「オシャレで福祉への固定観念を変える」
そう力強く語る、平林景氏。ハンデの有無に関係なく、誰もが楽しめるアパレルブランド「ボトモール(bottom’all)」を展開している。
いまだ、ネガティブなイメージが残る福祉業界。彼は福祉の世界を変えることはできるのだろうか?
ファッションの地・パリで開いた新しい扉
―― 今回の「賢人論。」は、日本障がい者ファッション協会(以下、JPFA)代表理事・平林景さんに伺います。平林さんは、独自のファッションブランドも展開されているそうですね。
平林 実は、3年前にJPFAで「ボトモール(bottom’all)」という独自のファッションブランドを立ち上げたんです。この「ボトモール」のブランドのコンセプトは「障がいがあってもなくても誰もが楽しめるファッション」です。この“あってもなくても”というのがポイントで、決して「障がいがある人のためのデザイン」ではありません。
障がいの有無だけでなく、年齢・性別などに縛られないファッションを提案したい。むしろハンデがあるからこそ、カッコよく見える服があっても良いじゃないかと思っています。「障がい者はかわいそう」といったネガティブな固定観念を塗り替えることが目標です。
―― 2022年秋には、パリコレ期間中に車椅子ユーザーをモデルに起用したショーを開催し、注目を集めました。私もショーの動画を拝見しましたが、ジェンダーレスでモードな洋服と車椅子の無機質なイメージがマッチしており、とても近未来的な印象を受けました。
平林 ありがとうございます。
ファッションの最高峰であるパリコレを車椅子で疾走する。障がいに対する世界のイメージを変えるなら、これ以上ないエキサイティングな舞台になるんじゃないかという期待がありました。

―― 念願のパリでの出展を終えていかがですか?
平林 「誰もがファッションを楽しめる」という、新しい時代の扉をこじ開けられたのは間違いありません。とはいえ「0を1にする」ことを目標にパリに乗り込んでいるので、そう考えると到達できたのは0.1程度かな。
ただ、自分達の足りない部分に気づけたという点では、何にも変え難い大きな収穫です。
―― どういった点が足りなかったと?
平林 洋服のデザインや機能性には改善の余地が多くあります。それに、社会への問題提起という側面から振り返ると、これがまぁ思った以上に手強かった(苦笑)。
僕らはね、世界をひっくり返すためにパリへ行ったんですよ。でも、たった1回のショーで一発KOはさすがに無理でしたね。

―― ショーの前、あるインタビューに「賞賛だけでなく批判がほしい」と答えていらっしゃいましたね。
平林 100人が見て100人が良いと感じるものは新しい価値観とはいえません。批判する声があって、はじめて議論になります。
今回のショーについては、関係者やメディアによる好意的な反応が多かった中で、辛口なご意見を耳にすることもできました。これこそが僕が欲していた環境。ようやく世界を変える第一歩が踏み出せたなという感覚です。いずれにせよ、これからですね。

