2023年に創業124年を迎える吉野家は、1899年(明治32年)に、日本最大の魚河岸があった東京・日本橋で誕生した。
当時流行っていた「牛めし」に目をつけた創業者・松田栄吉氏が、魚河岸で働く人の「嗜好特性」を踏まえて牛丼を編み出し、大好きな吉野の桜から屋号を「吉野家」として牛丼屋を始めたのだ。


戦後日本の急成長に伴走し、キャッチフレーズとした「早い、うまい、安い」で牛丼を“国民食”にまで押し上げた。
時代のニーズに応え続ける「牛丼の吉野家」が、超高齢社会への取り組みの一環として、介護食を開発・販売していることはご存知だろうか。
2017年に発売された高齢者向け牛丼の具「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」を開発した佐々木透氏に、開発のストーリーや食の楽しみについて伺った。

目次

  • “牛丼の吉野家”と介護用食品
  • イベント食としての再出発
  • 食の楽しみとは

“牛丼の吉野家”と介護用食品

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して
吉野家が「介護食」を手掛けた!

2015年。吉野家で新メニューの開発を担当していた佐々木さんは56歳だった。

88歳になる佐々木さんの父親は、固いものが噛み辛くなっており、佐々木さんが自宅に送っていた吉野家の「冷凍牛丼」は、母親が細かく刻んでから食卓に出されていた。

一方、商品開発のリサーチで各店舗の店長と会う機会の多い佐々木さんは、「高齢の方がだんだんお店に来られなくなる。『卒業』されてしまう」と数人の店長が話していたことが気になっていた。

社内で「企業内起業」の募集があることを知ったのはそんなときだった。

「わずかな時間しかないけれど、60歳になる前に、会社や社会に対して何ができるだろうか」と考えていた佐々木さんは、「これだ!」と思って手を挙げた。

父親のことと、吉野家の現状を重ね合わせ、「高齢になったお客様は、お店に来ることが難しくても、『お届け』すれば食べてもらえるのでは?」と考えた佐々木さんは、「高齢者向けの牛丼の開発」についてのプレゼンをした。

「気持ちが先行していた」と語る佐々木さんだが、審査員の中には、涙を流す人もいたそうだ。自身の大学卒業後の進路のことで父親と意見が合わず、以降、長い間父親に心配をかけてきたこと。

そんな父親に、恩返しと感謝の意味も込めて、高齢になった父親が美味しいと思える牛丼を作りたいということを熱弁。

佐々木さんのプレゼンが終わると、社長からは「やってみなさい」とその場でGOサインを出した。

佐々木

「1980年、急速な店舗拡大に伴う資金繰りの悪化もあって、吉野家は会社更生法を申請しています。当時、会社が倒産しても吉野家の牛丼を食べ続けてくれたお客様は、“働き盛り”の30代。その方々が70代になっています。

私の提案が採用されたのは、『吉野家を支えてくれた方々への恩返しの意味も込めて、当社の牛丼を末永く召し上がっていただきたい』いう思いもあったからでした」

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して

写真提供:吉野家

「佐々木透」という人物像

高齢者向け牛丼の具「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」を開発した佐々木透さんは、もともとフレンチの料理人だった。税理士だった父親からは「堅い」職業に就くように促されたが、「親が決めたレールから外れたい」「海外で仕事がしたい」と考えていた佐々木さんは反対を押し切り、大学卒業後、フレンチを学ぶために調理師学校に入学。

調理師学校では、佐々木さんが最年長だった。高校卒業後に入学する方が大半だったからだ。「負けられない」と思った佐々木さんは、がむしゃらに料理を学び、技術を習得。調理師学校を主席で卒業すると、すぐにフランスに渡った。

1年後、フランスから帰国した佐々木さんは、調理現場での就職活動をスタートするも、年齢がネックとなり、なかなか決まらない。

母校の調理師学校に相談したところ、講師として採用された。

しかし数年で「教えること」に物足りなさを感じるように。学校ではお客さんに食べてもらうことがないため、「美味しい」という“リターン”が得られないのだ。

佐々木さんはレストランに転職すると、やがてホテルの副料理長にまで上り詰めた。だが、それでも佐々木さんは物足りなさを感じていた。

佐々木

「ホテルのレストランで食べてもらえるのは、おおよそ1日300人くらい。もっとたくさんの方々に自分の料理を食べてもらいたいと思ったのです」

そんなとき、あるコンビニエンスストアがお弁当の開発プロジェクトを立ち上げたことを知る。「『コンビニ弁当』なら、1日で何十万人もの方々に自分の料理を食べてもらえるのではないか」。そう思った佐々木さんは、プロジェクトに応募し、上京。「コンビニ弁当」の開発に携わった。

