非常口マークは「緑」タイプと「白」タイプがあるの知ってる?それぞれ意味も違うんだって!何でしょう?
色の不思議クイズ♪
【問題】
緑色なのに、なぜ、”青”信号というのでしょう?

画像出典:フォトAC
thinking time♪
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正解は…
「新聞記事の書き間違い」でした。
日本最初の信号機は、1930年(昭和5年)に日比谷交差点に設置されましたが、そのときの交通に関する法令には、青信号ではなく、ちゃんと「緑信号」と表記されていたそうです。
ですが、信号機の設置を紹介する当時の新聞が緑信号を「青信号」と誤って報道したことで、その呼び名が世間に定着し、その後、法令でも「青信号」に書き換えられたそうです。緑信号が青信号に呼び名が変わった理由には諸説あるそうですが、これが最も有力な説みたいです。
「書き間違い」とは、なんともリアクションに困る答えですよね(笑)。
とはいえ、新聞記事に記載されただけで、その呼び名が世間に広まり、法令まで「青信号」に変わることってなかなかないですよね。緑色の信号を「青信号」と呼ぶことが、人々に受け入れられたということですよね。
調べてみると、「青信号」が受け入れられたのは、日本には、「緑色のものを青」と表現する独特の習慣があるからみたいです。ここ、重要です。
青虫とか、青菜とか、青りんごとか…緑色のものを青と表現する日本語、いっぱいありますよね。
新聞記者さんが緑を青と表現してしまったのも、「緑色のものを青」と表現することになじみがあったからかもしれませんね。ほかには、「赤・緑・黄」より「赤・青・黄」の方が語呂が良かったからということも考えられるけど…。
では、日本人はいつごろから、「緑色のものを青」と表現するようになったのでしょう?
日本語の不思議「緑色のものを青」と表現するようになったのはいつ?

画像出典:フォトAC
「緑色のものを青」と表現する始まりは、奈良時代以前にまで遡るそうです。1300年以上も前のこと。
『もえとかえる ことばのふしぎ大冒険』(文・川上徹也・絵・春仲萌絵/講談社) によると、当時の日本には、色の呼び方は「赤・黒・白・青」の4つだけだったそうです。
「赤」は「明(あ)か」が由来で、明るい色全般を表し、
「黒」は「暗い」が由来で、暗い色全般、
「白」は「はっきりしている」という意味の「著(しる)し」が由来で、はっきりした色全般、
「青」は「はっきりしない」という意味の「淡(あわ)い」が由来で、赤・黒・白以外の寒色系の色全般を表していたそうです。
つまり、奈良時代以前の日本では、緑は青に属していたわけです。
緑色の信号を「青信号」とすんなり受け入れられたのが、1300年以上前からの「青」と「緑」に関する日本人の色の感覚があったからだと考えると、おもしろいですよね。
そして、もうひとつ興味深いのは、1300年以上前の日本人は、色の違いを「明るさ」と「濃さ」ですみ分けし、「赤・黒・白・青」の4色で表していたこと。
この「赤・黒・白・青」は、現在使われている言葉をみても、他の色と比べて、ちょっと特別な色だということがわかるんですよ。
ちょっと特別な「赤・黒・白・青」
例えば、「い」をつけて形容詞になるのは、「赤い」、「青い」、「白い」、「黒い」。この4色だけ。
「茶色い」とか「黄色い」は言いますが、「色」がついていればの条件付きです。
「赤々と」、「青々と」、「白々と」、「黒々と」。
ほかにも、「青臭い」「腹黒い」「赤っ恥」「白を切る」など、「赤・黒・白・青」を使った言葉ってけっこうありますよね。
このように、言葉としての「赤・黒・白・青」の使い方をみても、”ちょっと特別”な4色って感じがします。
そして、奈良時代あたりに大陸から様々な色が伝わり、色の区別が必要になったため、植物や鉱物、鳥の羽根の色などを由来にして、新しい色名がどんどん増えていったそうです。
ここからは、「青信号」の話とは、”さらに”かけ離れてしまいますが(笑)、どんどん生み出されて、広がっていった日本の色の世界がおもしろかったので、ご紹介しますね。
「緑」はもともと色を表す言葉ではなかった!?

