「人間として生まれて死ぬことがどういうことなのか。それをちゃんと考えない人間が日本には多すぎる」。
「しまう」タイミングについて考えるときだった
―― 本日は貴重なお時間ありがとうございます。『ドラゴンボール』や『Dr.スランプ』を手掛けた「伝説的な編集者」である鳥嶋さんが、私たち介護メディアの取材を受けてくださった理由をまずはお伺いできますか。
鳥嶋 面白そうだと思ったんだよ(笑)。
―― …面白そうだというのは、これまでに介護や高齢社会についてメディアでお話をされたことがなかったということでしょうか。
鳥嶋 そう。僕もね、ちょうど明日で70歳になるんだよ。…めでたくなんかないよ。この歳になると、頭が「シャキ」っとしているのは、3年から5年、せいぜい10年じゃないかと思うんだ、生きていればね。そういう意味では、“カウントダウン”に入っていて、人に迷惑をかけずに人間らしくどう「しまうか」ということを考え始めるんだよ。
そういうわけで、いい機会なので引き受けました。
―― ありがとうございます。
鳥嶋 ここ最近ですよ。70歳にもなるし、集英社に同期入社した人間も何人か亡くなっているので。
―― 「死」に対する恐怖もあるのでしょうか?
鳥嶋 いいや。ぜんぜん。怖くはないよ、必然だから。高校生のときには「早く50歳になりたい」と思っていたぐらい。 当時は、「50にもなれば色々な迷いもなくなっているだろう」と思ったんだけれども、駄目だったね。煩悩からは自由になれないし、大したことはないなって思うわけ、自分のことをね。
―― 日本中で愛された作品を世に送り出したひとりの人間として、鳥嶋さんを尊敬している方はかなりの数にのぼると思いますが。
鳥嶋 やってきた仕事がたまたま“サマ”になったからそう見えるけど、やっぱりそんなことないから。一緒に仕事をした人との出会いが良かったりとかね。
―― 鳥山先生(※1)しかり。
※1. 鳥山明さん。漫画家。代表作は『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』
鳥嶋 そう。坂口(※2)とか、堀井さん(※3)とかもね。あなたが最初に仰ってくれた作品は、編集者としての自分一人の仕事では決してないわけ。実はさ、11月で「サラリーマン人生」が終わるんですよ。会社から発行される名刺がなくなるということだね。それでね、「これからどうするのか」「何ができるのか」と考え始めて…。でもね、そう考えたときにやりたいことがないのよ、2、3年ずっと考えてたんだけど。
※2. 坂口博信さん。ゲームクリエイター。
※3. 堀井雄二さん。作家。『ドラゴンクエスト』の生みの親
―― やりたいことが見つからないのは、なぜなのでしょうか。
鳥嶋 やっぱり編集者だからさ、相手あってのことなんですよ。例えば面白そうな人を見つけるじゃない?「この人はなんでもっと世の中に出ていけないんだろう」とか「なんでもっと面白いものを作れないんだろう」ということになるとようやく頭が“働きだす”。 自分自身がどうこうっていうのがないんだよね。
その辺はわかってて出版社に入って編集者になったんだけどさ。だからそういう意味では、大学を卒業して色々考えていたときと何も変わらず、47年間成長がなかったっていうことだな(笑)。

超高齢社会に対して思うこと
―― いま日本が直面している「超高齢社会」については、どうお考えですか?
鳥嶋 経験って歳を取ってきた人間の財産なんて言い方をする方が多いじゃないですか。
―― はい。そう思います。
鳥嶋 全然そうじゃない、もしくは邪魔だよ。何か新しいものを作ろうとか、何かやろうってときにそれが邪魔をする。
―― ご経験としてあるのでしょうか?