見た目は二の次のケア用品に物申す!
―― 現在「ボトモール」は車椅子ユーザーを念頭に置いてデザイン展開されていますが、介護を受ける高齢者のファッションについてもアイデアをお持ちだとか。
平林 実は、介護に関してはめちゃくちゃ親和性が高いって思ってるんですよ。私たちも歳をとっていけば、歩けなくなるかもしれないですよね。身体的に障がいのある方の服をつくることって、いわば介護の服をつくっていることに等しいんです。
機能面では多くの共通点があるので、「ボトモール」が築き上げてきたノウハウを、高齢者向けに応用していきたいです。
それに、この2つの分野で共通するのは機能面だけではありません。見映え・デザインの観点で、同じ課題を抱えています。何だと思います?
―― ……どちらもイケてない?
平林 正解(笑)。洋服に限らず、ケア関連のアイテムって見た目が全然進化していないでしょ?たとえば「介護用おむつ」の、味も素っ気もないデザインを見てください。
自分がじいちゃんになった時、あの真っ白のくそダサいおむつを履かされるのかと思うと勘弁してくれとしか。ここぞという時に履く、勝負パンツならぬ「勝負おむつ」があっても良いと思うんですよ。
―― 勝負おむつ(笑)!その発想はありませんでした。
平林 だって、赤ちゃんのおむつは可愛い色柄のものがたくさん出ているのに、介護用だけ何十年も前から変わらないビジュアルっておかしいと思いません?
もしカッコいいデザインなら、排泄介助されることへ心理的抵抗がある人も、おむつを履くのが楽しみになるかもしれないのにね。
介護に限らずケアの世界では、見映えが二の次になっています。病院の入院着だってツッコミどころ満載ですよ。絶妙に中途半端な丈感とか、この変な模様ってホンマに必要!?とか(笑)。
―― 私も入院経験はありますが、不自由が多くてただでさえ気が滅入る中、ザ・病人といった入院着に、いっそうテンションが下がった記憶があります。
平林 そうそう。誰かにお世話されるという現実を、否が応でも突きつけてくるんです。人の手を借りるなら見た目は我慢して当然みたいな根拠のない圧力で、ケアを受ける側は色んなことを諦めさせられてしまう。
もちろん、ケア用品の性能はどんどん向上しています。けれど、機能性とデザイン性の追求が「or」になっている固定観念が危ないなと思う。見た目良し・使い勝手良しの「and」で良いじゃないですか。
だって、一般向けに売られている商品は、当たり前のように両者を追求してるんだから。

車椅子の車輪に擦れて袖口が破れやすいという声を受け、防弾チョッキ素材をジャケットに使用した服も
人間にとって、オシャレは生きるプライドそのもの
―― 平林さんの中で「ファションで福祉の世界を変える」という想いが生まれたのは、ケアの分野でオシャレが二の次になっている現状への違和感があったからなんですね。
平林 そのとおりです。僕は、オシャレとは「その人らしさ」を守るためのものだと考えています。年をとってもハンデがあっても、その人がその人でいられる拠り所のひとつじゃないかと。
―― 平林さんがそこまでオシャレを重視するのはなぜでしょうか?
平林 20代の頃、僕は美容師をしていました。髪型ひとつで生き方や考え方が変わったお客さんをたくさん見てきたし、自分自身が美容の仕事を選んだ理由もカッコよくてモテそうだと思ったから。
カッコよくあり続けることは、人の生きる尊厳につながるといっても過言じゃない。それくらいオシャレは大きな力を持っているのに、福祉の世界ではないがしろにされ過ぎているのがおかしいと思いました。
―― 最近は、ヘアカットやネイルケアなどオシャレで利用者のQOL向上を図ろうとする介護施設も増えています。少しずつ変化の兆しが見えてきているのかもしれません。
平林 良い取り組みだと思います。それに、高齢者介護の世界は、近い将来必ずファッション革命が起きると思いますよ。
DCブランドが流行り出した1980年代を過ごしてきた方が、高齢になってきていますよね。その世代の方たちはオシャレに敏感だから、既存の介護ウェアや福祉用具ではおそらく満足できないはず。
「ボトモール」もがっつり食い込んでいかないとね(笑)。
知らない限り、固定観念は消えない
―― ちなみに、平林さんが介護施設を運営するなら、どんな施設にしたいといったアイデアなどありますか?
平林 考えたことなかったなぁ。うーん、温泉付きなんてどうですか?あ、すでにそういう施設が結構あるの?
じゃあ、一般客も入浴できるスーパー銭湯とくっつけてしまったらどうでしょう。利用者さんの地域交流が叶うし、若い人にとっても自分が年を取った将来のことをイメージできる有益な場となりそう。
―― 高齢者や障がいのある人と実際に接したことがないから先入観に囚われたままという人は多そうですし、素敵なアイデアだと思います!
平林 たとえば、かつて根強かった「障がい者はかわいそう」といった先入観は、無知による固定観念そのものでしょ。
相手を勝手に不幸にして、「やってあげる」「助けてあげる」と押し付けることは、思いやりのように見えて、実のところすごく上から目線で不健全です。
僕らは多様な人が着られる洋服を作っていますが、善意でやってるだなんて一度も考えたことはない。単に好きだからやってる・やりたいからやっているだけです。
―― 「ボトモール」も、そういった批判にさらされることはありますか?
平林 「障がい者じゃないくせに、車椅子に乗るなんておかしい」とか言われますよ。ハンデを持つ誰かに対して気を遣っているつもりなのかもしれませんが、見当違いも甚だしいなと。
僕が学生時代の話ですけど、クラスメイトが使っていた車椅子を借りて、友人同士で学校内を乗り回したことがあります。すると、慌ててすっ飛んできた先生に「やめなさい!」なんて叱り飛ばされてしまって。
それが「危険だから」という理由なら納得できますが、結局は「不謹慎だ」といった意味を言外に含んでいるのが感じられてね。所有者本人がOK出しているのに、部外者がモラルという名のズレた正義感を持ち出してくるなんて、ナンセンス極まりない。あの頃から全然変わってない人たちがいるんだなと思うと恐ろしいです(苦笑)。

