
スポ根ドラマ「柔道一直線」に憧れ中学・高校時代は柔道部

スポーツ根性ドラマで「柔道一直線」というのがあって、それを見て憧れましてね。当時は柔道部に入る人が多くて部員が50人ぐらいいました。その頃、剣道部は「おれは男だ!」という青春ドラマ、バレーボール部は「ミュンヘンへの道」とか「サインはV」、野球部は「巨人の星」と、スポ根ドラマやアニメの影響を受けて部活を始める人が多かったですね。柔道着はいまでも処分ができなくて、時々、手に取ります。勇気づけられたり思い出したりすることが多い大切な品物です。

付属の高校に通っていたので、大学進学時、父に学部について相談しました。
―――しかも酔っ払って、ご機嫌さんで?
その時は既に先生に「商学部を希望」と伝えていて、先生に相談すると「いまさら経済学部は無理や」と言われて、結局、諦めることになりました。自分の進路について父に初めて真剣に相談したことを簡単に翻意したことに腹が立ってね。以降、口をきかなくなりました。自分のことを一生懸命に考えてくれていると思っていた父に裏切られた気持ちでね。まあ、多感な時期ですから...。
突然、父から電話「会社が年末までもたない」

心配していましたね。

ある日、父から電話かかってきまして、「年末まで会社が持たないかもしれない」と言うんです。「年末まで持たないかもしれない」と言う割に、「お前が入ったら必ずこの会社は伸びる」と言うんです。意味不明な話で...。「何を言っているのかな?」と思ったんですけど、少し時間を置いて妻に相談したら「自分の考えの通りに進めたら」と言われました。それが結構、ドーンと後押しになりましたね。
「海から陸に行くぞ!」と大号令 アウトドアメーカーに

当時、会社はアルミボートやゴムボートを中心とする海洋レジャー用品の販売をしていたのですが、20代の私でもわかるほど在庫が多いんですよ。色々な在庫を抑えながら商品を絞り込んで、業績がちょっとずつマシになって...。
―――「海から陸」ですか?
そういうキャッチフレーズで舵を切りましたね。キャンプ用品の分野にどんどん進んで、1985年から1995年までの10年間はずっと右肩上がりでした。ところが、1995年から1996年ぐらいから業績が急に悪くなったんです。当時、我々の主力取引先だった当時の大手スーパー『ダイエー』が、その辺りから業績が急速に悪くなり出しまして...。あおりで弊社の業績が悪くなったタイミングで父に「お前やれ」と言われて、1998年に社長になりました。
「山ガール」と「5m・800m理論」が会社の危機を救う

社長になってから7年間のうち3回赤字で、そのうちの2回は連続赤字でした。
―――起死回生の策はあったのですか?
起死回生の策はあまりなかったんですよね。ただ、1985年から1995年までにあった我々の「第1次隆盛期」にキャンプを経験した子どもたちが大人になったら、きっとキャンプをするようになるだろうと。そうなったら「第2次のブーム」みたいな隆盛期が来るはずだと考えました。すると、2009年に「山ガール」というブームが来たんですよ。やがて彼女たちは母親になるから、子どもを連れてキャンプに行くことになると見込んで、「いよいよチャンスが来た!」と思って準備を始めました。
―――「女性と子どもに特化する目線で」というのは、そこからですか?
お母さんと子どもたちをターゲットにしようと決めて。「きっとこれが差別化にもなる」と考えました。
―――「山ガールブーム」は2009年で、そこから業績が上がった感じですか?
徐々に業績は上がりだして、ちょうど「山ガール」の人たちがお母さんになって、子どもが2から3歳になったのが2015年ぐらいからだと思うんですけど、そこから2022年まで7期連続増収増益ですね。コロナ禍にもかかわらずで、まさに「山ガールさまさま」です。
女性や子どもをターゲットにした「コンビニエンスなアウトドア施設」を作りたい

突拍子もない業種業態に入り込んでしまうと失敗して取り返しがつかなくなります。「アウトドア」というワードを軸にして1つの曲を奏でる多重奏な経営をしようと。例えば、『ロゴスランド』のようなテーマパーク事業ですね。いま、高知県須崎市と京都府城陽市にあって、いくつか新しい案件も来ています。車で10分から30分ぐらいの場所にあって、そこに行ったら子どもが遊べる遊園地があって、目の届くところに子どもたちがいて、お母さんたちはカフェで何かを飲める、みたいな所がいいと思っているんです。週末になったらお父さんと一緒にお泊りもできるしね。

「雰囲気だけはアウトドア」的な、そんな感じですね。全天候型でエアコンも付いています。「虫もいるし、夏の暑いときは嫌だ」っていうお母さんたちに向けて、あるいは子どもたちに向けてハードルを低くしてあげようということで考えた部屋です。部屋によってはテントが3つあるので、グループキャンプみたいに2から3組の家族で来てワイワイガヤガヤできます。

我々の支持者といいますか、お客さんの多くは女性と子どもです。女性や子どもたちをメインターゲットにしてロゴスのメイプルマークを見たら子どもたちが笑顔になるような、自然に喜んでもらえるようなブランドを目指しています。思いついたら「いまから行こう!」と言ってもらえるような、コンビニエンスなキャンプ場施設をたくさん作りたい。我々はファミリー、女性や子どもたちに愛されるブランドとして、マニア以外の人たちの認知度が相当上がってきました。そんなブランドはほかにはありません。我々の一番の強みで特色だと思っています。
―――最後に、柴田社長にとってリーダーとは?
明るい行先を共有して、道なき道を進む勇気と覚悟と行動力のある人。それがリーダーだと思っています。
■柴田茂樹 1956年、大阪市生まれ。1979年、同志社大学商学部卒。同年、スポーツ用品卸売会社入社。1982年、大三商事(現ロゴスコーポレーション)入社。1998年、社長就任。現在に至る
■ロゴスコーポレーション 1928年、柴田茂樹氏の祖父が船舶用品を扱う「大三商会」創立。父が社名を「大三商事」に変更。1997年にいまの社名「ロゴスコーポレーション」に。国の内外に85店舗。グループ全体で働く600人あまりのうち、女性比率は50%を超える
※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。
『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
過去の放送はこちらからご覧ください。