事後諸葛亮(じごしょかつりょう)とは、事態がすべて手遅れになったあと、終わったあとに、さも状況を見越していたかのように「ああすればよかった、こうすればよかった」と訳知り顔で解説すること。
意味
事態がすべて手遅れになったあと、終わったあとに、さも状況を見越していたかのように「ああすればよかった、こうすればよかった」と訳知り顔で解説すること。いかにも知者であるとふるまう様を、三国志の名参謀、諸葛亮になぞらえている。
元ネタは中国の小説?
元は中国語圏のスラングで、1975年に中国で出版された『煤城怒火』という小説に出てくるのが最初だとされている。その後中国語圏で使用されてきたが、日本での認知度は低かった。日本注目が集まったのは2020年1月末。
ラジオ番組「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」で取り上げられると、その語感のよさからtwitterであっという間に共有されトレンド入りした。
SNSなど、意見を共有するツールが浸透したことにより、一般人でも事件事故に意見を述べることができるようになった。
だがしかし、ことが起こったあとに必要なのは、ああすればよかったという手遅れな意見ではなく、「これからどうするべきなのか」という建設的な意見である。
……と、頭でわかっていても、事後諸葛亮してしまうのが人の性なのかもしれない?
孔明の罠(こうめいのわな)とは?(意味)~用語集
孔明の罠(こうめいのわな)とは、『三国志』に登場する天才軍師・諸葛亮(孔明)が張り巡らした罠のように、巧妙に仕組まれたトラップのこと。元ネタは、横山光輝のマンガ『三国志』に登場する魏の将軍・司馬懿(しばい)のセリフという説が有力。編集部おすすめ