海岸地域の安全性を高めるため、日本の海岸線は人工化が進んでいる。

では“手つかずのビーチ”はどれほど残っているのか。
その実情について九州大学准教授の清野聡子さんに伺った。


国土の安全を目的に海岸の人工化は今も続く

サーフィンに関する仕事をしていると、新たに防潮堤が造られたり消波ブロックが投入される話に触れることがある。

それは上の写真のような状況で、投入の目的は高潮や波の影響が及ばない海岸とし、地域に暮らす人たちの生活を自然災害から守ることにある。

同じく地域に住む、またはその地域のサーフスポットを訪れるサーファーにとっては、大切な波が失われてしまうときもある。

建設や投入に反対の声を上げても聞き入れられることは滅多にない。「サーフィンは遊び」で、生活の安全のほうが重要だとされるためだ。そうして消失した数々の波がある。

千葉県鴨川市の「赤堤」と呼ばれたサーフスポットはその代表で、港の拡張工事により姿を消した。同県の君ヶ浜、茨城県の阿字ヶ浦も同様だ。

ここで視点を変えてみる。日本の海岸線では全域で砂浜が消失する事象が起きているのだ。

砂浜が消失している理由は、“海岸に流れ着く土砂の量”より“海岸から流出してしまう量”が多いため。砂の供給が間に合っていないのである。


背景には、1960年代以降に全国各所で活発となった治水目的のダム開発や河川の護岸があり、それにより岸に流れ着く土砂が減少してしまった。

加えて治水工事で使われるコンクリートには砂が必要となる。砂は山を切り崩し、沖合の海底から採取され供給されるのだが、砂が取られた海の底へ向かって海岸の砂が流れる状況が観察されてきた。

つまり失われた砂浜は、海岸地域の安全性を高めるための国土の“人工化”が要因。それが定説とされている。

その様子を「異常なまでの人工化」と呼んだのは、九州大学で海洋生物学や海洋環境保全学などを専門にする清野聡子准教授。

取材先でお会いすると、開口一番、「日本全土を空撮すれば一目瞭然。海岸線に砂浜の存在を確認できるのはわずか。状況はひどすぎる!」と憤った。


海岸関係者の利益は関係する人の数だけ違う

「日本はコンクリート王国。しかもシステマティックに動いています。たとえば誰が消波ブロックを手掛けても同じようにできる。

こういう形状には、これだけの量のコンクリートを混ぜて、という仕組みがしっかりと出来上がっているんです。


その仕組みのスケールは巨大で、生物調査を積み重ねて検証していく私のような環境分野の人間では到底太刀打ちできないくらいです」。

その巨大な仕組みとは、端的に言えば経済活動だ。

護岸というプロジェクトには監督官庁のもと、建設コンサルタントや海砂採取事業を行う会社など多様な事業者が関係する。各事業者は収益から国や地域には税金を、従業員には給与を支払う。雇用も生む。社会生活の基盤となっているのだ。

また清野さんは、いつからか家屋やホテルなどの建物が海沿いに建つようになったことも海岸の人工化を進めた言い、神奈川県出身であることから鎌倉の状況も把握していた。

「海岸沿いに建物が増えた鎌倉ですが、七里ヶ浜周辺では満潮時になると砂浜がなくなるほど浸食が進んでいます。稲村ヶ崎はかつて海水浴場でしたが、やはり砂が失われ随分前に閉鎖されました。

もし海岸線を走る国道134号線を死守するとなったら護岸をもっとしっかり行う必要が出てきます。そうなると砂浜は諦めるという選択になるでしょう」。

腰越から稲村ヶ崎にいたるエリアはグッドウェーブが望めるサーフスポット。
しかし海岸浸食が進み、砂浜がなくなり、海が深くなっていけば波質への影響も必至となる。

腰越漁港が造られた際のエピソードも興味深い。

「腰越漁港を造る際に鎌倉市で会議があって、“防波堤を延ばせば砂が移動します”という意見を何度も伝えてきました。けれど多くの出席者に見られたのは“そんなことは大したことではない”という姿勢。

そして海の流れに左右されて砂は自由に移動することから、ほかのエリアに溜まっていた砂が腰越周辺で堆積するということが起きました。

状況を改善したいという話をすると、シラス漁関係者から“海が濁るからやめてくれ”との声が上がったんです」。

この話が象徴するのは、海に関わる人たちが100人いれば100人それぞれプライオリティが違うということだ。

地域住民によっては安全な暮らしであり、漁業関係者にとってはいい漁場であり、地元の土木建築事業者にとっては継続的な公共工事であり、サーファーにとってはいい波であり、そして政治家にとっては多くの票であるように。

