■絵でコミュニケーションする
荒井良二さんは1956年、山形県山形市に生まれました。男3人兄弟の末っ子。家にいるときはいつも絵を描いている子どもでした。9歳上のお兄さんにおさがりの算数のノートをもらったら、白いページをすぐに絵で埋め尽くし、それでは足りなくて、数式の上にまで絵を描いていたほどです。
小学校低学年のときは、学校があまり好きでなく、朝のホームルームが終わるとすぐに家に帰ってしまう毎日でした。食事もできなくなって、とうとう栄養失調に。
大人相手にしゃべるのは得意ではなかったため、絵を描くことで、ことばを使わずにコミュニケーションしていたのです。
■絵を描くことを仕事に
小学生のころには、絵を描くことを仕事にしようと思っていました。でも具体的にどんな仕事があるのかわかりません。石ノ森章太郎の『マンガ家入門』を買って漫画の道具をそろえてみたり。スヌーピーや、サンペの『プチ•ニコラ』を見て、線がしゃれてるなあと思っていました。
中学生のときは、美術の先生に推薦されて、生徒会が作る学校誌で学校の職員全員の似顔絵やカットを描いていました。
絵と同じようにサッカーにも夢中になりました。進学した高校のサッカー部が丸坊主だったため、それが嫌で、山形初のクラブサッカーチームを作ろうということに。けれどけが人が出て、結局立ち消えになりました。そこで美術部に入ります。イーゼルに白いキャンバスを立てて好きな絵を描くということに、少なからず抵抗感がありました。
■『NHK趣味Do楽 荒井良二の絵本じゃあにぃ』より