「37.5歳の人生スナップ」とは……  

シェア畑で子供と一緒に野菜を育てる、田舎暮らしを機に畑を始めるなど、農業に参入する人は一気に増え、かつて3K(キツイ・汚い・危険)と呼ばれた農業の印象は変わりつつあるように見える。

だが、日本の食卓を代々支えてきた老舗農家たちは、そんな華やかな世界とは一線を画し、深刻な後継者不足の危機に直面している。


今のままでは日本の農業に未来はない! とトレードマークのアフロヘアで農業革命を起こそうとしているのが、今や農業界のチェ・ゲバラとも呼ばれる、坂尾英彦さん。老舗農家12代目の長男だ。

元ヒップホップDJで老舗農家の長男が、農業界のチェ・ゲバラと呼ばれるまで



キャベツ農家として「ガイアの夜明け」に登場し、ビジネスコンテストで“コミュニティ農業”を提案しグランプリを受賞。最近はクラウドファンディングで400万円の資金調達に成功し、ポケマルチャレンジアワードで最優秀賞を受賞するなど、革命に邁進する日々だ。

「日本の農業従事者は、過去20年間で230万人程度も減少しています。2000年は389万人だったのが2021年には160万人に、26年には56万人にまで落ち込むと言われています。日本の農業は人手不足で、衰退の危機にあるんです」。

今でこそ日本の将来を憂い熱く語る坂尾さんだが、かつては農業を継ぐことを強く拒んだ張本人。

「小さい頃から親の手伝いをしてましたけど、農業に何のやりがいも感じなかったんですよ。ただただキツくて、単純作業の繰り返し。大嫌いでしたね」。

今では農業に一意専心し人生をかける坂尾さんがなぜ“農業界のチェ・ゲバラ”になったのか、早速、半生を振り返るとしよう。



農家の長男になることを拒んだ坂尾少年

元ヒップホップDJで老舗農家の長男が、農業界のチェ・ゲバラと呼ばれるまで

計4ヘクタールの畑で、冬と春はキャベツ、夏はトウモロコシを中心に栽培している


千葉県銚子市に東京ドーム1個分の畑を持つ坂尾家は、近所でも由緒ある農家として知られる。祖父の他界をきっかけに、坂尾さんが畑の手伝いをするようになったのは小学3年生の頃。高学年にもなると、畑の敷地内をブルドーザーやトラクターを走らせるまでになった。

「姉が2人いますが、いちばん上の姉はひと回り離れてるので、気づいたら家にはいなくて、下の姉はとうもろこしの葉が触れると体中が痒くなるからって、畑の手伝いをすぐやめましたね。やっぱり、長男の僕が継ぐものだろうとみんなが当たり前に思ってたみたいです」。

しかし、坂尾少年に長男の宿命を受け入れる気はさらさらなかった。代わりに彼が目指した道はインテリアで、高校卒業後はインテリアの専門学校へ進学を希望した。が、それを告げると親は猛反対。夢は粉々に砕け散ったという。

「お前は農家の長男なんだから農業をやれって。長男の宿命? 呪縛ですよね。今に至る親との確執は、あの頃から始まってるんです(笑)」。
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就農するも東京でヒップホップDJに

高校を卒業したばかりの坂尾少年は仕方なく、親の畑に就農し貯金を始めたが、思わぬところで東京行きの手段を手に入れる。

銚子は農業が盛んだが、日本一の水揚げ量を誇る水産業の街でもある。
地元には自営業者が多く、人手が足りなければ業種を超え助け合うのが当たり前。坂尾さんも農業の傍ら、近所の運送屋で働くことになった。

「昼は畑で仕事して、夕方からは運送業。その日、銚子で釣れた魚をトラックで築地まで運ぶんですよ、毎日。もちろん配送が終わったら東京に残って、夜な夜な遊んでました(笑)」。

