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『欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)』はNHKだからこそ出来る希有な番組である。2020年1月26日、新シリーズの放送を見た。
ところで、記録(record)されたものは、記憶(memory)されたものとは、違うことが往々にしてある。それは、番組になって放送されたものは、その記録をディレクターが自分の記憶によって編集したものであるからだ。
[参考]崩壊するビートたけし「大抵のことは許してもらえるオイラ」というキャラクター
記録は同じだが(時には意図的に、あるいは考えが足りずに記録しきれなかったものもあるが)記憶はそれぞれ人によって違うから当然できあがりは違うものになる。これが各人あまりに違いすぎると、番組としての統一感がなくなるので、プロデューサーが調節する。同じ商品名なのに全く違う味のチョコレートを売るのは詐欺である。
では、『欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)』は、どんな方針のもとに記録(record)の「記憶(memory)を提供しているのだろう。それこそは番組の志そのものではあるまいか。
ここで公式HPに記された番組紹介を引用する。
「お笑い界のレジェンド『欽ちゃん』こと萩本欽一による、台本無し!リハーサル無し!という予定調和を一切排したムチャ振りから生まれる抱腹絶倒の爆笑エンタテインメントショー!!」(ここまで引用)
とある。つまり番組は、
*欽ちゃんがお笑い界のレジェンドであること。
*その欽ちゃんかつてやって一世を風靡した「台本無し!リハーサル無し!という予定調和を一切排したムチャ振りから生まれる抱腹絶倒」
を再現することが目標であることがわかる。だから、番組は欽ちゃんが投げかけた結果生まれた抱腹絶倒という結果の記憶を放送している。
ところで、筆者は、欽ちゃんがやって来たことを「台本無し!リハーサル無し!という予定調和を一切排したムチャ振り」だとは、思わない。むしろ、
*頭の中に綿密な台本を作り、
*リハーサルを短くすることで緊張感と新鮮味を担保し
*絶妙な振りをすることで、相手役を動かす
ことだと思っている。となると、筆者が番組で見たいのは、抱腹絶倒という結果記憶ではないのである。見たいのは手続き記憶である。手続き記憶とはなにか。筆者が学んだ結果記憶と手続き記憶についてカンタンに解説しておく。
あるビルの駐車場に止めた車を外に出すとする。この時「車の駐車場所を覚えておく」のが結果記憶である。
で、番組に戻れば、筆者が見たいのは抱腹絶倒に至る手続き記憶なのである。ならば編集方法は微妙に違ってくるに違いない。欽ちゃんは、笑いにおけるスタニスラフスキーであり、その考え出したシステムは永遠に記憶すべきなのである。