ところが開発に取り組む中で、少なからずの課題を感じていた。配送や安全性を考慮するために、「味」のみに専念できない。

悩んだ末に佐々木さんは、転職を決意。人材バンクを通じて吉野家から声がかかる。

「吉野家は『店内調理』にこだわっています。作り立ての牛丼を『その場』でお客様に召し上がっていただける。そのこだわりに魅力を感じましたね」。

佐々木さんはすぐに「採用」となり、新メニューの開発に携わるようになった。

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して
「これぞ吉野家の味!」までの道のり

「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」は、2017年2月に発売。商品化までに、約1年以上が費やされた。

当初、開発に携わったのは佐々木さん唯一人。まずは吉野家の牛丼を細かく刻んだプロトタイプを作り、歯科医や栄養士に「試食」してもらった。

すると、歯科医からは「高齢の方はこんなの噛めませんよ?粘度をつけないと飲み込めません」。栄養士からは、「病気の方はこんな塩分量じゃ食べられません」。

と痛烈な“ダメ出し”を食らう。

佐々木

「勉強不足でした。若い方や健常の方は食べ物を飲み込むときに、舌の上で『自然に』まるめて飲み込んでいるのですが、嚥下機能が低下した高齢の方にはとろみが必要です。でも、とろみを付ければいいという単純な話ではありません。

また、お肉には筋がありますよね。どんなに刻んだとしても、筋は固いままです。そのようなことを専門家の方々から優しく厳しくアドバイスされ、『目からウロコ』でした」 」

佐々木さんは、自分が食べて美味しいと感じる「吉野家の味」を持って行った。それにもかかわらず、“ダメ出し”をもらったことがショックだったという。

佐々木

「商品開発を行う部署にいたため、吉野家の牛丼の『成り立ち』を知っていました。だから、『それなら分解してやろう』と思ったのです。例えば、醤油なら、減塩醤油に置き換える。ワインの中には塩分が入っているものがあるので、塩分が入っていないワインにする……そういった“引き算”を試していきました。

毎日が試行錯誤です。1年間、300回くらい牛丼を食べていました」

佐々木さんは、プレゼンの段階から、最終的には常温品の開発を想定していた。吉野家は製法にこだわり、保存料も使わないため、高齢者が万が一、冷凍食品を冷蔵してしまうと危険だ。

佐々木

「社長から言われていたのは、『味は絶対に外すな』という言葉でした。介護食なので、肉や玉ねぎの形状は変えざるを得ない。そうであれば、味しかありませんから。でも、減塩したら、味は外れますよね?……でも、そこだけは外すなと」

佐々木さんは、「とにかく味を作らないと始まらない」と思い、まずは「味を作る」ことに専念。

2016年12月。ある高齢者施設で試食会を開催。佐々木さんは吉野家の店舗スタッフの制服を着こみ、入所者たちの目の前で盛り付けのパフォーマンスをした。

試食会は大成功。8割以上の入所者が完食した。

普段、食欲のない入居者の方々も完食し、施設職員からも、「美味しい!」「吉野家の味だ!」と驚きの声があがった。

減塩しているのに、多くの方が「吉野家の味だ!」と思えるような味を実現できたのはなぜだろうか。

佐々木

厚生労働省による規定では、高齢者に推奨する1日の塩分摂取量(食塩摂取量)は6.0g。3食の場合、1食は2.0gにとどめなければなりません。吉野家の店舗の牛丼の塩分は、1食2.3gです。高齢者の方はたくさん食べられないので、1食の量を減らしても、まだ2gくらい。

でも、介護業界では『1g程度にしないと売れないよ』と言われてきました。

ナトリウムをカリウムにしてみましたが、『カリウムが多いと内臓系の疾患のある人に良くない』と内科医、栄養士さんに言われました。そこで、カリウムの量は疾患に影響ないように調整し、他の調味料も置き換えて味を調えたのです。

