黒田 麻衣子[国語教育者]

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突然の臨時休校で、とまどっている皆さんも多いことと思います。学校に行けないのは残念だけれど、行けない時間も有意義なものに変えて欲しいと願います。
たとえば、この時間を使って、本を読んだり映画やドラマを見たり、普段は忙しくてなかなか出来ないことをしてみませんか? 何から読めば良いのかわからない、映画やドラマを見てみたいからオススメを教えてほしい、という皆さんに、さまざまな方からのオススメ作品を学年別に紹介していきますね。

今回は、全国大学国語教育学会会長の山元隆春先生(広島大学教育学部教授)からのメッセージです。対象学年は、中高生です。先生、よろしくお願いします!

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こんにちは、山元です。急に「休み」になってうれしい? でも友だちや先生たちに突然会えなくなって困ってしまうよね。誰にも会えないときには、自分の世界をつくるとても大切なチャンスだと思うようにしましょう。自分の世界をつくっておけば、また新しい学年で、新しい学校で、大切な誰かが見つかります。

けれど、自分で世界をつくるなんてむずかしいよね。映像作品もいいけど、自分の頭のなかで想像すればタダです。少し古い小説だけど、先生も通勤列車で時間を持て余した時に読んで見た、そういう想像しがいのある世界が書かれた小説をまずは三冊紹介します。

ジョージ・オーウェルに『動物農場』という小説があります(山形浩生訳、ハヤカワepi文庫、ほか)。皆さんも本屋さんで見かけた人がいるかもしれません。
先生は高校生のとき、英語の副読本のなかに『動物農場』からの抜粋があって、思わず「ヘンテコな文章だな!豚が話してる!」と心のなかでつぶやいていたのですが、気になって、ずいぶん後になってから文庫本を買って読みました。

[参考]<視聴率ビジネスからの脱却>テレ東「青春高校3年C組」が好デビュー

「荘園農場」と名付けられた農場に飼われていた動物たちが、あるとき農場主を追い出して、そこを自分たちの農場にしてしまう話です。それは一つの「革命」なのですが、動物たちが自分たちを解放して終わるというふうに単純な話ではありません。風刺的な一つの寓話ですけれども、荒唐無稽な話だと笑ってすますわけにはまいりません。この話は、読者であるわたくしにとって世界を知るための窓の一つ(大衆と共同体との違いや、社会と個人との関係について考察する糸口)でありますし、自分を知るための鏡(集団のなかで何を自分が行っているかを省みる糸口)となりました。

ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』(平井正穂訳、岩波文庫、ほか)も風刺の効いた話です。子どものころに読んだ? そうだよね。そういう人も多いと思いますが、だまされたと思って岩波文庫のものを読んでみてください。

ガリヴァーの旅行記は荒唐無稽な話でも、出鱈目なほらでもありません。後半の方に馬の国に行くくだりがありますけれども、そこで人間は馬語で「ヤフー」と呼ばれています。馬と人間の地位が転倒した世界がそこには描かれる。これは、冗談のようなものでしょうけれども、とにかくそこのところを読んでいると不思議と「ヤフー」と呼ばれることに、人間の読者であるわたくしは慣れてきて、そのうち、人間の世界の家畜の位置に滑り込んでしまう。
そして、馬たちが言う人間の悪口のようなものに素直に耳を傾けてしまいます。馬と比べると人間はなんと貧相な存在なのかということを思い知らされるわけです。でも現実に馬がそんなことを考えているとは思えません。そういうことをスウィフトが言いたいわけではない。

スウィフトがガリヴァーにいろいろな国(そのなかには巨人の国があったり小人の国があったり雲の上のラピュタという国があったりします)を巡らせているのは、ガリヴァーは変わらないのに周囲が変わることで、等身大の人間がこんなにも日常とは違って見えることを示すためです。そこのところを読まないと、『ガリヴァー旅行記』は少しもおもしろくありません。まして、こんな世界が現実にあるわけないなどと思ってしまったら、途端にこの話は変な話だということになってしまいます。今この世に生きるわたくしたちの存在に揺さぶりをかけてくるからこの旅行記はおもしろいわけですね。

あ、ラピュータという浮島が出てきますが、ご存知の通り、ジブリ作品の『天空の城 ラピュタ』はここから来ているそうです。

[参考]『パクリの技法』ジブリに許されて女子高生社長に許されないパクリの違い

もう一冊、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』(八木敏雄訳、岩波文庫、全3冊、ほか)。白鯨モービィ・ディックを追いかける船乗りたちの物語です。19世紀に盛んに大海原に出ていった捕鯨船が舞台です。


わたくしは船乗りではありませんが、この小説を読んでいると捕鯨船団のひとびとの暮らしが臨場感を持って迫ってくる。海とクジラと船にやたらと詳しくなります。そんなことをして何になるのかと自分でも思うのですが、この小説はその海の博物誌的なところがおもしろくてしかたありません。そして、彼らが鯨を捕った目的は食べるためではないということがよくわかります。マッコウクジラのマッコウは抹香。つまり香水の原料としてのクジラの油を採取するために、彼らは命がけで海に漕ぎ出したのです。捕獲した鯨を船で曳航していくのですが、当然その血のにおいをかぎつけたサメたちが寄ってくる。肉がほとんど食べられても船員たちはほとんど気にしません。目的は肉ではなかったのですから。そんなことが伝わってくる。

これは、今わたくしが現実に海に漕ぎ出したところでわかりっこありません。「読む」からわかるんです。
こういうところが読書というのはすごいことなんだなぁと思います。わたくしの限られた心と魂を見事に拡張してくれるのですね。そして『白鯨』の時代は黒船の時代でもあります。ペリー提督の時代と『白鯨』の時代はすごく近いわけです。しかもエイハブ船長たちの船が最後の航海をするのは日本近海です。

エイハブ船長の船には、たしか「スターバックス航海士」という人物が出てきますが、「スタバ」の名称はここから来ているとかそうでないとか・・・。とにかく「スターバックス・コーヒー」以外に私は、この作品でしか「スターバックス」という名前に出会っていません。

こんなふうに、読書とは、世界を知るための窓であり、自分を知るための鏡であり、心と魂を拡張するためのツールであると思います。

次回は、先生が小中高校生の頃に影響を受けた本を紹介しましょう。スケールはちょっと小さくなってしまいますが。
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