超高齢社会に突入し、日本で労働力人口が減少していくのは避けられない。その中で、いかに労働供給を増やすか。
介護と仕事を両立させた母から学んだこと
みんなの介護 介護によって働けなくなってしまう介護離職がいま社会問題になっていますが、ご自身の経験としてはいかがでしょうか?
近藤 まだ介護には自分ごととして向き合ったことはないのですが、介護離職は大きな問題だと認識しています。
介護と仕事を両立していた私の母の事例はヒントになると思います。私の母は教員をしていました。ずっとフルタイムで働いていたのですが、私が大学生のとき母方の祖母が寝たきりになり、介護が必要になってしまいました。
母は一人っ子で他に頼れる親族はいなかったのですが、その代わり自分で利用できる制度を調べてあらゆるサービスを使い倒していたんです。実際の介護にはヘルパーさんを呼び、祖母が寝たきりになってからは、療養型施設を利用していました。
この「使えるものは使う」というメンタリティは費用負担の問題はありますが、介護そのものの負担を減らすために大事だと思います。
一方、父方の祖母が介護をする様は対照的でした。祖父は2度脳梗塞を起こしました。
当時私はまだ子供でしたが、祖母が介護によって自分の人生を生きられなくなってしまったように感じました。
―― 外に助けを求められたか、そうでないかの違いですね。人の手を借りることに後ろめたさを感じる人も多いように思います。
近藤 そうですね。当事者から「人の手を借りることに罪悪感があって頼めない」という話をよく聞きます。助けを求めればちゃんと制度があるのに、そこまでたどりつかない。母はその「後ろめたさ」というか、「私がやらなきゃ」というメンタリティをあえて持たないように努めていたのかもしれません。
とはいえ、母が仕事と介護を両立できたのは、たまたま条件が恵まれていたということもあります。子育てはほぼ終わっていましたし、祖母は近所の施設に入ることができました。
当事者の気の持ちようだけではどうにもならないこともありますよね。どうにもならない人をなるべく減らしていくにはどうすればいいかは、当事者だけでなく社会全体で考え続けていく必要があると思います。
経済学で働くことにまつわる問題を解決したい
―― 専門とされている労働経済学についてどんな学問か。わかりやすく教えていただけますか。
近藤 労働経済学は、労働市場のあり方について経済学の視点から研究する学問です。賃金の決まり方や失業が発生する理由などを研究します。
ミクロ経済学で学ぶ理論に「完全競争市場」というものがあります。完全競争市場とは、売り手と買い手(労働市場の場合は労働者と雇用者)の数が非常に多く、個々の売り手や買い手が市場の価格を操作できない状態のことを言います。
この理論によると、労働需要と労働供給が一致するところに賃金が調整され、失業が発生しないことになります。しかし、現実はそうならない。なぜ失業によって困る状況が生まれるのかを分析するのが労働経済学です。

労働力というのは、他の生産手段と異なり、労働者である生身の人間と切り離せません。これが、労働市場が完全競争市場にならない最大の原因です。
―― 超高齢社会で労働力が減る中、この学問によってどのようなことが実現できるとお考えでしょうか?
近藤 様々な角度から、有効な政策立案の基盤となる情報を提供できると思います。
たとえば、保育所を整備することでどれだけ女性の労働供給が増えるのか。年金制度の変更や、再雇用制度の導入でどれだけ高齢者の就業率が変わるのか。制度を変えることで、社会全体で確保できる労働力がどう変動するかを予測することに役立ちます。
私自身の研究は、政策変更の影響や労働市場全体の変化を扱うものが多いですが、企業内の変化の生産性への影響も労働経済学の守備範囲です。
テレワークの導入によってどういった背景を持つ社員に特にメリットがあるのか。それによって定着率や生産性が変わるのか。女性管理職の登用で部下の生産性がどう変わるか。賃金制度の変更の影響はどうか、など、それぞれの企業にとって、人口減少社会で生き残るヒントも提供できると思います。
社会保障制度の“ひずみ”が働く意欲をくじく
―― 女性の問題をとくに研究されているのですか?
そういうわけではないですが、超高齢社会の中でどう労働供給を増やすか?を考えていくと、自然と女性や高齢者、若年世代が研究対象になっていきます。なぜなら、壮年男性の就業率はすでにとても高いですから。問題意識として持っているのは、こうした人々の働く意欲を活かせていないことです。
その原因の一つが、扶養控除や年金などの社会保障制度の“ひずみ”です。簡単に言うと、「働くと金銭的にかえって損をする」という仕組みがそこかしこに存在しているんですよ。
―― 扶養控除はまさしくそのような仕組みですよね。「働きたくても働けない」要因として介護もありますか?