また、吉野家の牛丼の美味しさは、“実直”にお肉そのものの味や油の「旨味」です。吉野家の牛丼は、お肉がいっぱい入っているから美味しいのですよ。煮ることで牛肉特有の臭みが熱変性して、美味しさに変わるのです」

佐々木さんによれば、吉野家の味とは、「吉野家のタレと一緒に煮ることによって変化した牛肉と、玉ねぎの味が一体化された味」だという。

店舗で使われている牛肉と、介護食に使われている牛肉は同じものではあるが、介護食に使用する際には当然、筋などを取り除いて使っているそうだ。

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して

写真提供:吉野家

イベント食としての再出発

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して
「販売」の壁

試食会で8割以上の人が完食し、職員が驚いていた光景を目の当たりにしたとき、佐々木さんは涙が出そうになったという。しかしこれで終わりではない。今度は完成した商品を、売るための戦略を考える必要がある。

どこを通して、誰に売るのか。ターゲットや売り方など、すべてを一人で考え、一人で動かねばならなかった。

佐々木さんは、介護施設と取引をする施設問屋や、介護領域の企業などに自ら営業に回った。

佐々木

「最初は、『偽物だろう』『外食の吉野家がそんなことするわけ無い』と言って門前払いを食らいました。食品メーカーが、吉野家の名前を使って、吉野家監修の冷凍食品を作ることはあったとしても、吉野家自らやるなんて、信じてもらえなかったんです。だからまずは信頼してもらうために、これまでの経緯を説明しなくてはなりませんでした。

さらに、食べていただいた瞬間は、『良いね!』『吉野家さん、ついにやったね!』と好反応なのですが、価格を言うと『高い』と言われ……」

当時、スーパーで売られている介護食は200円前後。介護施設における1食あたりの費用も同程度だった。

一方、吉野家の店舗では、牛丼並盛が380円。「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」(冷凍)は、冷凍保存・輸送などのコストを勘案すれば200円前後にすることは難しい。

そこで佐々木さんは考えた。「普段食が無理なら、イベント食にしよう!」。

専用の小ぶりの丼ぶりやスタッフ用の法被、のぼりやランチョンマットを作って、「月1回でも、年1回でもいいからイベント食として使ってください」と言って売り出した。

ある高齢者施設に佐々木さん自ら出張して牛丼を振る舞ったところ、なんと完食率は100%以上。「おかわり」が続出した。

そのイベントの様子を吉野家の通販サイトで使わせてもらううちに、徐々に吉野家の介護食の認知度が向上していく。

佐々木

「イベントである高齢者施設に行ったとき、初めは『気難しそうなおじいさんがいるな』って思っていたんです。そうしたらイベント後に『お話がある』と言って職員の方に呼び出されて……。

私は『怒られるのか』と思ったのですが、『ありがとう。若い頃、牛丼に助けられた。もう食べられないと思っていた。それがこうして食べられて嬉しい』と言われました。その高齢の男性は車のメーカーの役員だったそうです。『やっていて良かった』という思いが溢れ出し、涙が出ました」

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して

写真提供:吉野家

高齢者向け「牛丼の具」の反響

2017年2月の商品リリース後、3か月間で、全国の施設約50か所から注文が入り、グッズも併せて貸し出している。

佐々木

「ずっと通販で吉野家の牛丼を食べてくださっている男性がいました。しかし、どんどん食が細くなって、奥様が『すがるような思い』で『吉野家のやさしいごはん 牛丼の具』を食べさせてみたところ、食が戻ったそうです。以降、3年ほどずっと利用していただいていて、ご挨拶に伺ったときにはお礼を言われてしまい。ありがたいですよね。

吉野家のブランド力の高さと歴史の力でしょうね。今は選択肢も多くありますが、現在70代以上の方々にとって、“絶対的”な牛丼は吉野家しかなかった。牛丼イコール吉野家なのですよね」

「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」に対する反響は、やはり男性によるものが大きかったようだ。しかし、現在施設に入居されている高齢者の平均年齢は82歳前後。約7割が女性だと言われている。女性の反響はどうなのだろう。

佐々木

「現在80代以上の女性は、吉野家に行ったことがない方も多くいらっしゃいます。“ファースト吉野家”として、こちらを楽しんでいただければと思っています。

『吉野家』の名前を知ってくださっている方が多いので、『ああ、吉野家って美味しかったのね』と言って召し上がっていただけているようです」

佐々木さんが開発するきっかけとなった父親は「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」を食べられたのだろうか。

