杏主演の月9ドラマ『デート ~恋とはどんなものかしら~』(フジテレビ系)は、国家公務員として働く超合理主義の女性・藪下依子(杏)と、ニート生活を送る谷口巧(長谷川博己)との不器用な恋愛模様を描くドラマだ。なにかと理詰めで攻め立てる依子と、自分の好きな文学や芸術に耽溺しながら引きこもる巧の対話のすれ違いが面白い。



 親のすねをかじる巧は、決して自分をニートだとは認めない。ニートではなく「高等遊民」だと言い張る。将来の夢を問われれば「将来の夢なんて、そんなの本物の高等遊民とは言えません。不純ですよ! 高等遊民に対する侮辱と言っていい!」と返す。中学時代から太宰治にハマり、作家か芸術家になることを志した巧。就職活動に失敗し、自宅に引きこもるようになってから、ますます「我は高等遊民也」と開き直るようになる。『働きたくない者は、食べてはならない』との著書を持つ曽野綾子氏からは、そんな者に文学者を志す資格など無いと「区別」されてしまうだろうが、巧は、誰に何と言われようと「ニートではなく、高等遊民」と言い張るのだ。

「高等遊民」は、実際に明治後半から昭和初期にかけて社会問題化した、「高学歴だが一定の職を持たない者」を指す言葉。つまり、昨今の「高学歴ニート」とまったくの同義語である。この「高等遊民」を体系的に研究した唯一の書、町田祐一『近代日本と「高等遊民」 社会問題化する青年知識層』(吉川弘文館)が明らかにする高等遊民のリアルが実に興味深い。

 明治末期には毎年約2万人、昭和初期には約2.5万人、高等遊民が発生していた。国家の求心力が弱まった明治末期や、不況に陥った昭和初期に若者の未就労が社会問題として議論され、危険思想(社会主義・無政府主義・共産主義)に向かいやすい人物として社会から煙たがられた。
ドラマの中で、巧が依子に送るクリスマスプレゼント代を捻出するために、泣く泣く古本屋に売ったのは『小林多喜二全集』。「蟹工船」で知られるプロレタリア文学の代表的作家である小林の作品は、(彼自身は卒業後に銀行に就職しているが)高等遊民を危険視させる風潮を心ならずとも醸成した。

 高等遊民の実数を把握することは難しいが、町田は『文部省年報』中の高等学校、中学校卒業生の「職業未定又ハ不詳」の数値を就学人口と比較して割合を抽出、1908年の時点では、高等遊民の割合は12.38%だったという。文科省の2013年度「大学等卒業者の就職状況調査」を見ると、大学・短期大学・高等専門学校全体の就職率は94.7%(=5.3%が未定)と出ているから、この当時の「高等遊民」の割合の高さが分かる。

 では当時、高等遊民はどのような扱いを受けていたのか。町田の著書に示される膨大な引用をいくつか抽出してみたい。明治末期、苦学生の職業紹介に取り組んだ大日本力行会会長・長島貫兵太夫が雑誌「成功』に寄稿した「高等遊民と社会」のテキストだ。

「『思想とか知識とか云ふ方面をのみに力を入れ過ぎる結果、忍耐と云ふやうな美徳を養成するに遑(いとま)無い』『現今の教育』を批判し、『理屈ばかり云つて頭の高い日用の手紙すら碌に書けもせない者よりも世才に長けた頭の低い者の方が都合が好い』」と、職業紹介する立場ならではの現実的な指摘をする。

 明治末期がこれなら、昭和初期の高等遊民に対する指摘は更に手厳しい。岩谷愛石『現代青年成功の近道』では、地方から無計画な上京をしてたちまち高等遊民となる若者を指差しながら、「詐欺、窃盗、人殺し、肺病、淋病、社会主義、危険思想の持主となつて、都会に於けるドン底生活を為し或は農村に還つて不良青年となつて、此社会国家に害毒を流し親兄弟の顔汚しとなりおまけに故郷の名誉を汚すに至る」と、人格をズタボロに否定する言葉を思いつく限りに重ねてみせた。

 地方から夢を叶えるために東京へ出てきたものの挫折してしまった青年は、いつの時代にも高等遊民になりやすい。当時、高等遊民を少しでも社会に引っ張り出そうと、政府は「帰農」を推し進めた。
つまり、夢なんて追っていないで、とっとと田舎に帰って農業をやれ、と指南するようになったのだ。内務次官から地方長官宛に発した通牒にはこうある。

「事情ノ許スモノハ成ルヘク其ノ出身地方ニ帰還セシメ適当ナル職業ニ就カシムル途ヲ講シ場合ニ依リテハ農業ニ従事セシムル」。とはいえ、昭和恐慌の時期には帰農しようとも働く場所が十分に用意されていなかった。都会から田舎に移ったところで高等遊民のままだった若者たちもいたようだ。

 帰農どころかブラジルや満州に移民せよ、という解決策まで説かれていた。とにかく高等遊民許すまじ、という空気に満ちていたことがわかる。明治期には、植民地である朝鮮への植民が提唱された。「所謂高等遊民ハ国内に溢るるに拘はらず、新領土若しくハ国外に於て活動すべき」(『万朝報』)とまで書かれている。現代語訳するならば「ニートはああだこうだ言い訳してないで国外に出て働いてこい」ということ。いまの高学歴ニートに対する風当たりも強いが、高等遊民の先輩たちが受けてきた風当たりに比べれば、まだ生易しいものなのかもしれない。

 小説家・近松秋江(徳田浩司)は、東京専門学校(早稲田大学の前身)を卒業後、先輩の紹介で出版社や新聞社に就職するもすぐに辞めてしまい、高等遊民になる。
怠惰な徳田は自意識だけは立派で、「文学学術の人が、其の創作に苦心して、思ふやうに書けず貧に苦むは古今東西の先例あること」と言い、「クリエイティブなことをやりたい人間は就職しちゃダメっしょ」的な考えのもと、高等遊民を続ける。同棲を始めた女性・ますに小間物店を経営させ、自分は執筆に没頭する。しびれを切らした彼女から別れを持ち出される。「文学者には、もう飽いた。一生借家住居の人の女房になつてゐたのでは、何時何時夫に死に分れて、路頭に迷はねばらならぬかも知れぬ」と言い残して去られた彼は、洋書の大半を売り、金を作ったという。本棚の全集を売ってクリスマスプレゼントにネックレスを買った巧よりも悲惨な暮らしをしていたのだ。

 高等遊民の味方をしてくれたのは内田魯庵くらいのものだった。「文明国には必ず智識ある高等遊民あり」とし、「遊民の多きを亡国の兆だなどと苦労するのは大きな間違いだ。文明の進んだ富める国には、必ず此の遊民がある」と断言してみせた。しかしながら早速「何も遊民を喜ぶのではない。あっても決して差支えないと言うのである」と歯切れが悪い。それだけ高等遊民に対するイメージは底を突くほど悪かったのだろう。


「我は高等遊民也」と宣言する長谷川博己演じる巧には、社会に馴染もうとしない頑固っぷりを面白がりながら、渋々付き合ってくれている家族や友人がいる。恋に落ちるかどうか、という相手もいる。かつての高等遊民からは、そのリア充っぷりに「オレたちの苦悩を知らずに高等遊民を名乗るな」と、怒りと嫉妬を買うかもしれない。なんたって彼らは「社会国家に害毒を流し親兄弟の顔汚しとなりおまけに故郷の名誉を汚すに至る」とまで言われてきたのである。かつての、四面楚歌の高等遊民を追想しながら、現代の高等遊民の行く末を見届けたい。
(武田砂鉄)

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