近藤 はい。介護、それから育児が女性が働けない大きな理由になっています。しかし、育児であれば、子どもが生まれたら「おめでとう!」と、周りも明るい気持ちで応援しやすい。反対に介護は「大変ですね」となってしまう。介護は必要ない方がいいですからね。
この違いによって、介護のほうがより社会の理解が進みにくく、話題として避けて通られやすい風潮がある気がします。
直接的な手当や控除で介護・育児の負担軽減を
―― 介護や育児の負担を減らすために制度設計でできることはないのでしょうか。
近藤 当事者に直接手当や控除がされる仕組みを設計すべきです。現状、育児に関しては児童手当がありますが十分とはいえません。また、育児であれば保育園や学童、介護であれば各種の介護サービスなどが十分に供給されるようにすることも大切です。
反対に、配偶者控除は存在そのものに疑問を感じます。現状、妻の収入が一定額以下であれば、夫が配偶者控除を受けられますが、制度が時代に合わなくなっています。
配偶者控除ができたのは1961年。高度成長期にあって、男女の分業が一番広がった時期と言われています。サラリーマンは長時間会社で働き、奥さんが家にいて子育てや介護をしていました。
配偶者控除は、「女性たちは家族のケアを担っているので、その分の支援が必要」と考えてつくられました。しかし、このロジックはもう破綻しています。
現在日本の50代男性の3割弱ほどが独身です。特に一人っ子であれば、親の介護の責任は男女関係なくのしかかってきますよね。
しかし彼らは配偶者控除などは当然受けられない。にもかかわらず、未だに夫が専業主婦を扶養する既婚家庭だけが優遇される制度であり続けている。問題の本質を見失っていると言えます。

景気が悪いのは、仕事がないのはなぜ?が原点
―― 先生が現在の研究をするようになった原点を教えてください。
近藤 私が中学生だった1990年代初頭、バブル崩壊が起こりました。塾で勉強を教えてくれていた大学生が、就活のつらさを嘆いていました。高校生になった90年代半ばには日本経済がひどく落ち込み、大学に入ってすぐ山一證券の破綻などの金融危機がおこりました。
「何でこんなに景気が悪いんだろう」「何でこんなに仕事がないんだろう」という素朴な想いが出発点ですね。
―― 経済学を専攻した頃から研究者になると決めていたのですか?
近藤 もともと、研究者になるつもりはありませんでした。大学3年生の頃まで「国家公務員になって、社会の役に立つ経済政策を考えたい」「日銀に就職して、日本の景気を良くするために貢献したい」などと考えていましたから。
3年生のとき、その思いをゼミの先生に話したのです。すると「君、そういうことをやるんだったら修士号ぐらいないと相手にしてもらえないよ」と言われて。もちろん、それは嘘なんです(笑)。
当時であれば、修士号をとらないで就職した方が、国家公務員総合職の道は開けたと思います。しかし、先生は私を大学院に行かせようと思ったみたいで…。
私もその気になって進学しました。そして実際に行ってみたら、大学院の勉強がとても面白かった!博士課程に進みたくなりました。その後、コロンビア大学に留学して学び、今に至るという感じです。
経済学で味わったパズルのピースが合う快感
―― どのような点に面白さを感じたのでしょうか?