佐々木

「食べてくれましたけど、『何じゃこれは。わしゃまだ普通の牛丼でも食べられるんじゃ!』なんて文句を言っていましたよ(笑)。

母は『もう切らなくていいのね、塩分も控えめなんだね』って喜んでいましたよ」

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して

※現在は発売しておりません

写真提供:吉野家

食の楽しみとは

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して
介護食の青写真

「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」は、2020年11月から、「吉野家のやさしいごはんシリーズ」として、常温商品の「やわらか牛丼の具」と「きざみ牛丼の具」に変わっている。

封を切らずに電子レンジで温めるだけで、いつでもどこでも、熱々で“やさしい”吉野家の牛丼が食べられる。常温タイプの「やわらか」は、500Wの電子レンジで1分、600wなら50秒の加熱。「きざみ」は、500Wの電子レンジで50秒、600wなら40秒の加熱で済むから簡単だ。

封を開けると、たちまち吉野家の牛丼の香りが広がる。吉野家の店舗の光景が蘇るようだ。冷凍タイプで課題だった、“香り”の問題を、常温タイプでは解決した。

見た目は、「やわらか」は、お店の牛丼より肉や玉ねぎが小さく、牛肉の筋や脂身が丁寧に取り除かれている。「きざみ」は、細かく刻んであるが、ちゃんと玉ねぎが入っているのが分かる。

味はどうだろう。「やわらか」は、肉も玉ねぎもさほど噛まなくても良いのではないかと思えるほどやわらかいが、噛めば噛むほどに吉野家の牛丼の味と香りが口いっぱいに広がり、「食べごたえ」が感じられる。

「きざみ」は、具材が刻まれており、適度なとろみがつけられていて噛む必要はないが、やはり口に入れた瞬間、確かに吉野家の牛丼の味と香りが口の中に広がり、喉を通り抜けていく。これなら食欲が落ちていた高齢者の方が「美味しい」と思い、おかわりするのもうなずける。

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して

写真提供:吉野家

佐々木

「牛丼は大衆食ですから、高齢者施設じゃなくても、いつでもどこでも食べられるようにしたいと思っています。もっと認知度が向上すれば、吉野家の店舗にもおいてもらおうと考えていたので、そのためにも常温化は必要でした。

当然、コストカットも検討事項ですが限界があります。しかし、昨今の原材料の値上げが相次ぎ、「お肉」の価格は下がる要素がないですよね。ですから、どのくらいの価格で使っていただけるかっていうことと、当初は高齢者施設を主眼にした「BtoB」ばかりでしたが、レトルト化による「BtoC」をどれだけ進めていけるかが重要だと考えています」

佐々木

「ご飯を食べている時間が、みなさんにとって楽しい時間ではないように感じてしまいました。決められた時間に『食べさせられている』ような……。

病院に入院しているのだったら、退院すれば『それまで』の生活に戻れますが、高齢者施設への入居であれば、基本的にはそこでの生活が続きます。表情が暗かったんです。『何とかしたいな』って思いました」

これまで多くの介護現場を回り、関係者などとも話をしてきた佐々木さん。「介護業界は過保護すぎるのではないか?」とも考えているという。

佐々木

「私は『外食』の人間です。外食というのは、お店に来ていただいて、召し上がっていただき、お客様を笑顔にすることが仕事です。

そのために、『会話が弾むような仕掛けはできないか』とか、『香りは重要だよな』とか“散々”考えてきました。

入居先の施設の食堂から牛丼の香りがしたら、『いい香りだね、今日のご飯は何?』って会話になりますよね。それで食欲が湧いてくる。そういったワクワク感が必要だと思うのですよ。

食は身近だからこそ、安全性を高めなければならない。でも、介護に関わる方々は、だからこそ過保護すぎるのではないかとも思います。

例えば私たちは、『前日贅沢したから、今日はうどんだけでもいいね』というときがありますよね。施設にはそういう自由がありません。もちろん選択肢が増えることで現場への負担も大きくなりますが、「1食1gと決められた塩分を1週間で何gまで』という考えがあってもいいのではないかと思っています」

