政府関連のプロジェクトから中小企業まで、幅広いクライアントにアドバイスをしてきた経営コンサルタントの倉本圭造氏。現在は、個人を相手にした文通サービスも行っているという。
利害関係のない人に悩みを話すことで変わる人がいる
みんなの介護 倉本さんとの対話、文通を通してニートだったクライアントが社会に再参加するなどの変化があったそうですね。何がポジティブな影響を与えたのでしょうか?
倉本 世の中には「こうじゃなきゃいけない」という狭い価値観の中で生きている人が大半です。近い友達同士など、同じような環境にいる人に話すだけでは、違う角度から物事を考えるきっかけはなかなか生まれません。愚痴を言うだけで終わってしまうことが多いでしょう。
でも、価値観の違う利害関係の無い相手と会話をする中で、「こうすれば良い」「今の人生も悪くないなぁ」という考えに変わる人がいる。生活に変化がなくても、家族に怒鳴ることがなくなったという人もいます。
要はその人個人をちゃんと見てあげて、「今は難しくてもなんとなくこういう方向に進んでいきたい」といった話をフンフン聞きながら勇気づけ続けていれば、どこかのタイミングで自分の人生にオーナーシップが出てくるというか、他人任せじゃなく自分でこうやって生きよう!という決断が生まれてくる事が多いですね。
みんなの介護 その人の価値感の良し悪しは判断せずに、ただ話を聞くということでしょうか。
価値観を判断せずに話を聞くというのは、よく言われていることです。でも表面的に何もないフリをすることで生まれる白々しい会話が、世の中にはたくさんある。
もうちょっと自然な会話が必要なんじゃないかなと思うんですよね。「すべての人は無限の可能性があるんだよ」「君だって輝けるんだよ」的なアメリカ風のポジティブ至上主義ですべて返答されるとしんどいじゃないですか。
みんなの介護 そうですね(笑)。
アメリカ人もポジティブさに疲れている
倉本 アメリカ人も自分たちのポジティブさに疲れているところがあるんです。
以前、アメリカ人が抗うつ剤を飲み過ぎるから、成分が排泄されて自然環境に流れ出し、アメリカのザリガニがすごく攻撃的になっているという記事を読んだことがあります。
何が言いたいかと言うと、ポジティブであらねばならないということに対して、強迫観念のようなものがあるんですよね。
例えば「落ち込んでるんだよね」と相談して「そんなの大丈夫だよ!明日になれば状況も変わるさ」と言われても困る。「俺もこうでさぁ」と、自分の弱さも語りながら時には「ダメな俺たち連帯感」のようなものもちゃんと味わえるかどうかが大事だと思うんです。
そこでポジティブさを押しつけると、お互い強がっちゃって5ミリぐらい浮いたまま踏ん張らなきゃいけなくなる。
アメリカ的なポジティブさというのは、ありとあらゆる事を「個人」が背負わなくてはいけない仕組みだとも言えて、人口の上位10%の異様にポジティブな人たちにはいいんですが、恵まれない立場の人ほど逃げ場がなさすぎて大変なんですよね。
特に日本社会の「現場レベル」と深く付き合っていて思うのですが、アメリカみたいにすぐに「それがあなたの考えなのね」「それがあなたの才能なのね」と“尊重”されるのも良し悪しで、本来自分で人生を切り開く事が難しいタイプの人が、社会の末端でほったらかしにされがちになるんですよね。
日本社会の末端には多少「個人の自由」に対して抑圧的な風土があるのは事実ですが、そういう風土ゆえに、ある程度親心を持って個人を戦力化してちゃんと仕事を与えて一人前に仕事をできるようにする能力を社会が持っているとは言えます。
このインタビューの「中編」で述べた私の高校の部活動の話も同じなんですが、日本社会がもっと「個人」を尊重できるようにしていこうという時に、アメリカ社会の「良くない部分」を真似することがないように、慎重に配慮する姿勢を見せる方が、アメリカの「良い部分」を取り入れる動きもスムーズに進むんですね。
ここでも「アメリカ的理想を、日本的に地に足つけて」実現していくことが大事というわけです。

文通でさまざまな人の価値観を知って世界が広がった
みんなの介護 そもそもなぜ文通という形をとっているのでしょうか?