近藤 初歩のミクロ経済学で、「価格調整」というメカニズムを学びました。物の需要側の限界代替率のところで価格比が決まる。それに合わせて生産者の生産量が限界費用と一致する。全部一致したところで価格がピンと一個に決まるという市場均衡がある。
それを見て面白いなと思いました。かなりマニアックな話なので、誰にもわかってもらえないと思いますが(笑)。パズルのピースが全部合っていく感じが面白くて、もう少し勉強しようと思ったのが初期段階ですね。

「完全競争市場」は、失業者も物の売れ残りもなく、すべてのものが効率的に配分される美しい理論です。それが実現したらどれほどいいか。でも実際の市場は完全競争ではない。机上の空論ではないかと疑問を持つようになったのが次の段階です。
卒業論文に取り組む頃、実証分析(理論や仮説を統計データを使って検証すること)を目にするようになります。机上の空論では終わらず、実際に理想を実現していく道があるのでは?と感じるようになっていきました。今は研究者という立場から、理想との距離を縮めていきたいと思っています。
非正規格差を世に知らしめた研究
―― 先生がこれまで行ってこられた研究についてもお聞きしたいです。
近藤 大学院生の頃に80~90年代に学校を卒業した人たちのデータを使って「一度非正規雇用になると、そこから抜け出すのは難しい」ということを示す論文を出しました。
また「学校を卒業した時の景気が悪いと、その世代は長期にわたって所得が低いままだったり雇用が不安定だったりする」という論文を共著で出しました。
就職氷河期ごろまでは新卒採用一本勝負でした。希望の就職が叶わなかった人は、ミスマッチから離職する可能性が高くなります。
また、新卒で正社員として就職できずにフリーターやニートになった場合、それだけで仕事ができなさそうだという偏見をもたれてしまう。
社会的な状況が原因でフリーターになったとしても、就職面接のときに、同じく職歴がない新卒にくらべて不利になってしまうんです。そのため、いちど非正規の職に就くとなかなか正社員になれないのです。
論文を発表後、さまざまな場所で引用していただけました。だからではないとおもいますが、2000年代に非正規・正規の格差が社会的に大きな話題になりました。
そして、その問題に関心を持つ人が増えたことで、少しずつ格差が埋まっていきました。大学卒業後に非正規で働くことになったとしても、第二新卒という形で採用を考えてくれる企業が出てきた。就活で躓くとやり直しがきかない感じから、この20年ほどでかなり変わってきています。
介護職の賃金は補助金では上がらない?
―― 研究によって実態が明らかになったことで、社会を動かす力になったのですね。介護に関する研究もされています。
近藤 はい、地域手当が上がった地域と下がった地域で、介護職の賃金の差を比べてみたことがありました。
しかし、地域手当が上がったとしても、介護職の賃金が高くなったわけではなかった。国が補助金を増やしても賃金に反映されていないという結果が出ました。やはり、何で賃金が上がらないんだろう?という疑問が残りました。
―― 近藤先生からしても、介護職の賃金が上がらないことには謎が残るということですよね。
近藤 コロナ前の2019年、飲食店のアルバイトの時給は100円ほど上がりました。人手不足だったからです。介護も人手が足りないのであれば、時給の相場が上がってしかるべきなのですが。
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高年齢者雇用確保措置で高齢者の雇用は増えた
―― 超高齢社会では、高齢者の雇用の確保も重要だと言われていますね。
近藤 2006年に施行された高年齢者雇用安定法の改正によって、高齢者の雇用のあり方がどのように変わったのかを調べました。
この制度によって65歳未満の定年を定めている事業主は3つのうちのいずれかの措置を義務付けられました。①定年を65歳まで引き上げること。②定年制を廃止すること。③65歳までの継続雇用制度の導入です。導入後、どのような変化があったかを見てみました。
継続雇用制度は、定年退職したあとに再雇用する制度です。しかし、待遇などの具体的な定めがありません。そのため、劣悪な条件を提示することで「自発的な」引退を促されてしまう可能性が経済理論上は存在します。
しかし、実証分析の結果は、高齢者の就業率が上昇していました。特に、従来厳格に定年制が適用されてきた大企業における雇用が増加していました。課題が残っている面もあると思いますが、制度の改正によって全体としては良い方向に進んだと感じます。
高齢者の雇用をすすめても若者の雇用は奪われない
―― 高齢者の雇用をすすめることで、若者の雇用を奪ってしまうのではないかという懸念もあります。
近藤 これは良く聞く懸念です。でも、少なくとも高齢化が進んだ今の日本では、社会がうまく機能するために、高齢者の力が必要です。
たとえば、2007年ごろに団塊の世代が定年退職を迎えました。しかしその穴を補充するほど若者がいない。そこで65歳までの継続雇用が義務化されたんです。
欧米の実証分析では、高齢者の雇用維持によって若者の採用が減っている事例もあります。日本でも、高齢化がこんなに進んでいなかったら、おそらく若者と高齢者の間で仕事が取り合いになっていたでしょう。
一方で、高齢化がこんなに進んでいなければ、高齢者雇用をここまでがんがん促進する必要がないんです。
年金をもらわずに65歳を超えて働くと損をする?
―― 現行の制度においては「ここが問題だ」と感じる点はありますか?
