【夏の自由研究】「ビニール袋に水を入れると…火で炙っても溶けない」って!?その理由は!?試してみた!
超有名な劇作家・三谷幸喜さんの説得力
三谷幸喜さんと言えば、「古畑任三郎」や「新撰組!」「真田丸」「ラヂオの時間」「THE 有頂天ホテル」など、数々の代表作のある脚本家、監督。
筆者は「HR」「総理と呼ばないで」「みんなのいえ」「ザ・マジックアワー」あたりが大好きで、要はファンです。
そんな三谷さんにとって、文章を書くなんてお手のものだと思うのですが、夏休みの読書感想文のアドバイスをこのように語っていたとか。
「作文は好きなんですけども、読書感想文となると、何を書いていいかわからないし、あらすじとかも面倒臭いし、なんでこんなこと書かなきゃいけないんだと思って…」
激しく同意。
筆者も作文は大好きですが、読書感想文は面倒臭くて苦手。
ただ、筆者は本を読むこと自体が遅くて面倒なタイプなので、そこは難なくクリアしてそうな三谷さんはさすがだなと思います。

出典:Photo AC
そんな三谷さんが挙げた読書感想文のポイントは次の二つです。
①あらすじは不要
②「どう思ったか」ではなく「どう変わったか」
え、読書感想文なのに、あらすじ書かなくていいの?
だって、この読書感想文を読む人は、その本を読んでいるかどうかわからないのに?
そんなことを筆者は思ったのですが、三谷さんはこのように言っていたそうです。
「(あらすじを)書いちゃいけないとは言わないけども、そんなの本当は必要ない。どうしても必要だったら書けばいい」
そしてあらすじよりも大事なこととして「これを読んで自分が何が変わったか。読む前と読んだ後でどんな変化が自分にあったか、なかったか」
なるほど、確かにそれぐらいの気持ちで書いた方がいいかもしれない。
実際、読書感想文の目的は「読んだ人にこの本を読んでみたいと思わせること」でもあるわけだから、ちゃんと本を正しく読めているか否かが問われるあらすじより、この本を読んで何を感じ、どう動いたか(≒感動)を伝える方がよさそうです。

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さすが日本を代表する劇作家・映画監督。
よいメソッドを教えてくださる。
というわけで、筆者は最近L・M・モンゴメリ作の「赤毛のアン」を読み返したばかりなので、このメソッドに則って読書感想文をしたためることとします。
L・M・モンゴメリ「赤毛のアン」を読んで
「赤毛のアン」を読んで、アンとわたしには共通点があることがわかりました。
それはおしゃべりなことです。
わたしはよく1人でしゃべりすぎて、家族から注意されます。
思ったこと、考えたことはなんでも言葉にして伝えたくて、思わずしゃべりすぎてしまうのです。
だから物語の中でアンがマリラに「黙りさない」とか「しゃべりすぎ」と注意されたり呆れられたりするたびに、自分が叱られたときを思い出して恥ずかしくなりました。
しかし本を読み進めるうちに、アンのおしゃべりが必ずしもマリラやマシュウ、そのほかのグリーンゲイブルスの人たちに困ったものとして描かれているわけではないことに気がつきました。
アンの豊かな想像力と語彙で繰り出されるおしゃべりを面白がったり、元気づけられたりする人たちがいたのです。
マシュウがアンを引き取ろうと考えたのも、アンのおしゃべりが気に入ったからだったし、マリラも結局はアンのおしゃべりに聴き入ってしまうことがありました。
マシュウやマリラがアンのおしゃべりを聞いている様子を想像すると、それは幸せな家族そのもののような気がしました。
そこでわたしは、周りの人から好まれるアンのおしゃべりと、家族から注意される自分のおしゃべりの何が違うのかを考えました。
大きな違いは、「話にオチがあるかないか」です。
わたしは部屋を掃除しているときも、お皿を洗っているときも、だいたい何か別のことを考えています。
これはわたしの癖で、自分でやめることも止めることもできません。
1人でただ考えているだけなので、何かオチがあるわけではありません。
この取り止めのない思考をただ誰かに伝えたくなって、ついおしゃべりになってしまうことがあります。
わたしが注意されるのは決まってそういうときです。
一方、アンのおしゃべりは自分の経験や事実に基づいた思考を言語化したもので、必ずおしゃべりにオチがつきます。
長くしゃべっていても、終着点に向かっていることが聞いている人にもわかるので、聞いていられる、むしろ聞き入ってしまうのだと思います。
つまり、わたしのおしゃべりは「ダラダラと長いだけ」で、アンのおしゃべりは「言葉数が多いが故に長くなってしまった話」というわけです。
わたしはおしゃべりが嫌われるものとばかり思っていましたが、その技術によっては愛される要素にもなることに気づかされました。
だからわたしは、しゃべり出す前に自分の話にタイトルをつけること、どこに向かって話しているのかを頭の片隅に置くよう意識するという2つのことを徹底するよう心がけようと思いました。

いかがだっただろうか
文字にして1036文字。
あらすじがないのでサクサク書けました。
手前味噌で大変恐縮ですが、この読書感想文だけで主人公・アンの人物像や他の登場人物との関係性の一端は示せているのではないでしょうか。
何より「この人にとって『赤毛のアン』は読んでよかったと思える本なんだな」ということは伝わったかと思います。
ただ実際に書いてみて、1つだけ難しいと思ったことがあります。
それは、あらすじがない分、文字数が稼げないということ。
この本はこういう話で、ここでこんなことを言っていたのが印象に残っていて、自分はこのように思いました、というのがオーソドックスな読書感想文の構成。
この構成は「本にあることをまとめさえすれば文字数が稼げる」というメリットがあります。
一方、あらすじを排除すると、作文があまり得意ではない、何を書けばいいのかわからないという人にとっては、逆に難しくなる可能性があるのです。
そこでまとめとして、厚かましくも筆者から一つアドバイスを加えさせていただきます。
それは「適度にふざけること」です。

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読んでいる人に「ふざけているな」と思われてはいけないのですが、自分の中ではちょっとふざけて書いてみてください。
筆者の読書感想文、真面目に読むこともできますが、読み方を変えれば「わたしは断固としておしゃべりし続けるぞ」と宣言しているようなもの。
結局話は長くなるんかい!というツッコミ待ちなのです。ふざけてるでしょ?
軽い気持ちで書くといい、とかしこまった言い方をされるとさらに心が固まってしまいそうですが、ふざけて書いてごらん、と言われると書けそうな気がしませんか?
おふざけポイントを工夫するつもりで本を読み、果たしてこのおふざけに先生は気づくかな?とニヤニヤしながら書く。
怒られるおふざけはいけません。
真面目に書いているような気もするけど、ちょっとふざけているような気もする、というギリギリのラインを攻めるのがおすすめです。
筆者くらい歳を重ねると、本を読んでこなかったことがコンプレックスになることもあります。
「もっと子どもの頃から本を読んでおけばよかった」と何度思ったことか。
たくさんの方が本を楽しんで、夏休みをより有意義に過ごせることをお祈りしています。

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