大切なのは関係者内で“最適解”を導き出すことである。そして導き出すうえで重視したいのは“行政の運営に対して経済的に貢献できるか否か”という視点。少子高齢化の時代、市町村は財政が厳しく事業に優先順位をつけざるを得ないためだ。
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海岸の状況を変えるため、必要なのは公の場での発言

九州大学准教授の清野聡子さんに聞く「日本に手つかずのビーチはどれほどありますか?」

九州大学准教授 清野聡子さん●1964年、神奈川県生まれ。海洋生物学、海岸環境保全学、生態工学などが専門。

現地調査に基づいて、経済や心理、文化人類学なども含めた学際的な海岸研究に取り組む。近年は環境意識の高まりも一因として、人工化された海岸や工事で破壊された自然の再生についてなど発言領域が広がってきたという。


「神奈川県は未来に砂浜を残すビジョンを掲げています。茅ヶ崎では税金で砂浜に砂利を入れる養浜もしています。

ただ、財政的にすべてのエリアで同様のことは行いにくく、だから県内の砂浜に優先順位ができていく。決める基準は地元が強く要望しているかどうか。そして“稼げる砂浜”になっているかどうかです」。

波を求めて訪れたサーファーが、その地域に飲食や宿泊などで経済的に貢献し、また移住者となって税金を納める。そのような構図を生み出せているかどうかということだ。

理解しやすい例が千葉県の九十九里である。北の屏風ヶ浦から南の太東崎まで長い砂浜が続くこの海岸線も、例に漏れず浸食が進んでいる。

対策を講じるうえで、サーフタウンを標榜する一宮町は“波”に配慮した。
だが北部のエリアには農村として生きていくことを選んだ町があり、その海は護岸工事が長く続けられている。

公共工事の予算は国からもたらされ、そして一度設置した防潮堤や消波ブロックには修繕を必要とするときがやってくる。それもまた公費によるもの。地域の小さな町にとって持続可能な事業となるのだ。

こうした現実に触れると、もし自然海岸や波を未来に残したいと思うなら、その声を行政に届けることは絶対的に必要なのだと思えてくる。

「昨夏のオリンピックでメダリストを2人輩出したサーフィンの社会的ステータスは上昇し、“砂浜にお金をかけてもいいかな”と考える関係者が増えている可能性はあります。

その人たちから理解を得るためには、公式の場できちんと発言できないといけません。というのも、意見を言える会議に出られる権利を得ながら欠席するサーファーが多いんです。

確かに会議は往々にして退屈ですし、すぐに物事が決まるわけでもないので意義を感じにくいとは思うのですが、会議は大事な意思決定の場。社会の中で砂浜や波を守りたいと本当に思うなら、退屈であろうと誰かは行かなければなりません」。

一方、陸の人はきちんと出席するという。楽しい未来をみずから手放した側面もサーファーにはあるのだ。



未来の日本の海岸に多様性をもたらすために

議論の落としどころに関する折り合いのつけ方も、サーファー側が再考すべきポイントだという。

海岸にまつわる利害関係者は多様だと記したが、同じく活用法も多様であり、なかでも人工化する整備事業には「命を守る」という大義がある。その大義との向き合い方次第で、砂浜や波を守れる可能性は変わるためだ。

「手つかずの海を希求する気持ちは理解できます。ただその思いが強すぎて反対するばかりでは民意となりません。

確かにこれまでの海岸整備の方法は一元的にすぎました。護岸工事でも人工リーフを海底に入れる選択だってある。海外にはその人工リーフをグッドウェーブの生まれやすい形状にした事例もあるといいますし、もっと多様性があっていいはずです。

それに利害関係者は目的が票であり収益であるから、好き嫌いはないんです。多少の妥協なら許容しますし、交渉の余地はあります。何より市民社会においてサーファーは数が少ない。タフでスマートな交渉人になる必要があるんです」。

最後に清野さんは「海岸について考えること自体が新しい分野」なのだと教えてくれた。

砂浜や海を大切にした暮らしをつくっていこうとする歴史はまだ始まったばかりで、その一方、鉄とコンクリートで国を造ってきた歴史は相当に長い。データや実績は豊富にあり社会の基盤ともなっている。

だから豊かな自然環境を残していこうとする取り組みは、法律も含め盤石に築き上げられた壮大なシステムとの折衝なのである。

希望は、そんな時代ながら日本にも海辺の国立公園などに自然海岸が残されていること。まずはその海を訪れることから始めてはどうだろう。そう清野さんは提言した。

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九州大学准教授の清野聡子さんに聞く「日本に手つかずのビーチはどれほどありますか?」

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