食べたいものを考えることも「食」の楽しみの一つだ。選択が減ることで、人生が“味気ない”ものになってしまう可能性もある。

「衣食住で考えると、施設に入居すればもう『自宅』は買いません。着るものは年に4回買ったらいい。しかし、『食』は毎日3食、365日、約千回以上あります。それを自分で選べないってどういうことなのか、と。せめて、入居生活で食べることくらい自由にできないものかと思いました。

例えば3種類から選べるようなシステムにするにも、常温タイプのレトルトなら日持ちがするので、選択肢の幅を広げることに貢献できます。その中に他の外食産業も入ってきていいし、中にはどう見てもチープなメニューもわざとあっていい。生活にメリハリをつけることが大事だと思うのです」

今後は在宅介護が増えることも予想されている。家庭で手軽に吉野家の牛丼が食べられるとあれば、たとえ体が不自由になっても、「たまには外食気分を味わいたい」と思う高齢者の方も少なくないはずだ。

佐々木

「以前は吉野家の『リピート頻度』はもっと短かったんです。今は2ヶ月に1回と言われていますが。でも、年に6回も召し上がっていただけているのですから、その可能性に挑戦したいと思っています」

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して
佐々木さんが目指す“老後”とは

佐々木さんは現在63歳。60歳で吉野家を退職し、現在は業務委託という形で介護食を開発しているほか、自身で会社を立ち上げ、洋食メニューの介護食の開発を模索している。

佐々木

「何を称して“引退”と言うのだろうと考えると、私が引退するのは“死ぬとき”ではないかと思います。食べることが好きだし、自分の介護食を自分で作って、そのまま死を迎えようかなって思っています。

仕事が好きというのか、自分が作ったものを誰かに食べてもらって、喜んでもらえることが好きなのかもしれないですね。……外食をやっている方は大抵そうだと思いますよ。

1日1時間働いたって仕事をしていることには変わりありません。仕事をしている限りは現役ですよ」

この20年間、欧米先進国の実質賃金は1.5~2倍に上昇している一方で、日本は約10%低下している。賃金が低下しようとも、食を欠かすことはできない。美味しいものや安全なものを食べようとすれば、当然「お金」がかかる。

佐々木さんは、“食の楽しさ”についてどう考えているのだろうか。

佐々木

「『今日は何を食べよう?』『誰と何を食べようか?』と考えることが楽しみなのではないでしょうか。美味しい/美味しくないは個人の主観で、それは楽しみではなく、満足感。

だから最期まで、“何を食べようか考えられる社会”であってほしいですね。

今でも年に2回、クリスマスと娘の誕生日に家で料理と菓子を作るのですが、娘からは『お父さんの料理はレストランの売り物の味。お母さんの味にはかなわない』と言うのですよ。

それは私自身も自覚しているのですが、娘にとっては母親が作ったもののほうが、“愛着”があることもひとつの理由だからだと思うのです」

愛着があるものは、舌で味わう味そのもの以外にも、安心感や愛情など、心に作用するものがあると佐々木さんは言う。そういう意味でも吉野家の牛丼は、愛着がある方にとっては、何者にも代えがたいものなのだろう。

吉野家は今年で124周年を迎える。100年後の吉野家はどうなっているだろう。

佐々木

「宇宙食も作りたいと思っています。実際に作ろうとしたところ、ご飯が難しいんですよ。牛丼という形を取るならご飯は外せない。けれども同時に加熱しておいしく作るのが難しいんです。

私は、誰もやったことがないことをするのが好きなので、これからも挑戦し続けますよ。

この年になって、1週間のうち2~3日は科学の勉強をしています。自分が思ったものを作るために、勉強が必要なんです。料理は感覚だけだと再現性がなくて、失敗したときになぜ失敗したのか理由がわからないと、完成品を作ることができませんから」

プロフィール

佐々木透氏

2001年5月、株式会社吉野家へ入社。新メニュー開発を担当。2015年末に社内プレゼンが通り、高齢者向けの牛丼開発をスタート。2017年2月に冷凍品の「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」リリース。2020年11月、常温品の「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」リリース。退職して業務委託として吉野家のケア食に関わり続けている。

吉野家の介護食への挑戦 “最期”まで何を食べようかと考えられる社会を目指して

本記事の内容は、2023年3月取材時点の情報をもとにしています

文・人物写真:旦木瑞穂

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