鳥嶋 やっぱり今がそうだよね。何か新しいものが出てきたときに、例えば漫画でも映画でもゲームでもパッといけないよね。
―― 「一日は自分を奮い立たせることから始まる」ということをあるインタビューで回答されていました。そのような思いを日々、抱えて生きるのは大変なのではないでしょうか。
鳥嶋 でも何かに立ち向かうファイトが本当になくなったら終わりだよな。生きている価値なんてないよ。
―― それでもなおファイトする理由を教えてください。
鳥嶋 「新しいもの」が見たいんだよ。子供のころからそれは変わらない。わくわくしたい。ただ、残念ながら僕にはそれを作る能力がない。
―― 編集者の特権ですね。
鳥嶋 いや、特権ではなく、醍醐味だね。編集者という職業の。
鳥嶋さんからの“逆質問”
鳥嶋 僕はさ、こういうインタビューの際によく逆質問をしているの。あなたはこれまでにどんな仕事をしてきたの?

―― 私が初めて会社員として就いた仕事は『ホスト雑誌』の編集です。それから、ある出版社に人づてに入社を斡旋してもらいました。6年程そこに在籍してから、今年「みんなの介護」の運営会社に転職しました。
鳥嶋 「ホスト雑誌」! 面白いね。取材を受けてはじめて良かったと思ったよ(笑)。
―― …(笑)。
鳥嶋 僕はホストについての知識はほとんどないけれども、彼らの『サービス精神』やサービス業としてのノウハウはすごいよね。
―― そうですね。サービス精神はもちろんのこと、お金の「回り方」も異次元でした。ただ、派手に見える世界であるからこそ、それを派手に見せるために辛い思いをされている方も少なくない業界だと思います。
鳥嶋 なるほど。やっぱりそこはバランスだよ。あなたの話を聞いていてね、作家と編集者に置き換えて考えてみました。作家の力量を見極めて、例えば連載を今やっているんだったら、それをやってもらいながらどういうふうにインプットして、才能が枯れないようにしてくかというのは編集者の一つの役割だよね。
編集の仕事は、ディレクターとマネージャーとプロデューサーなのね。ディレクターというのは、目の前の原稿をいかに面白く上げてもらうかという仕事で、マネージャーの仕事は税金の“賢い”払い方とかアシスタントの手配とかそういうこと。でも、1番難しいのはプロデューサーで、3年後5年後を見据えて作家をどういうふうにイメージして育てていくか、ということなの。つまり、今の仕事でアウトプットしてたら、3年後を見据えてインプットしてくっていう。
―― 編集者は常に作家の一歩前を歩いていなければならないということでしょうか?
鳥嶋 ううん、ちょっと違うね。作家が気がついてない作家本来のものを編集者がちゃんとリサーチしないといけないということ。
―― 「書きたいもの」と「書けるもの」の違いという表現をされていますよね。
鳥嶋 そう。作家と雑談しながら「書けるもの」を見つけてそっちに「引っ張っていく」ようにね。だからあなたがホストの話をしてくれたときにも、ホストを楽しむお客さんがもっといい形で人生を幸せに送れるように、ホスト自身も導いてく必要性を少し感じたね。

対応ではなく、寄り添うこと
―― 介護職の方々の待遇についても伺います。慢性的な人不足にもかかわらず、介護職については賃金が決して高くない現状があります。この点はどうお考えでしょうか?
鳥嶋 上げればいいのにね。でも、上げられない理由もあるんだよね?