倉本 結局「企業」単位のコンサルティングでは、その「会社」という単位で見る視点が絶対なので、そこで働く一人ひとりのリアリティには今一歩遠い感じがしていたんですね。
企業単位で「成果を出す」だけならいいけど、いずれそれをまとめて日本社会全体にリアルな提言をしていく仕事をするには、「会社」以前の「個人たち」とも直接話すような事が必要だなと感じていたからですね。
「文通サービス」のクライアントには、いろいろな人がいます。その一人ひとりに向き合うことで、私自身も刺激を受けます。全然違う生き方をしていて価値観も違う。知るたびに世界が広がっていく感覚です。
やりとりする頻度は、人によって変わってきます。「今日は息子がああしたこうした。今日は会社でこういうことがあった」と毎日送ってくる女性もいます。
また、自分のやりたい事業の、業務報告書のようなものを送って来る方もいる。今後取り組もうと考えているプランを聞いてほしいという人。
まだ若干名なら募集中なので、ご興味があれば私の公式ウェブサイトからご入会いただければと思っています。
「国の未来のために1%だけ我慢してください」と理想を語りたい
みんなの介護 最後に、今の日本に必要な対話についての考えを聞かせてください。
倉本 「賢人論。」第159回に出演されていた成田悠輔さんのようにシニカルなことを言うと、現代の日本は、高齢者にものすごくお金を使っています。
毎年税金から何十兆円という医療費を補てんしている。ものすごく頑張っているんです。それなのに、反政府的な人が「日本政府は国民のために何もしていない」と言っているのを聞くとすごく腹が立つ。人々の現状認識自体がすごくずれているところがあるんですよね。
そういう現状を何とかしないといけないというのはいろいろな人が言っていることです。
例えば、高齢者に使っているお金のほんの0.5%とか1%でも国立大学の研究室に回すだけで、多くの問題を解決できるぐらいの変化があります。
なぜかというと、社会保険料も含めた広義の社会保障費の予算は年間百二十兆円以上にもなるのに対して、SNSで常時大騒ぎしている「科研費」とかは数千億円でしかないからです。
これは科研費に限らず、子育て関係でもそうなんですが、今の日本社会は老人の福祉には世界的に類を見ないほどお金を出している一方で、未来への投資に関わる分野が随分と先細りになってしまっているんですね。
「本当はこうなっていればいいのに」というようなSNSで見るアイデアを実際にやってみるとすれば、老人に対する社会保障費の巨額さから比べると「え?これだけでいいの?」という金額であることが多いです。
別に「老人福祉をもっと削るべきだ」という話をしたいわけではないんですが、ほんの1%でも効率化を考えてくれたら、こんなこともあんなこともできるはずだ・・・という構図になっているのが日本の政治なんですね。
だから、成田悠輔さんが日本の問題を真面目に考えると高齢者に切腹してもらうしかない的な事をおっしゃっていて笑ってしまいましたが、切腹まで行かなくても多少は若い世代に色々と譲ってくれたら国全体に大きな可能性が開けるのは確かなんですね。
ただそこで「高齢者に切腹してもらうしかない」と言うのか、「国の未来のために1%だけ我慢してください」的に堂々と理想を語るのか、後者のような大真面目なメッセージを日本ではもっとちゃんと言うようにしていくべきだと私は考えています。
実際、家計金融資産の6−7割を60歳以上が持っているとされるなど、統計的にも体感的にも日本は高齢者の方が圧倒的にお金を持っているんですよ。
勿論高齢貧困層の負担が増えないようにしつつ、必須不可欠なサービスが削られないように注意しつつ…であるなら、1%とか2%とかの効率化が若い世代にとって、そしてこの国の未来にとって物凄く重要な意味を持つのだとちゃんと周知していけば納得する人は多いと思います。
日本人は「みんなのために感染対策で自粛してください」と言えば従う国民性です。
話す前から「当事者は自分たちの権利を守ることにしか興味はないだろう」と決めつけ過ぎだと思います。
こういったことは、日本の社会を良くするために必要な対話ですね。アメリカは実態が伴っていなかろうと、そういう大上段な理想を言葉にすることだけはやりすぎるほどやりますからね (笑)。
撮影:神保 勇揮(FINDERS)