世の中の感覚そのものを変えるというアプローチを
―― 先ほど“イケてない”ケア用品のお話がありましたが、介護・福祉業界は「暗い・キツイ・ダサい」という声は「みんなの介護」にも寄せられています。残念ながら「カッコいい」という声はほとんど見たことがありません。
平林 怖いですよね。業界自体がプロデュース力に欠けているせいで、ネガティブな先入観がどんどん凝り固まってしまって。
―― プロデュース力ですか?
平林 仕掛ける人間が圧倒的に不足しています。やっぱりここでも、ファッションや見栄えを軽視する、福祉特有の古い価値観に縛られているなと。ほかの業界のように、それぞれが個性や強みをもっと打ち出さないといけないのにね。
だって、ロックやメタルみたいな、尖ったコンセプトの介護施設もアリでしょ。送迎車がゴリゴリのスポーツ仕様の所があったって面白いじゃないですか。「あのデイサービスめっちゃカッコいいから通いたい」という選択肢があってもいいんじゃないかな。
―― 確かに、福祉業界には「右にならえ」といった風土があるかもしれません。
平林 福祉施設の中には、行政からの補助金ありきの運営になっているところもありますよね。だからこそ不必要に遠慮して、みんな無難なお利口さんになっちゃっているように僕には見えます。それがまたダサさを増長してるんじゃないかな?
でも、いくらお上にお金をもらっているからといって、もっと自由で良いはず。平均的にならされた、当たり障りのない空間である必要性はまったくない。
多くの消費活動と同様に、いろんな選択肢の中から利用者が自分の好みに合う所を選べば良いだけの話です。
―― 平林さんは発達障害・学習障害のある子どもを支援する放課後デイサービス事業所を経営されていますが、施設の内装はもっともこだわったポイントだと伺いました。
平林 「見た目ばかり気にしてチャラチャラするな、本質は療育の内容だろう」という頭の固い先輩方の意見もありましたけどね。
でもその人たちの言うことを聞いていたら、従来の療育施設からイメージされる「暗い・味気ない・重苦しい」印象は覆せません。
―― 見た目にこだわった結果、得られたものは?
平林 明るく開放感のある施設を見て「ここなら楽しく働けそう」と、若いスタッフたちが集まってきました。福祉の担い手不足が叫ばれますが、うちでは人材問題に悩んだことはありません。スタッフがいきいきと働くことで療育サービスの質はどんどん高まるし、利用する子どもと保護者の満足度も向上して、まさに三方良しの状態です。
ケア用品の話と重なりますが、どうして「or」の考えしかできないんだろうかと。福祉の世界で長く働いている人ほど、この「福祉は羽目を外しちゃいけない」というマインドロックがかかっているように感じます。
―― なるほど。わたしもインタビューをしていて、福祉職に従事する人たち自身から、福祉に対するネガティブなイメージを感じる時はあります。
平林 本当にそう。根が深いですよね。たとえば介護士さんって「子どもが将来なりたい職業ランキング」で上位にはこないでしょ?確かに「給料が安いから」「仕事が大変だから」など、それっぽい原因はたくさんあります。
でもね、僕が昔働いていた美容業界なんて、ブラックそのものの労働環境でした。現在はかなり改善されたとはいえ、働く人の苦労や努力に待遇が見合っているかというと疑問が残ります。それでも、美容師に憧れる若い人はたくさんいる。
そうなると、結局はイメージの問題ですよね。ただでさえ少子化で労働力が貴重になっている中、若い子がわざわざ「暗くてダサい」福祉職なんて選ぶはずがない。
.人材不足を嘆くだけじゃなくて、なりふりかまわず「華やか・明るい・楽しい」を仕掛けていかないと。
―― ただ、働く人たちのマインドチェンジはなかなか難しそうでは……
平林 うーん、働く人たち個々が意識を変えようとするんじゃなくて、世の中の価値観そのものを変えた方が早いんじゃないかな。
福祉の担い手不足にしたって、制度とか待遇とか中身をちょこちょこいじって改革しようとしてきたけど、結局全然うまくいってないから問題が深刻化する一方なんですよね。
だからもう、大枠を変えてしまいましょう。そのアプローチ法として、僕はファッションを選びました。でも、ツールは建築でも音楽でも何だって良い。色んな角度の切り口で、今の福祉の閉塞感をぶっ壊していくんです。