元ヒップホップDJで老舗農家の長男が、農業界のチェ・ゲバラと呼ばれるまで

東京のクラブでヒップホップDJをしていた頃の坂尾さん


配達がてら週末は東京でクラブ三昧だったという坂尾さん。ヒップホップのミュージック・シーンにどっぷりハマり、高校時代に始めたヒップホップDJも磨きをかけた。

「畑と運送業とすき家のバイトで貯めた100万円で東京にアパートを借りて、正式に上京しました」。

たまには銚子に戻って農業を手伝うという約束を交わし、坂尾さんの東京での暮らしがようやく始まったが……。

「アパートの家賃が月7万でDJに使うレコードに月10万以上。クラブに来る客にチケットを売るノルマも課せられて、売れなければ全額自腹というペナルティ付き。念願の東京暮らしでしたが、みるみる貯金は尽きていきました」。


会場設営などの日雇いで収入を得ていた坂尾さんだが、DJとして食べていくにはままならず、借金が増える一方。

そんな生活に疑問を感じるようになった頃、金を貯めて訪れたニューヨークで意識が変わったという。

元ヒップホップDJで老舗農家の長男が、農業界のチェ・ゲバラと呼ばれるまで

本場のヒップホップに刺激を受けると同時に、輸入業に目覚め始めた頃の坂尾さん


「DJで必要なレコードを安く手に入れるために、友達と一緒にニューヨークに遊びに行ったんですが、本場のヒップホップシーンの、地元を大事にする考え方に触発されました。かっこいいじゃんって。僕も銚子で仲間と一緒に、地元のカルチャーを盛り上げたいって思うようになったんです」。

21歳で銚子を出て上京し、アメリカを経由し23歳で再び銚子に戻ってきた坂尾さん。地元の仲間とイベントを主催し、自分はヒップホップDJ。家業の農業も手伝いつつ、アメリカで服やレコードを買い付けては、仲間と一緒に販売した。

「東京にいなくても、地元で完結するクラブカルチャーを育てられる手応えを感じましたね。若くて調子に乗ってた時期もありますが、海岸のゴミ拾いを買って出て市役所と信頼関係を築いたりして、のちに地元の飲食店が60店舗集まる規模のイベントを主催できるようになりました」。

イベントを主催し、輸入・販売業を生業に、地元を盛り上げながら順調に商売を切り盛りしていたかに見えた坂尾さん。だが10年続けていくうちにECサイトでの価格競争の沼にはまっていったという。


元ヒップホップDJで老舗農家の長男が、農業界のチェ・ゲバラと呼ばれるまで

ネット販売と並行して銚子で6年続けた子供服の店も2017年に畳んだ。


「大手に金額で勝てるわけがないですよね。在庫を抱えないように値段を下げれば、薄利多売で儲けが出ない。散々それを繰り返しても、結局、割に合わない収入しか得られないようになったんです」。


自分たちにしか売れないもの?「キャベツでしょ」

価格競争に陥らず、生産から販売まで自分たちのオリジナルでできる商売はないのだろうか……。そんなときに思い出したのが「うちの野菜はほかよりうまいんだ!」という両親の言葉。確かにそうだと坂尾さんも感じていた。

「オリジナルっていえばうちの畑の野菜じゃない? ってことに気づいちゃったんですよね」。

元ヒップホップDJで老舗農家の長男が、農業界のチェ・ゲバラと呼ばれるまで



ひたすら拒んできた家業の継承。遠回りをしてきた坂尾さんがようやくたどり着いた先は、自分が育った銚子の畑だった。

もちろん、我が道を行く坂尾さんが、普通の農業をやるわけもなく。

後編では、アフロ農家の農業革命に迫る。


坂尾英彦(さかおひでひこ)●1982年千葉県銚子市出身。12代続く農家の長男として誕生するも、農家になることを拒否。18歳でヒップホップDJを目指し、上京。20歳で銚子に戻り、レコードや洋服の輸入・販売を始めるも、30歳で大嫌いだった農家に転身する。現在は「Hennery Farm(へねりーふぁーむ)」代表を務め、“アフロ農家”としてメディアに引っ張りだこ。日本農業の未来のため、独自の「農業改革」に取り組んでいる。「37.5歳の人生スナップ」とは……
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る 
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