成田悠輔氏は、米国と日本を行き来しながら所属する場所を超越して社会問題への提言を行っている。公共政策のデザインを専門とする成田氏に今の日本に必要だと思う政策を伺った。

また、YouTube番組のMC、テレビのコメンテーター、WEBメディアのコラムニストなどマルチに活躍する氏はどんな思いを持って日々活動しているのか。

貧しい人たちを助けているのは成金

みんなの介護 大変ざっくりとした質問で恐縮ですが、公共政策をデザインされている成田さんは今の日本にどんな政策が必要だと考えていますか?

成田 国や政策の設定にあたって、2つの目標をどう共存させるかが問われていると思っています。1つは、敗者をどうやって救い上げるかという政策。これは貧困政策であり社会保障政策であり、教育政策です。ここまではみんな同意するでしょう。

同時に重要なことがあります。勝ち馬をいじめないということです。これがとても重要です。

世の中には格差がある。勝者と敗者がいて、勝者が軽井沢の森の中の別荘でブランチをしている間に敗者たちは満員電車に揺られている。そして、あたかもお金を稼いでいる人が貧しい人からお金をむしりとって豊かになったかのようなイメージを描く。

今、岸田政権やメディアがまさにそのようなストーリーを立てています。それは支持率を上げたり、PVを稼いだりする上では有効でしょう。

みんなの介護 私も含め、メディア側の人間は身につまされる人が多いと感じます。。

成田 現状認識を間違っています。経済的な「負け犬」とされる人たちを一番助けているのは、勝ち馬でありお金持ちなんですよ。

それは納税システムから見るとわかりやすい。大多数の国民は、国や政府に支払っている税金より受け取るサービスの方が大きいような状態です。一部のお金持ちの人たちが巨額の所得税を払ったり、キャピタルゲイン税を払ったりすることで彼らを支えているのです。

大活躍したスポーツ選手や芸能人は所得税を55%ぐらい取られます。前澤友作さんなどは、500億円ぐらい納税していますよね。

でも日本では、彼らのような成金に対する嫉妬が強い。出る杭の言動をする人が出てくると、既得権益を独占しているおじさんたちや特捜検察に抹殺されるのです。なので結局今名前のあがった、前澤さんや堀江さん以降の起業家の人たちってみんなすごい地味なんですよ。

目立つと損しかないということを理解しているんでしょう。この流れを変えないといけない。

みんなの介護 個別の政策を考える前に、個人と社会がマインドを変えることが何より大切なんですね。今成田さんはその日本的なムラ社会の中で奔放に発言されています。

成田 私の場合は、治外法権的なところもあります。純粋に日本に所属している日本人という扱いではないですからね。よくわからない観光客が変なこと言っているという感じの捉え方でしょう。

最近一つ希望を見出していることがあります。ユーチューバーやインフルエンサーなどで、海外に生活の拠点を移したという人が増えているじゃないですか。

短絡的に見ると、税金対策でシンガポールに行ったり、イケてる雰囲気を出すためにニューヨークに行ったりしているという感じです。

しかし日本のムラ社会で叩かれて抹殺されるかもしれないところから自由になるチャンネルがいろいろつくられているとも考えられるんですよね。そのような人たちが増えると、どこかで日本のムラ社会の文化がひっくり返る可能性があるんじゃないでしょうか。

みんなで叩いていると、できる人ほど日本から消えてしまう。そんな焦りが出てくると、これまでの風潮が変わるのではないでしょうか。私もそういう雰囲気をつくることにちょっとでも貢献できたらいいなと思います。

みんなの介護 成田さんのような存在がもっと増えたら、日本も変わっていきそうですね。

成田悠輔「日本に今必要なのは“勝者をいじめない”政策。そしてムラ社会をひっくり返せ」
日本のムラ社会の文化がひっくり返る可能性がある

「座右の銘はない」と言い続けられるか

みんなの介護 ちなみに座右の銘などがあればお聞きしたいのですが。

成田 ないですねえ。座右の銘、ビジョン、人生観…すべてありません。どちらかというと、座右の銘やビジョンのようなものが「ないです」と言い続けられるようにするのが重要という感じがしますね。

みんなの介護 私たち凡人は座右の銘など聞かれると無理やりその場でつくり出そうとするものですが…(笑)。

成田 あれは資本主義の悪しき文化です。会社でも社是がないと、一定規模以上の会社を維持するのは難しい。だからとりあえずつくって連呼するじゃないですか。

座右の銘というのは、それを個人に投影していると思うんです。

個人がそれぞれ、企業における株主総会での説明資料のようなものをつくっている感じ。

個人も営利企業のようにガムシャラにKPIのためにがんばるべきだという同調行動と集団幻想が支配しているわけです。悪い意味での"プロ"の氾濫ですね。

私にとっては、世の中で良いとされていることやカテゴリーとして成立している職業や仕事からどう逸脱するかの方が重要です。家でパジャマでいるときも、オフィスでスーツの人たちを目の前にしているときも、同じような言動をしているーー。そんな人にどうしたらなれるかということを模索しています。

価値があると思えないことにあえて向き合ってみる

みんなの介護 日々どんな思いをもって仕事をされているのでしょうか?

成田 私は何をするときにもその裏側に、「これには特に何の意味もないんだな」という思いがあります。

研究者っぽい仕事をしているとき、私は世界で100人ぐらいしか理解する人がいないようなマニアックな英語の研究論文を書いて、時間をドブに捨てています。同時に、日本語でわけのわからないYouTubeやテレビの番組に出ていることもアメリカに行ったら無でしかない。

なので、自分がしていることがすっと燃え尽きてしまったとしても別にどうってことないなという思いを常に持っています。

しかし、価値があると思えないものに、あえて向き合ってみること。水と油のようにお互いにまったく相いれないような複数のことを同時にやっていくことが重要だと思っています。

これは仕事でも遊びでも、何かのコミュニティであってもいいです。

私自身ホームだと思えるコミュニティはどこにもなくて、それでいいと思っています。どこにいてもちょっとアウェイで、何の意味もないんじゃないかと脅かされているような状況の方が快適です。

そのために、これからも別の場所や業界を行ったり来たりしながら同時に違うタイプの仕事や遊びをしていきたいですね。

そうしないと、どうにかそれを手放すまいというメンタリティになってしまう。自分がやっていることと成し遂げたことにプライドや達成感を持たずに、みんなが仕事をクビにしてくれたら三年ぐらい蕎麦とパン作りに集中しようと思いながら日々を過ごしています。

撮影:花井智子

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