難病を乗り越えて…
くらたま倒れたの、いつだっけ?最初は原因不明で、心肺停止しちゃったんだよね。
中村ええと…。詳しくは夫に聞かないとわかんないんだけど、2013年の夏だね。
100万人に1人くらいの病気なんでしょ?
中村うん。自己免疫疾患。神経系統がうまく働かずに体が動かなくなる病気なんだよね。今は左足と左手が麻痺してるけど、次はどこを動かせなくなるのかわからない。
くらたま手も動かないの?
中村そう。転んで手をついちゃったことがあって、それから動かなくなった。
くらたま怪我も怖いね…。うさぎちゃんは昔からハイヒール大好きで、「スニーカーなんか履きたくない」って言ってたけど、今はどうしてるの?
中村今はしょうがないからヒールのない靴を履いてるよ。杖で歩けるようになったしね。
この間、友だちから「病気になる前はピンヒールでぐらぐら歩いてたけど、今は昔より足取りしっかりしてるじゃん」て言われた。そんなふうに見られてたとはね(苦笑)。
確かに昔は不安定な靴ばっかりだったよね。ヒールのない靴は持ってなかったもんね。
中村うん。スニーカーも持ってなかった。
望ましくない変化は絶対に受け入れない脳
くらたまじゃあ、倒れてからもう7年も経ってるんだね。
中村そうね。だいぶ慣れてきたけど、今でも夢の中ではちゃんと歩けるし、飛んだり跳ねたりできるんだよね。「杖がないと歩けない」のが現実なんだけど、脳は望ましくない変化は絶対に受け入れない。
例えば、整形した時って最初は喜んで見てるんだけど、そのうちその顔に慣れちゃって、前の顔を忘れしまうの。これには自分でも驚いたね。顔ってアイデンティティなのに、記憶が上書きされて、もともとの自分の顔を忘れるんだよ?
自分が写っている昔の写真が机の引き出しからひょっこり出てきた時とか「誰?」ってなっちゃう。着ている服とかでさすがに自分だとはわかるんだけどね。
くらたまそんなに忘れちゃうんだ…。

でも、自分にとって「歩けない」といったマイナスのことは受け入れられないから、脳が上書きしないでずっと心に引っかかり続ける。
脳は「もしかしたら元に戻るんじゃないか」とか思ってるから、しぶとい。まあ、今は杖で歩けるようになったから、車椅子の時よりはだいぶマシだけどね。
本当に怖い「歩きスマホ」
くらたま今はトイレも一人で大丈夫なんでしょ?
中村うん。外では杖を使うけど、家の中では伝い歩きできるくらいまでになった。
障がいを持って感じたのは、外だと「歩きスマホ」の人が怖すぎるっていうこと。やっている方は大丈夫だと思ってるんだろうけど、目の前からこっちを見ずにずんずん歩いて来て「この人、絶対に私にぶつかる」と思ったら、足がすくんじゃう。
くらたまなるほど。普段は見逃してしまいがちだけど、その立場になってわかることがあるね。
中村そう。歩きスマホだって自分もしてたかもしれないから、障がいを持つまで怖いことだっていうことに気づかなかった。
くらたまそうだよね…。
中村歩きスマホのほかには、必要ない人が多機能トイレを長時間使うのはほんとやめてほしい。
まあ子どもが小さいとトイレが大変なのもわかるんだけど、トイレだけさせてるとは思えないくらい長い人もいるんだよね。着替えとか荷物整理とかしてるのかもしれないけど…。

