因果とはホルモンが私たちにさせる悪さだった?

くらたま

伊藤さん、お久しぶりですね。以前お会いしてから、大きな変化はありましたか?

伊藤

普段考えていることが変わったように思います。閉経過ぎるとホルモン量というのがガーっと下がるらしいんですよ。

これは、あらゆる医者が言っている事実です。すると、身体の変化だけではなくて心も変わる気がしました。すっきり霧が晴れたような気持ちになったんです。

今まで私が悩んでいたことは、目の前に霧がかかって、雲の中にいたんだという思いになりました。

くらたま

面白い話ですね。

伊藤

それは欲望という雲でね。物質や好みの男性を見ると、「それが欲しいだろう」と掻き立ててくるんです。考えてみれば、それらは「本当の私」ではなく、ホルモンさんが私たちにさせていたのではないか、と思うようになりました。それぐらい気持ちがスッキリしたんです。

くらたま

大変身ですね。それは、閉経と関係があるんですか?

伊藤

閉経とホルモン量です。ホルモン量とは何かというと、私たちの中の化学物質でしょう?でも、これを昔の人は仏教的に「因果」と言ったんじゃないかと思うんです。

くらたま

それはどんな意味なのですか?

伊藤

よく「親の因果が子に報い」って言うでしょう? 何か悪いことが起こったら、前世で行った悪いことが返ってきているから、自分たちでコントロールできるようなことではない。

霧が晴れる感覚を味わうと、今まで「因果」と思えていたような出来事はホルモンがそうさせていたんじゃなかろうか…と思えてきたんです。女性に限っての話になりますけどね。

くらたま

生々しくてリアリティがあります。私も今50歳でさまざまな変化に悩む年齢です。まだいろいろな煩悩にかられていますし、その煩悩と自分の実年齢や状況が合致せずに苦しむようなところがありますね。

伊藤比呂美「年月を重ねてわかった“霧が晴れる”感覚。その先に...の画像はこちら >>

伊藤

あと8年で楽になると思いますよ。私はそれぐらいの年齢のときには、老いに抗う気もなくなりました。

くらたま

心境の変化があったんですね。

伊藤

もっと別のことを考えるようになって興味がなくなったんです。でも、インターネットで漫画や本を買いまくる欲望はまだありますし、鉢植えの植物も欲望丸出しでぐわあっと買い出しに行ったりしますけどね(笑)。

くらたま

欲しいものや、やりたいことは変わるんですよね?

伊藤

変わります。

でも、それらが変わっても私は私でしょ。むしろ、今はこっちの方が本当の自分だったと思えています。子どもの頃の自分の感覚に近いかもしれません。

くらたま

なるほどね。確かに、子どもの頃無性に好きだったことは、世の中の価値観に影響を受けて興味を持ったこととは違いますよね。

伊藤さんは、ギラギラしたホルモンによる欲望はもう手放したのですか?

伊藤

手放してないし、手放すつもりもないんですけどね。なんか物事への見方が変わったんです。クリーンでクリアな目で見られるようになった気がします。

くらたま

霧が晴れる境地、楽しみなようで、怖い気もします。

伊藤

霧は抗っていても晴れますからね。だったら霧が晴れたあとの青空を楽しみに生きる。そして青空が来たときに、ああこれが青空ねって思った方が楽ですよ。

閉経が来るとガーッと衰えますからね。私、ずっと同じ美容院に行っているから美容院の鏡に映った自分の姿を見て変化を感じるんです。お母さんやおばあちゃんに似てきたな…とかね。

そんな変化を感じることが増えてくるのが閉経後です。この感覚は、昔の人たちは感じなかったことかもしれないですね。それほど年をとるまでに死んでいただろうし…。長生きができてしまう、すごい時代に生きてるんだなぁと思いますね。

3人の介護のあとに感じた達成感

くらたま

伊藤さんは、ご両親とご主人の介護もされていたんですよね?