―― そうですね。介護職に関していえば、そもそもの基本給が高くないことに加えて、介護スキルが数字として評価し辛いことも課題とされています。ベースアップ加算制度をはじめとした昇給を促す行政の取り組みはさまざまですが、結果になかなか結びついていないというのが現状ではないでしょうか。
鳥嶋 コロナ禍で、エッセンシャルワーカーという方々、介護士や看護師、それから僕は学校の先生、特に小学校の先生なんかもそうだと思うんだけど、本来、社会から1番必要とされる方々の賃金が低いことが指摘されていましたよね。
中途半端な知識で申し訳ないんだけれども、あなたの話を聞いていると、制度設計を間違えたんじゃないかとも思う。「人ありき」の制度になっていないように感じるね。
―― 「人ありき」の制度になっていない。
鳥嶋 以前、アメリカの刑務所で再犯率をかなり下げた取り組みをテレビで見たの。それは、囚人一人一人に保護犬をトレーナー指導のもとで期限を決めて面倒をみさせるという取り組み。
囚人の大半は「愛」を知らなかったんだよ。親に大事にされなかったような家庭環境で育ったり、愛を表現できない人間が多かったようだね。
この取り組みは、愛情の対象を見つけることや責任を持たせること、いつか別れが来るという切なさ…ここからが重要なんだけれども、自分が関わることによって何かが変わるという達成感も感じさせたんだよ。元来の矯正というアプローチではなく、「人間としての感性をどう育むか」という点では大いに参考にすべきだよね。
もちろん同じことをしろというわけではなく、どうすれば人間の感性を再認識させられるか?という発想には活かせるよね。
ぐるっと回って介護について考えてみれば、「介護をすること/されること」がどういうことなのかを抜本的に考えて制度設計しているのかということを疑うべきですよ。例えば、体の不自由な方の移動を手伝うことを、ひとつの仕事として“対応”するような設計になっていないか、ということにね。
―― 原点から考え直すことが必要なのでしょうか?
鳥嶋 もちろん先ほど僕が言った“対応”という表現は正しくないんですが、あえてそう言います。でも、「ひとつの対応をしたからこれだけのお金がもらえます」という設計や考え方になっちゃっていませんか。短時間でどれだけたくさんの対応ができるか、というね。果たしてそれでいいのかな。本当にそういうことなのかな。
あなたは病院に入院してご飯を食べたことある?
―― あります。すべての施設がそうではないと思うのですが、残念ながら美味しいとは感じられませんでした。栄養やコストも勘案すべきですが。2週間、食事のたびに痛みがさらにひどくなったような気持ちでした。
鳥嶋 そうだよね。すべての病院食がそうだと言うつもりはないんだけれども、相手への“思い”があれば、入院中の食事だけでなく、きっといろんなことが変わるんじゃないかな。歳をとることが怖いと思われているのは、いま言ったようなネガティブな声が散々やって来ることも一つの理由だと思う。「あそこには行きたくないよね」「まずい飯は食いたくない」「歳を取ったらあんな不自由なとこに…」どうのこうのってさ。
―― 介護や看護にも発想の転換が必要だということですね。
鳥嶋 恐らく「対応」という考え方がどこかにあるからそうなるんだよね。必要なことは、寄り添うことだろうね。だから人なんだよ。不自由さを感じている人が“そこ”にいるの。機械でもなく、対応すべきモノでもない。
さっきあなたは入院したことがあると言っていたけれども、不自由になって苛立ったでしょう? もし指がさ、指一本でも折れたりするだけで、ものすごく不自由じゃん、頭が十分に洗えないとかね。それなのにもっと深刻な障がいや痛みを抱えてもっとイライラするはずなのに、そんな考え方でいいのかって。
―― そうは言っても、利用者・現場の視点を盛り込むのは難しいのではないでしょうか?
鳥嶋 新人の漫画家にも編集者にも「反対側に立ってみてくれ」とよく言っています。例えば作家に対しては、「これを読者視点で見たら君の原稿はどう見えると思う?わかりにくくない?」とかね。
これは才能じゃないよ。想像力の問題。訓練でいくらでも伸びるから、その視点は持ち続けなければいけないよ。それは何もいい意味だけでなく、トラブルだって想像できるわけだから。

介護を「オープン」に語れない理由
―― 「みんなの介護」で取材をしていると感じることが多々あるのですが、介護業界は「デリケート」なテーマが多…。
鳥嶋 ごめんね、ちょっと待って。あなたが言うデリケートというのはどういう意味?