他者へ頼れる自分に誇りを持つ
―― 平林さんは、ご自身のADHD(発達障害)を公表されています。何らかの特性がある方が、将来介護をする側・介護を受ける側になった時、どのような意識を持って過ごせば良いと考えますか?
平林 自分ができないこと・苦手なことを、周囲に伝えておくことですかね。僕の場合、強烈な凹凸があるため、周りに頼らないと何ひとつうまく回らないという事情はありますが(苦笑)。
ただ、特性の有無に関わらず、素直にSOSを発信する姿勢はめちゃくちゃ大事だと思います。
―― 著書の中でも「周りに頼るクセをつけよう」と書かれていました。
平林 日本人って頼り下手なんですよね。勉強でも何でも「全部ひとりでこなせて一人前」みたいな価値観の元で教育されてきたからでしょうけど。
昨秋訪れたパリの街は、都市環境の視点で見ると、身体的ハンデがある人が住みやすい場所とは決していえませんでした。駅や公共施設にすらエレベーターが設置されていなかったり、トイレと食事のフロアが分かれている飲食店が多くて。
でも、それ以上に印象的だったのは、周囲の人々がごく自然に手助けしてくれたこと。手伝う方も手伝われる方も必要以上に意識することなく、当たり前のように「共存」の感覚が根付いていました。これは日本人に欠けているマインドだなと痛感しました。
―― 介護離職など、課題が山積みの少子高齢化社会では特に必要な意識ですね。
平林 「他人には頼れない」と勝手に自己判断し、助けを求めること自体を諦めている方も多いでしょうね。サポートする側はともかく、手伝われる側の罪悪感というか、申し訳なさというのは消しづらいかもしれません。
ただ、僕の実体験から感じるに、人間ってお願いされたことは意外と断らないものです。だから、しんどい時はもっと気軽に誰かに頼んでみてほしい。
―― 困っていることをうまく伝えるコツなどはありますか?
平林 相手が何に対して助けを必要としているのかが分からない。だから結局、手助けすることなく見過ごしてしまう…。そんなケースが非常に多いんですね。
これは全盲の方から聞いた話ですが、道路を横断中に方向を見失い、道の真ん中で立ち往生したとします。そんな時、いくら「すみません、すみません」と言っても、手を貸してくれる人はなかなか現れない。
けれど「目が見えないので渡れません!」と具体的に声を上げれば、きっと、何人もの人が駆け寄ってきてくれますよね。
―― 現実的には「発信すること」も必要ということですね。
平林 そうそう。自分が何に困っていて、どのように助けてもらいたいのか。「上手に人に頼れる“能力”」を磨いていく必要があると思います。人に頼ることを卑屈に捉えるのではなく、頼れる自分を誇るくらいでちょうど良いのでは。
人が自分ひとりでできることなんて、実はたかがしれています。その代わり、自分も誰かに頼られる存在になれるよう努力すればチャラですよ。
助けてもらった分、自分の得意な部分で社会に還元する。これこそが、世代間のバランスが歪な社会を生き抜く術だと思います。

【写真提供:平林景氏】