当事者感覚だよね…。「自分が障がいを持ったら」ってなかなか考えられない。
中村あと、世の中まだまだバリアフリーじゃないね。長い階段になると、エレベーターがあるところも多いけど、実は5段くらいの階段が大変なのよ。
くらたまそれもなかなか気づかないなあ。確かに車椅子じゃ厳しいもんね。
中村建物の構造上でしかたなく段差があるのはしょうがないけど、オシャレのつもりで階段をつけてるカフェとか、「なんでこんなとこに階段が!」ってなる。
くらたまどこがバリアフリーに対応しているとか、そういう情報ってホームページで見るの?
中村ネットで探す時は店内写真で階段がどういうふうになっているかをチェックする。あとは手すりがあるかどうか。今は手すりがあれば階段も使えるからね。
なるほど。
中村ウチは1階と地下のメゾネットタイプで、風呂場が地下だから大変。降りる時は「尻降り」で、昇る時は四つん這いで昇り降りしている。尻降りはお尻が汚れるけど、安定感があるんだよね。
お気に入りのレストランが半地下にあるんだけど、今でも尻降りして通ってるよ。だって、そうまでしてでも行きたいレストランだからさ(笑)。
「偽装結婚」と叩かれてから20年以上
くらたまそれにしても、旦那さんがうさぎちゃんのことをずっと介護しているんでしょ?すごいことだよね。
中村ほんとにね。「介護の大変さ」を誰よりも夫に語ってほしいんだけど、語りたがらない。私には彼ほどの介護はできないね。
くらたま私も夫にはできないなあ…。
中村まあ、夫も今のほうがやさしいかな。あの人、捨て猫とか弱い者にやさしいから。

夫婦の形はいろいろだけど、こんな献身的な介護は、普通はできることじゃないよね。24時間だもの。介護がムリで離婚する夫婦もいるしね…。
中村ほんとだよ。ゲイで外国籍の夫と1997年に結婚した時は、「偽装」って叩かれたけど、もう20年以上続いてる。それに、今も献身的に介護してくれてるからね。もう誰にも「偽装」とか言わせないよ。
「恋愛結婚で異性で子どもがいても、オマエんちの旦那はここまでやってくれるか?」って言いたいね。「結婚って何?」って話よ。
くらたまほんとそうだよね。危機が来ると、そのあたりが浮き彫りになるね。
普通の夫婦の危機ってさ、だいたい浮気なんだけど、私たちはもともと「お互いに恋愛とセックスは外で自由にやる。そして、外での恋愛やセックスは一切、家に持ち込まない」という取り決めで結婚して、お互いに外で恋愛をしてきた。
まあ今は彼は52歳、私は62歳なんで、すっかり二人で枯れちゃってるけどね(笑)。
くらたま全部つながってるんだね。
病気になって「あきらめること」を知った
中村普通は、年を取ってムリができなくなって、いろんなことをあきらめるんだと思うんだけど、あたしは病気で体が不自由になってあきらめた。
「不自由とは、いろんなことをあきらめること」だとわかったね。でも、障がいがなかったら、いつまでもあきらめてなかったと思う。
この年になっても着飾ることや遊びに行くこと、恋愛すること、セックスすること、これらを何一つあきらめずに、「私はまだイケるはず」って、舞台から降りられない女優みたいになってたと思う。
いろいろあきらめなきゃいけないのに、自分自身あきらめが悪いから、整形して加齢の衰えを隠して、いろんなことを自転車操業でやってきたの。病気はあきらめる良いきっかけになったね。
くらたまそういう発想にいかなくなったってことでしょ?性を手放すって、誰しもいつかはあることだから。
中村もう何もしたくなくなっちゃった。
くらたましみいるねえ……。
中村今は、必死感がないというか、生きてる実感がないんだよね。毎日ぼんやりして生きてる。
くらたまそれはそれでいいんじゃないの? あんまり過激な生き方を続けても…。

人生は、私にあきらめるための「病気」という名の引導を渡してくれた。なんだかあきらめたら、すごく楽になったよ。
昔は楽しかったけど、苦しかった。いまは楽しくも、苦しくもなくただ楽だね。
私は母が認知症だけど、昔は人から笑われるのをすごく気にしてた。父が介護してるんだけど、今は人からどう見られるか考えなくて気ままにふるまうから、周囲は迷惑だけど、幸せだと思う。
認知症って、責任感とか義務感とかぜんぜんなくなるのね。
くらたまそういうのから自由になっていくのがいいね。
中村呆けた者勝ちだよ。老化は楽になることだと思う。そして「最終的な楽」は、死ぬことだよね。
- 撮影:荻山 拓也

中村うさぎ
1958年、福岡県生まれ。同志社大学文学部英文科卒。OL、コピーライターを経て、ジュニア小説『ゴクドーくん漫遊記』がベストセラーに。買い物依存症の日々を赤裸々に描いた「週刊文春」連載コラム「ショッピングの女王」がブレイク。著書として、『女という病』『私という病』『愛という病』『狂人失格』『うさぎとマツコの往復書簡』(マツコ・デラックス氏との共著)『あとは死ぬだけ』など多数。