近藤 先にお話しした配偶者控除のほか、年金制度も問題が多いです。先ほどの、継続雇用措置によって65歳まで働く人が増えましたが、65歳を過ぎても年金をもらわないで働くと、かえって損をすることもあるのです。
―― とにかく年金は複雑、私などは「何が分からないのかも分からない」制度になっています。
近藤 すべての国民が公的年金に加入する「国民皆年金」の体制は1961年に成立しました。その後、時代の変化に応じて、さまざまな改正が加えられてきた。その長い経過をたどる中で、訳がわからない制度になってしまっています。
そもそも国民年金・厚生年金・共済年金の3種類が並立している時点で、十分ややこしい。それだけではありません。被保険者は、一生の間に、第1号から第3号まで3つのフェーズを移り変わります。

学生が20歳を越えると、国民年金に加入して第1号被保険者となります。でも、就職してお給料をもらい始めると厚生年金に入り、第2号被保険者となります。自動的に年金が給料から天引きされていき、そのうち一部が国民年金にまわります。そしてもう一つ、第3号被保険者があります。
第3号は、第2号被保険者に扶養されている年収130万円未満の配偶者が該当します。この制度によって、個別に保険料を納めなくても、立場としては第1号被保険者と同じ状況になります。配偶者控除同様、結婚している女性の働く意欲をくじく制度です。
この話だけでも十分ややこしいですよね。さらに65歳以上が働きながら受け取る在職老齢年金制度というのもあるし、夫に先立たれた場合の遺族年金というのもある。
これらをすべて理解し、計算して、最適なプランを考えられる人というのは、ほとんどいないでしょう。そのため、詳しそうな人の意見を信じて多くの人が同じような行動をとっているのです。
高齢者は65歳になるとみんなで仕事を辞める。主婦であれば、第3号被保険者の収入限度額のところまでしか働かない。中には控除を受けないでバリバリ働いた方が本当は得な人も含まれるのではないかと思います。
日本の高齢者の就業率の高さは世界が注目
―― 他国の例で高齢者の労働力をいかしている国はありますか?
近藤 そこにおいては、日本は成功している方です。なぜなら60代の就業率がすごく高い。ヨーロッパの国などが参考にされています。ヨーロッパには、社会保障制度が充実し過ぎているがゆえに、50代ぐらいで多くの人が引退してしまう国がありますから。
―― 社会保障制度が充実し過ぎていないことが、プラスに働いる面もあるのですね。
近藤 そうですね。一方で、年金制度がしっかり確立していないために高齢者の就業率が高い国もあります。OECDの統計によると、かつての韓国がそうです。年金がないから働かないといけない高齢者がたくさんいました。
―― 体調の良し悪しや本人が希望するかどうかにかかわらず、高齢者になっても働かざるを得ない状況というのもつらいです。
近藤 その後、韓国では制度の見直しが進みました。現役世代の人たちが高齢者になったときには年金が出る仕組みになっています。
ちなみに、日本の高齢者の就業率が高いのは、必ずしも年金制度に頼れないからというわけでもありません。
「働きたくない」という価値観も尊重すべき
―― なぜうまくいっているのでしょうか。
近藤 いくつかの要因があります。身も蓋もないことを言うと、高齢化で若者が足りないために、高齢者への労働需要があるからです。
また良い側面としては、健康寿命が延びていることが挙げられます。60代になっても健康で働ける状態にある人が増えています。
それから、高度成長期を支えた60代の世代はアイデンティティが会社にある人が多い。だからこそ、会社に対する帰属意識から「仕事を辞めたくない」と思っています。この状況については、一概に「良いこと」とは言えないかもしれませんが。
それに、社会規範としても「働き続けるのが良いこと」という見方はあるかもしれません。とはいえ、私個人の考えとしては、経済的な余裕があるならば、早めに引退する自由もあってしかるべき、とも思っています。
―― なるほど。ここから一歩進んで、日本の高齢者の活用がさらに進むために必要なことは何だと思いますか?
近藤 まずは先ほどお話ししたように、年金の仕組みをもう少しわかりやすくして、働く意欲のある元気な高齢者が、年金をもらうのを先送りして働き続けても損をすることがないようにする。
少しずつ制度が改善されてはいるのですが、それが一般の人に理解されていないのも問題かなと思います。
個人的には、年齢で線を引いて企業に継続雇用を求めていくやり方はそろそろ限界なのではないかと思います。70歳くらいになってくると、どうしても体力や認知能力の個人差は大きくなりますから。
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撮影:花井智子