―― 個人的な話で恐縮ですが、私の祖母は介護施設に入居しています。先日、知人から介護施設の話を聞きたいと言われたのですが、どこまで祖母の話をしていいものなのか悩みました。祖母は自分の話をされたくないと感じるかもしれません。一方、私たちは介護をオープンに語るべきだと思う気持ちもあります。
鳥嶋 いまあなたが言った中に一つキーワードがあるんだけど、“隠す”ということが既に間違いなのよ。「隠す」「恥ずかしい」。でもそれってさ、どこから来るわけ? 全部をオープンにすればいいじゃん。なぜ隠すの。なぜ恥ずかしいと感じるの。それを一つ一つ外してけばいいじゃん。
生きてるわけだからさ、生きてる場合にはどんなことにも“コスト”がかかるわけじゃない。ご飯をちゃんと食べたら出さなきゃ、インプットしてアウトプットしないとおかしくなっちゃうわけだよ。それは恥ずかしいこと? 大事なことじゃん。自分のおしっことか便は色を見るじゃん。で、血が出てたら病気を疑うわけじゃん。もちろん表現の仕方は考える必要があるけれども、生きてくことに対してそれは恥ずかしいことじゃないでしょう。
あなただけに限らずほとんどの人が「生きる」ことや「人間」に対しての考え方が中途半端なんだよね。自分の考えとか原理原則に従って考えてないからそうなるんだよ。
―― 考えていないというのは 「向き合えていない」ということでしょうか?
鳥嶋 そう。考え続けなきゃいけないよ。若い編集者だけでなく、いろんな方と話す機会があるたびに言い続けているのは「『考える癖』を身につけてほしい」と。誰かに何かを言われたり、「どこかにこう書いてあったからそうしました」という人が多い。それは考えているとは言えない。本当にそう?って自問自答してほしい。自分の頭で考えて納得してる?と。
もちろん、自分の頭で考えて納得してればいいのよ。例えばさ、ある漫画が売れているとするよね。その漫画を読まないで、「ああ、あれね」って言っちゃうのが1番馬鹿な編集者。自分でちゃんとそれを見て、面白くないなら面白くないでいいんだよ。そうしたらなぜ面白くないかって自分の中で分析すればいいんだから。面白かったら「面白いね」って、「やられたね」って言ってから、なんでこれが今“うける”んだろうって考えなきゃいけない。なんでもそうだよ。考える癖がない、癖が身につかないとやっぱり物事は作っていけないと思います。
考えるってことは、考え続けるってことに繋がるよね。正しいかどうかじゃなくて、「なぜ」っていうことをもっと考えてほしい。日本社会の最大の“間違い”は、1個の人間として生まれて死ぬことや生きていることがどういうことなのかをちゃんと考えてない人間が多すぎるってことだよ。

編集者という職業について
―― 鳥嶋さんは、ユーザー視点の重要性も説かれていますよね。これも考えることの一つのあらわれでしょうか。
鳥嶋 そう。消費者、お金を払って何かを消費する方ってやっぱりものすごい“わがまま”だよね。要求のレベルが高いんだよ。だからそれを自分の仕事のときにも棚に上げずにちゃんと考えるってことだね。それもよく言うんだけど、自分たちで何か作っているものがあるじゃない、雑誌とか単行本、書籍でもなんでもいいよ。そうしたら「君はその値段で自分が買うか」って。買いたいと思わないものは売らない。結局売れないし、売らないほうがいい。それは単に仕事としてやってることであって、誰かにどうしても届けたいという思いで作ってるもんじゃないから。
―― 鳥嶋さんはそういった思いで仕事をされたことがないということですね。
鳥嶋 もちろん。そういう意味でも、僕は“売れない本”を作ったことはない。なぜなら、そこまで考えて物を作っているから。やっぱり誰に売るのか、今その「誰」はどういうふうなことを考えてどんなふうに物事を感じている人なのかってできる限りデータを集めて想像するから。
―― 「キャラクターがいかに身近に感じられるかを大事にされている」という内容をあるインタビューで仰っていましたが、キャラクターを形作ることは編集者の領分なのでしょうか。
鳥嶋 作家が考えることがちゃんと読者に伝わる形で設計されているかどうかを判断、チェックしてアドバイスするのが編集者の仕事だね。両方知ってるのは編集者だから。編集者が必要な理由はそこですよ。
―― 介護職に活かせそうな編集者としての考え方があれば教えてください。
鳥嶋 新人の編集者にね、「作家に対して何を言えばいいか分からない」と相談されたときによく言うのは、「目の前の人間を愛する努力をしてほしい」ということ。
―― 愛する努力ですか?
