとえば、竹内氏がチンパンジーのメスは発情すると集団の複数のオスと何度も交尾すると言うと、長谷川氏はこんな相槌をうつのだ。
「慰安婦問題とかで『一日何十人もの相手をさせられて人権侵害』と言われますが、チンパンジーなら全然OKと。問題はメスが発情しているかいないか」
言葉を失う。なぜ、チンパンジーの生殖行為と慰安婦問題を比較するのか。慰安婦問題は軍隊という暴力を背景した戦争犯罪であって、言うまでもなく子孫を残すための生殖行動ではない。両者を並べること自体が極めて異常だ。
しかし、対する竹内氏は、学問的にも明らかな比較不可能性をスルーし、「生物の二大テーマが生存と繁殖」との講釈を垂れて、こう長谷川氏と意気投合するのだ。
竹内「生物の二大テーマが生存と繁殖。これしかないんです。
長谷川「もし人間にも発情期があれば、発情期でないメスにちょっかいを出すとセクハラ。発情期なら繁殖目的に合致して全然OKと」
いったい、なにからツッコめばいいのだろう。
「セクハラも繁殖行動の延長」という議論自体があり得ないが、そもそも当事者が拒んでいるにもかかわらず「繁殖行動」を強要するのは、レイプであり、犯罪である。「全然OK」なわけがない。というか、「女性の胸元が開いてたから誘ってるんだと思った」というような、典型的な犯罪者の思考回路としか言いようがないだろう。
●長谷川三千子「オタクよりセクハラ男のほうが日本の繁栄に大事」とトンデモ主張
しかし、長谷川氏と竹内氏には犯罪者的発想を開陳している自覚はまったくないらしく、その後もセクハラ男をひたすら擁護し続ける。
竹内「射精してもすぐに回復するので常にダメ元でアプローチするというのがオス。この過程でメスにちょっかいを出したり口説いたりがあるので、セクハラは男が女に行うことが多くなるのだと思います。」
長谷川「非常にリアルに分かりますね。下手な鉄砲数撃ちゃ当たると、下手に撃ってるとセクハラと言われるのが現状。何だか『かわいそうなのはオスね』っていう話になるわけなんですが(笑)」
さらに、竹内氏が音楽などの人間の文化についても動物の求愛行動や免疫力で説明すると、長谷川氏は「そうか! オタクとセクハラ男はベクトルが正反対なんですね。セクハラ男は生物としてはむしろ当たり前。一方でオタクの方は、人間の脱生物化が極端に進んでいる」とワケのわからない説を導き出す。
いやはや、「オタク」にとってもとばっちりだろうが、「セクハラ男は日本の繁栄に大事」と言ってしまうような人が公共放送の経営委員を務めていたという事実には、あらためて頭が痛くなってくる。
しかも、悪質なのは、竹内氏と長谷川氏がデマを使って福田前次官にセクハラを受けたテレ朝の女性記者を貶めていることだ。二人は福田前次官が女性記者に「キスする?」などと迫った例の録音音声を持ち出して、こんなやりとりをしている。
竹内「自分からキスと情報提供の取引を差し向けて『思うよ』の答えに『ええっ、本当ですか?』って喜んでいるわけですね。キスしたらいい情報をもらえるって。ひゃ~、すごい。(中略)女であることを十二分に利用してますね」
長谷川「逆立ちしても真似できないなあ」
竹内「できない。私も」
長谷川「私なら『てめえなんだ!』って殴っちゃう(笑)。そして上司に叱られたりして。記者にならなくてよかった」
神経を疑わざるを得ない。言っておくが、女性記者が「キスと情報提供の取引」を求めたなる話はネトウヨの間でも流通しているが、完全にデマである。
この対談では「正論」の編集者が福田前次官と女性記者とのやりとりの録音内容を紹介しているのだが、その出典は最近、すっかり安倍応援団の一員となってしまったジャーナリストの門田隆将氏による産経新聞上のコラム。このコラムで紹介された女性記者の「え、キスする記者にいい情報あげようなんて、あんま、思わない?」というセリフをもとに、竹内氏は女性記者を「自分からキスと情報提供の取引を差し向けて」などと攻撃したのだが、このセリフは歪曲されたものなのだ。
実際には彼女が口にしたのは「思わない?」という疑問形ではなく、「キスしていい?」と迫る福田次官に対して、「思わない」と拒絶したセリフだった。事実、音声データを直接確認した「週刊新潮」とテレビ朝日は、このセリフにクエスチョンマークをつけずに報じている。
●長谷川三千子、竹内久美子が、テレ朝記者をハニトラ扱いする卑劣デマ攻撃!
音声データを直接聞いている「週刊新潮」とテレビ朝日の報道ではなく、記者のセリフを疑問形に歪曲した産経コラムからわざわざ引用し、竹内、長谷川両氏がそれに丸乗りして記者を嘲る。まったく悪質な印象操作以外の何物でもない。
ようするに、どんな非論理的(ましてや非倫理的)な暴論であっても、捏造レベルの印象操作であっても、セクハラ次官を擁護して政権側をお助けできれば、「正論」サマとしては万々歳ということなのだろう。あまりに愚劣だが、実際、両氏の対談もこの手のトンデモの例に漏れず、「問題は騒ぐリベラルの側にある」という言いがかりに持っていこうとしている。
たとえば長谷川氏に言わせれば、「昨今のセクハラ騒動に欠けた視点」とは「人物、人間力がうんと大きければ、そういう欠点は問題にならないほど小さなものになる」という「視点」だという。そして、「いま世の中がすべて『フェミニスト流』の発想に染まっている」ことが原因として大きいとしたうえで、このように述べるのである。
「つまり、女性は被害者だという考えから出発してすべてのものごとを見る。だから、気に食わない男に触られたらぶん殴ってやればいいのに、セクハラ被害だ、#MeTooだ、となる。
ようするに言いたいのは「フェミニズムが諸悪の根源」ということだろう。この種の難癖はもう聞き飽きているので、相手にするのもバカらしいのだが、ひとつだけ言っておく。「セクハラとかMeTooとかつべこべ言ってないで嫌なら殴れ」と説教をするあなたは、どうかしている。
殴ることができないのならば、セクハラを受け入れなくてはならないのか。その後もずっと心の内に閉じ込め、誰にも言えず、一人で苦しみ続けなければならないのか。そもそも殴ったらやめるのか。殴り返されるんじゃないのか。殺されるんじゃないのか。殴り返されなくても、言いふらされるんじゃないのか。明日からコイツとどうやって顔を合わせればいいのか。警察に相談しても大丈夫なのか。居場所がなくなるんじゃないか。
人間は、チンパンジーではない。セクハラは、動物的な「繁殖行動の延長」ではない。"人間の社会"における上下構造、たとえば雇用者と労働者、上司と部下、先生と生徒、ネタ元と取材者など、関係性における強者が弱者に対し、その立場を利用して性的な行為を迫るのがセクハラである。
「チンパンジーでは常識」と挑発するのは結構。しかし、私たちはチンパンジーとは違う。チンパンジー社会で生きることはできないし、努力してそうしようとも思わない。あなたがたはチンパンジーの群れに飛び込み、お山で一生を過ごせばよろしい。
(小杉みすず)