画像出典:フォトAC
例えば、本日の主役「緑」。
「緑」は、もともとは色彩を表す言葉ではなく、新芽や若芽といった「若く瑞々しい状態」を表す言葉だったそうで、それが転じて、新芽の色を緑と表現するようになったそうです。
ちなみに、701年(飛鳥時代)に施行された「大宝律令」では、3歳以下の子どもを「緑」と称していたとか。
子どもは、新芽のように瑞々しい生命力に溢れていますものね。現代でも生まれたばかりの赤ちゃんを「緑児」と言いますが、こういうことだったんですね。…やっと納得です(笑)。
このほか、「緑」という色名は、カワセミの古名「鴗鳥(そにどり)」が由来になったという説もあるようです。
こちらが、カワセミ。

画像出典:フォトAC
美しい緑色の羽根ですね。
また、昔から高貴な色とされる「紫」の由来は、紫草(むらさき)という植物の根が染料として使われたため、染色した色も「むらさき」と呼ぶようになったそうです。

紫草の根
画像出典:『アトリエ冬青』HP
ちなみに、603年(飛鳥時代)に聖徳太子が制定した「冠位十二階」で、最も高い位「大徳」に与えられた色が「紫」だったそうです。生まれた家に関わりなく個人の能力によって役人の位を12に分け、位に応じて冠の色を分ける…という制度です。小学校のときに習いましたよね。
「冠位十二階」には、緑色は使われなかったようですが、647年に制定された「七色十三階冠」には緑色が使われたようです。一番低い位だったようですが…。
こんな感じで、日本人は、豊かな自然、移り変わる四季、多種多様な動植物、時間とともに変わる空などを色名にしていきました。結果、日本固有の伝統色(和色)は1000以上もあるそうです。

「伝統色(和色)の一部」
画像出典:『和色大辞典』HP
「赤・黒・白・青」の4つの大まかな区別だった日本人の色の世界が、1000以上という色彩豊かな世界に変わっていったんですね。
そして、伝統色をみると、昔の日本人の感性にも触れることができて、興味深いんです。
日本人の感性が生み出した色の世界
例えば、「瓶覗色」。
「かめのぞきいろ」と読みます。
瓶を覗く色…。一体、どんな色だと思います?
正解はこちら。

「瓶覗色」
画像出典:『和色大辞典』HP
灰色に近いごく薄い藍色だそうです。
色名の由来は、藍染めをする際、「藍瓶をちょっと覗き込むくらいの短い時間だけ染めた色」という説や、「瓶に張られた水に映った空の青色」という説があるそうです。
瓶に張った水に映った空。この日常のちょっとした風景を”色”として切り取るなんて、素敵な感性ですよね。
そして、この「瓶覗色」が生まれた背景もこれまた興味深いのです。
「瓶覗色」が生まれたのは江戸時代。当時、庶民は贅沢を禁じられ、庶民の着物の色は「茶」「鼠」「藍」に限られていたそうです。
そんな限られた色の中でもおしゃれを楽しみたいと、庶民は、染め具合によって色のバリエーションをどんどん増やしていき、そのひとつが「瓶覗色」でした。
江戸時代に登場した色は、「瓶覗色」のほかにもいろいろあって、
青緑が混ざった鼠色で、渋さを好んだ江戸・深川の芸者さんたちの間で流行った「深川鼠(ふかがわねずみ)」や、

「深川鼠」
画像出典:『和色大辞典』HP
江戸時代の歌舞伎役者、市川団十郎が舞台衣装に用いて人気になった、くすんだ赤茶色「団十郎茶(だんじゅうろうちゃ)」などなど。

「団十郎茶」
画像出典:『和色大辞典』HP
そして、このときにできた茶色と鼠色のバリエーションは100以上を超え、「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」と呼ぶそうです。
「四十八」茶と「百」鼠とありますが、これは色数ではなく”とってもたくさん”という意味らしいです。
「白って200色あんねん」とはアンミカさんの名言ですが、江戸時代の日本人のおしゃれ心や色彩感覚もすばらしいですよね。規制された中で新しいものを生み出すパワーもすごい!
ということで、今回は「緑色なのになぜ”青”信号というの?」という疑問から始まり、大きくぐるっと横道に逸れて(笑)、日本人の色との関わりや日本の伝統色などについて紹介しました。
信号の色が「赤・黄・緑」の3色なのは世界共通ですが、緑色の信号を”青”と表現するのは、日本だけ(おそらく)。そんな日本独特の色の表現のルーツは、奈良時代以前にまで遡り、そして、1300年以上経った今もその感覚が「青りんご」「青汁」などからもわかるように、脈々と受け継がれているわけです。
わたし個人としては、緑色の信号を青信号と呼ぶことをちょっと不思議には思っていたものの、外国の方ほど違和感があるわけではないし、30年くらい前に「まずい!もう一杯」というCMとともに登場した「青汁」も、緑汁より青汁の方がなんかしっくりくるし…。
この感覚は、脈々と受け継がれてきた日本人の”色彩感覚DNA”によるものなのかしら(笑)。1300年以上も前の日本人とつながっているような気もして、ちょっとロマンを感じたり…。みなさんは、どうですか?