鳥嶋 うん。全然知らない女の子と、好きな女の子を考えてみればわかるよ。当たり前だけれども、知らない女の子のことって興味ないじゃん。好きな女の子のことだったら毎日考えたいじゃん。この前はあそこに行ったから次はあそこに行きたいとかさ、電話で声を聞いたらちょっと咳き込んでたら「大丈夫かな?」って思うわけじゃない。つまりね、相手に興味を持って、さらに愛することができれば色んなことに気がつけるし、色んなことをやれるわけですよ。
―― それは「形」から入ってもいいのでしょうか。
鳥嶋 もちろん。それだけでも全然違う。そうすると編集者としてやるべきことがどんどん出てきて、相手にも興味を持ってどんどん“入っていける”わけ。それと一緒。さっきからずっと言っているのは、自分という人間がいて、相手という人間がいる。ここにどう興味を持つか、ということ。
介護でいえばさ、相手のことを考えることで、「不自由な人」だったり「単なる何キロの人」ではなくなるんじゃないかな。腹が立つこともあるし、相手から苛立ちをぶつけられるかもしれない。でも、「ありがとう」とかニコッとしただけで喜びを受け取れるかもしれない、お互いにね。違うわけじゃん、コミュニケーションができているからさ。

生き方について
―― 最後に鳥嶋さんの“一ファン”として、プライベートのこともお伺いしたいのですが…。
鳥嶋 それは語ることではないと僕は思う。僕はね、仕事をしている相手に対して「根掘り葉掘り」聞かないようにしているの。1個人と1個人の問題だから、そこは線を引かないと。その距離感のなさは、日本社会の“嫌”なところだよね。
―― 肝に銘じておきます。
鳥嶋 なぜそういうことに興味を持って話をしたがるかわかる?そういうふうに話をすることによって、「僕と君は仲間だよ」っていうシグナルを送りたいんだよ。親しくなりたい、その場の非常にイージーな関係においてね。それぐらいのこと。要するに人の話をネタにするだけで偽装友情を結ぼうとしてるだけのことですよ。
―― 腑に落ちました。私は気が付かずにそういうことをしてしまっているんだと反省しています…。
鳥嶋 やっぱり僕は小さいときから周りと違う感じだった。いじめられたりもすることもあったからさ。そこでどうしてそうなるのか、なんでこいつは僕を目の敵にするのかって理由がわからないわけ。だからやっぱり考えるじゃない、小さいときからずっとね。人間関係は距離関係ですから、距離をちゃんと測れないといけない。
―― 人間関係の距離間を測ることは非常に難しいことだと感じています。トレーニングで身につくものなんでしょうか。
鳥嶋 身につくね。それと、孤独を恐れないことです。僕が言う孤独の意味が分かるかな?例えば会議の席でみんなと違うと思ったとしても、うなずいて忖度しようとしてるときに「いや、それは違います」と言えることが孤独だよね。
孤独というのは、要するに群れから離れて1人になること。村から出るということ。村社会だからさ、日本は。自分自身を偽らないことの方を選び、「よし」とするという考え方、これこそが孤独です。
僕は馴れ合いからはすぐに離れるようにしている。そういう場にいる連中は、誰かが抜けることは自分たちが否定されたと思うわけ。そうするといじめるわけですよ、自分たちの言ってることにノーと言ってるわけだから。
―― そういう生き方はとても怖いです。
鳥嶋 怖いっていうよりも、僕はそんな場所にいてイージーに合わしてる方が「嫌」なんだよ。自分が哀れに思える。嘘を言ったり、誤魔化している自分が嫌だね。もちろんそこにいる自分だけにしかわからないよ。だから、自分は誤魔化したくない。それは哀れだ。哀れというのは、足元からじんわり冷えていく感じ。体の芯までね。
―― 勉強になります。本日は貴重なお時間ありがとうございました。

人物撮影:新井章大