「プロになって今がいちばんいい環境」と語る林漢傑(りん・かんけつ)八段。その言葉どおり充実の一途をたどり、昨年は中庸戦で優勝。
初タイトルを手にされました。今回の「一手」の命名には、ご家族への愛情も込められています。

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■第二の囲碁人生が始まった

今回は、山下敬吾九段との対局から一手を選びました。相手が山下先生というだけで、すごく思い出深いですし、ちょうど10日前に長女が生まれたばかりで、いろいろ新鮮だったことが印象に残っています。
僕はそれまで、普段は研究会に行ったり、家でも碁の勉強をして、ときどき運動をして、というように囲碁を中心とした生活で、すべての時間を自分のために使っていました。また、対局直前は、試験前の受験生のように猛勉強をして、それで疲れてしまうこともあるほどでした。
そして長女が生まれる前は、「半分くらいの時間を赤ちゃんに費やせばいいかな」と思っていたのですね。
ところが、それどころじゃなかった(笑)。まずは抱っこをして泣きやんでもらい、ご飯をあげて、お風呂に入れて、寝かしつけて、…自分の時間はほとんど無くなりました。こんなに勉強する時間がなくなって、「どうなるんだろう」という不安は大きかったですね。妻(鈴木歩七段)とも「しばらくは成績が悪くても気にしないでいこうね」という話をした覚えがあります。
とにかく、子供が生まれる前とあとでは、環境が180度変わって、「第二の囲碁人生が始まった」という感じでしたね。

ただ、この対局の前夜は、歩さんが配慮してくれ、しっかり睡眠を取りましたし、体調も万全でした。
対局当日は、僕はすぐ不安になるタイプなので、こんなに準備ができていなくてどうしようという気持ちになってもおかしくなかったのですが、不思議と「もうしかたがない」と開き直ることができました。逆に、「今できることをしよう。全力を尽くそう」と、自然な感じで打てた記憶があります。
山下先生とは、この対局までに6局打っていて、僕から見て2勝4敗でした。僕の力からするとけっこう頑張った対戦成績ですが、2勝はいずれも早碁で、持ち時間の長い碁では、内容的にも一方的に負かされていました。
僕にとって山下さんは雲の上の存在で、日本を代表する棋士なのはもちろんですし、勝っても負けてもすごく魅力的な面白い碁を打たれるので、こういう棋士になりたいという憧れの存在でもあります。
※続きはテキストでお楽しみください。
取材/文:高見亮子
■『NHK囲碁講座』連載「シリーズ 一手を語る」2019年10月号より