伊藤

母の介護は直接はしていないんです。寝たきりになって入院していましたからね…。母は、病院に入る前から認知症になって、同じ食品や化粧品をたくさん買うようになっていきました。

また、水の量を大幅に間違えてごはんを炊いたり、目玉焼きを真っ黒焦げに焼いたりするようになっていったんです。母と一緒に住んでいた父はまともに食事がとれなくなってしまい、栄養失調の診断を受けました。父自身も身体が弱って、食事をつくるのが難しいような状態でしたからね。

そこでホームヘルパーさんに来てもらうようにしたんです。

伊藤比呂美「年月を重ねてわかった“霧が晴れる”感覚。その先には青空が待っていた」

最初、母は家事を人に明け渡すことに抵抗感がありました。そして、ヘルパーさんにお客さんのような扱いをして、お菓子を遠くまで買いに行ったり、お茶を出したりしていたんです。

ヘルパーさんが話し相手になり、一緒に家事をするようになって自然に溶け込んでいきました。介護では、外からサポートの手が入ることに抵抗を感じる人も多いと聞きますが、焦らずに少しずつなじむというのもありなんだなと思います。

実はその頃、両親はよく喧嘩をしていたんです。そのことをヘルパーさんに相談したら「喧嘩するお年寄りの夫婦は多いです」って言われました。喧嘩が刺激になっていると。

くらたま

夫婦喧嘩があっても良いと言われると、ちょっとほっとしますね。してはいけないもののように考える見方もありますから。

伊藤

夫婦喧嘩が2人にとっての表現方法になっているケースもあるようです。長く一緒にいたからこそ、相手に言い返したくなる気持ちも出てくると思うんです。

それでいいと思います。その代わり、喧嘩相手がいなくなったら本当に寂しい。母が亡くなったあと、父は「今朝見た夢をお母さんに言えないのが寂しい」と言っていました。

くらたま

なるほどなあ。

伊藤

その後、母が亡くなり自宅に住む父の介護が必要になりました。私は遠くに住んでいたので、父が1人で暮らせるようにヘルパーさんのローテーションを組んで、遠距離でも父の介護のためにできることを探したんです。

アメリカにいながら、朝起きたあとやお昼ご飯のあと、寝る前などに電話をしていました。でも父は寂しがっていて、「退屈だから、今死んだら死因は“退屈”って書かれてしまうなぁ」とか言うんです。

くらたま

面白いお父さまですね!

伊藤

面白いことをいろいろ言っていました。母はずっと病院にいましたが、父は自宅だったのでたまに帰ると下のお世話をさせてもらったことがありました。ほんの何回かのことですが、その「何回か」がありがたかったです。

くらたま

この先、霧が晴れて子どものときのような自分に戻れるのであれば、希望が持てますね。

霧の中にいると、欲望と本来の自分が乖離していくつらさがありますから。

伊藤

倉田さんは、何と何が乖離しているんですか?

くらたま

女としてのありようですかね。私は結婚もしているし、女性として持つさまざまな煩悩は捨てる立場でいないといけない。しかし、霧がそうさせてくれないんです。

伊藤

倉田さんの場合、霧じゃなくて倉田さんかもしれないわよ。

伊藤

倉田さんは、霧の中で見ているものがお仕事に直結していますからね。これまで信じてきた自分像にこだわらず、明日の自分を見ていくと楽かもしれないな。

女としての姿が変わっていくことに対しても、マイナスと捉えるのではない方法がある気がするんですよね。

くらたま

それはいいですね。達観とかそういう言葉ではなくてですか?

伊藤比呂美「年月を重ねてわかった“霧が晴れる”感覚。その先には青空が待っていた」

伊藤

どうでしょう。それは倉田さんが発見してみてください(笑)。

ちなみに、人の魅力は年齢だけでは図れないところがありますよね。私は、夫が68歳のときに知り合って、いい男だなと思いました。

くらたま

知り合ったときに68歳というのはすごいですね。

伊藤

男の最高は60代ですよ。霧が晴れたあとの青空の感性で向き合ってくれるから、すっきり付き合えると思います。80歳になると違う雲がいっぱいかかってきますけどね。

くらたま

霧が晴れる感覚、どんな感じなんでしょう。霧の向こうが楽しみになってきました。

伊藤比呂美「年月を重ねてわかった“霧が晴れる”感覚。その先には青空が待っていた」
倉田真由美イラスト

伊藤比呂美

1955年、東京都生まれ。1978年に『草木の空』でデビューしてから80年代の女性詩ブームをリード。結婚・出産後1997年に渡米してから熊本の両親の遠距離介護を続けた。2018年から熊本に拠点を移し、2021年春まで早稲田大学教授。1993年現代詩手帖賞、1999年野間文芸新人賞、2002年産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、2006年高見順賞、2007年萩原朔太郎賞、2008年紫式部文学賞、2015年早稲田大学坪内逍遥大賞などさまざまな賞を受賞。

編集部おすすめ