【脱サラ農家インタビュー】きっかけは1冊の本!IT系会社員が東京で小松菜栽培を始めた!?【前編】
人形・義太夫・三味線で演じられる淡路人形浄瑠璃は、国指定重要無形民俗文化財にもなっている淡路島の伝統芸能。500年という長い歴史を持ち、国内外から高い評価を得ています。

今回紹介する木田さんは、淡路人形浄瑠璃の興行をおこなう淡路人形座で、三味線奏者として長年活躍してきました。
「小学2年生で人形浄瑠璃に出会ってから今まで、浄瑠璃が本当に大好きで。中学生の時に人間国宝・故鶴澤友路氏の三味線の音色に魅せられて、三味線を始めました。本当は中学校卒業してすぐに人形座に入りたかったのですが、親が高校だけは行ってくれっていうんで、高校卒業して淡路人形座に就職したんです」(木田さん)
人生の大半の時間を人形浄瑠璃に捧げ、日本のみならず海外でも演奏活動をおこなっていたそう。しかし2020年、新型コロナウイルスが流行し、勤務先である淡路人形座は休館を余儀なくされました。

専門劇場を構え、淡路島を中心に淡路人形浄瑠璃の公演を行っている淡路人形座。休館を経て、現在は通常通り営業しています。
芸能から”芸農”へ!?
人形座の休館により突然仕事がなくなってしまい「何か新しいことを始めよう」と、木田さんは母親の農作業を手伝い始めました。
「わたしの実家は代々続く農家。

農作業の手伝いで畑へ通う日々が続くなか、その決断は不意に訪れます。
「急に、なんか空から降ってきたみたいに、もう三味線やめて農業やろうって思ったんです」(木田さん)
この決断まで、人形座の休館からたったの1か月半。「給料が半分になっても人形座は辞めない!」と常々口にしていた木田さんの心変わりに周囲は驚きました。

農業を始めるにあたって、三味線奏者は引退しようと思っていましたが、演奏や指導のオファーを受け、現在は農家と掛け持ち、フリーの演奏家としても活動中。東京へ人間国宝の三味線奏者の師匠のもとへ稽古にも通うなど、「芸」と「農」の二刀流で、忙しいけれども充実した日々を送っています。
「わたし、じっとしているのが苦手なんです。人形座をやめて農業ばっかりっていうのもきっと嫌になるはず。逆に三味線だけ続けていても、物足りなさが出てきていただろうな。だから、いまのように農業と芸能、両方できているスタイルが向いています!」(木田さん)
助けてくれた地域に恩返しがしたい!
トラクターなどの大型機械、農機具、そして農作業にまつわる知恵も、地域の人たちから「たくさんお借りしています」と語る木田さん。

「自分の心が動いて、やろう!と決めると、なぜか自然と助けてくれる方が現れるんです。
そんな想いから、野菜ソムリエや温泉アドバイザーの資格を取得。さらには、農家と消費者をつなぎ、地域の農業を未来へ遺したいと、小さな無人販売所を立ち上げました!

木田さんが中心となって運営する無人販売所『小屋まる』。地元農家が多く出品し、売り切れ続出の人気スポットです!
「規格外だったり、少量すぎて出荷できない野菜をなんとかしたいなあ…と考えて作ったのがこの小屋まる。地域のみなさんと協力しながら運営しています。地域活性化を目指して、これからも様々な取り組みにチャレンジしたいです」(木田さん)
自分で舵を切れるのが、人生!
明るい笑顔が魅力的な木田さんですが、以前は「人と関わるのが苦手で、内気で自信のない性格だった」とのこと。しかし農家になってから「挑戦して達成する喜びや、周りから応援してもらえる喜びを見出して人生が変わった!」と話します。

野菜ソムリエ姿の木田さん。とってもすてきです!
「それまでは人形座に勤めて一生を終えるのがわたしの人生だと思っていました。でも思い切って農業を始めたことで、自分の人生って全然違う方にもいけるんだ、と実感!充実した毎日を過ごしています」(木田さん)
最後に、今後やってみたいことを聞いてみました。
「全部叶ってるんで、特にないかな…強いて挙げるとすれば、おしゃれなワンピース着て外車に乗りたい!疲弊した姿で、農家って大変なんやって思われるよりは、農家って儲かるんや夢があるなって思ってほしいんです。でも、家族からは調子乗っとったら頭ぶつで!って言われてます(笑)」(木田さん)
失敗を恐れず、常に前向きな木田さん。これからの活動に注目です!
