2018年3月2日、小さな女の子の命の灯火が消えた。「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」――。
船戸結愛ちゃん、当時5歳。親に甘えたい盛りの子供が命乞いのメモを残して亡くなったショッキングな事件は「目黒区虐待死事件」として大きく報じられた。奇しくも事件に遭遇したのがラッパーの般若である。
般若●ラッパー。1978年、世田谷区三軒茶屋出身。1995年頃から活動を開始し、今年4月27日には13枚目のアルバム『笑い死に』をリリース。俳優としてドラマや映画などへの出演も多数。昨年は新レーベル「やっちゃったエンタープライズ」を立ち上げ、今年3月には「FOR CHILDREN PROJECT」を設立した。
事件から丸4年を迎えた2022年3月2日、般若は結愛ちゃんの命日をタイトルにした新曲『2018.3.2』を配信。同時に「FOR CHILDREN PROJECT」の立ち上げを発表した。なぜ彼は4年の沈黙の末に行動を起こしたのか。新曲に込められた願いや葛藤、事件を目撃した複雑な胸中、そして、ひとりの父としての想いに迫った。
2018年3月2日、般若が目にしたもの
痛かったね 寒かったねお腹空いたね 違う形で会いたかったねそこに居た事 知らなかった普通に過ごしてたよ 2~3ヶ月間暗い部屋から君が見てたあの街灯大丈夫もう怖い事なんて無いよ2018.3.2 金曜 17:00過ぎ急に近づくサイレンの音と共に止まった消防車隊員は火の手なんて無えって表情さ男が2階から「救急車」と叫び奇妙だって思うのには充分だ救急隊員取り囲む1ヶ所その数分後 悪夢だって事を知ったよ土色の顔 案山子(カカシ)みてえな足タンカ乗せられた女の子 運ばれてくその先般若『2018.3.2』より2021年夏、般若は『2018.3.2』を書き下ろした。事件当時、事件現場から道一本を隔てたマンションに住んでいた彼は、心肺停止状態の結愛ちゃんが運ばれていく様子を目と鼻の先で目撃した。
「たまたま僕はその現場を見てしまったので、『2018.3.2』は自分の強い気持ちが前面に出た曲になっています。これを世に出すかどうかはすごく迷ったし、歌詞を書くかどうかという葛藤もありました」。日々ニュースで見聞きする凄惨な事件や事故も、テレビやネットなどのフィルターを通すことで受け手の衝撃は緩和される。しかし、ここまで至近距離で事件を目の当たりにした場合はどうか。「この事件で、人生を変えられたと僕は思っています。数メートル先で、あんな狂気じみたことが行われていて、僕たちはそれに気付けなかった。めちゃめちゃ喰らいました。キツかったです」。--{}--
焼き付いて離れない、“カカシ”のような脚
事件当時の様子をさらに詳しく聞いてみよう。「あの日、僕は息子と一緒にいました。自宅のマンションに入ろうとしたところで、消防車のサイレンが近づくのがわかったんです。消防車はそのまま自宅の向かいにあるアパートの前で停まって、あれ? って」。
火事かと思ったが火の手はない。周囲にはたちまち異様な空気が立ち込める。「マンションの渡り廊下から向こうを見下ろしてみたんです。そうしたら、だんだん様子がおかしくなってきて。ベランダから出てきた男が『こっちだ!』って叫んで、到着した救急隊員たちがアパートの部屋に入っていきました」。
渡り廊下からは、救急隊員が全員で部屋の一カ所を見下ろしていたのが確認できたという。しかし、目線の先に何があるのかはわからない。それでも不穏な何かが起きていると察するには十分だった。「その光景が異様で、すげえ悪い予感がしてきたんですよ。そしたら部屋から担架が出てきて。なんて言ったらいいんだろう……本当にもう“木”みたいな、茶色くてカカシのように細い脚が見えたんです」。そこで目にしたものは今も般若の脳裏に焼き付き、この先も一生忘れることはないという。
「おそらく、僕らが唯一の目撃者でした。一緒にいた息子もその異様さに気づいたんでしょうね。『怖い』って言い出して、家の中に入りました」。その後まもなくして結愛ちゃんの死亡が確認された。結愛ちゃんが長年受け続けた虐待の数々は、語るのも憚られるほど壮絶で残虐だ。そして、衰弱しきった結愛ちゃんの心の叫びは絶命するまで外界に届くことはなかった。「そこに5歳の女の子が住んでいたなんて誰も知らなかったはずですよ。大家も知らなかったと思います。知っていたら、誰だって確実に止めに行っています」。
心に引っ掛かった「気にしないほうがいい」の言葉
「結局、僕は(この事件の)曲を出すことになりましたけど、まず曲にするかしないかという葛藤がありました。『これは僕の胸の内に留めておくべきなんじゃないか』って。ある日、近しい知り合いに自分が見たことを話したんですよ。そしたら『あまり気にしないほうがいいですよ』って彼は言ったんですね。
僕のことを気遣ってくれてのことですが、その言葉がずっと心の中で引っ掛かっていて」。気にしないほうがいいという気持ちもわかる。だが、気にしなければいつか忘れられるのか。かといって、気にしない以外に何ができるのか。ラッパーに残された選択肢は、曲を書くか否かの二択だった。 「こんなに悩んだことはなかったですね。僕は普段、すごくふざけていますけど、この曲はガチなので。しんどかったです。でも、もっとしんどいのは、ああいう形で旅立たないといけなかった結愛ちゃんじゃないですか。書くべきか、書かないべきか。書こうともしたけど、書けない。3年以上そういうのを繰り返して、2021年の夏にようやく曲ができたんです」。
悩んだ末に、曲にすると決めたキッカケは何だったのか。 「間違いなくあの瞬間、僕の人生と結愛ちゃんの人生が初めて交差しました。それを考えると『やっぱりダメだ』って。ダメだっていうのは、そこから先に色を……うまく言えないんですけど、色を付けないとダメだって思ったんですよ。そこからです。売れるとか売れないとか、話題になるかならないかっていうのとは別の次元で曲を書こうと決めたのは」。長年、向き合い続けてきた事件だ。一度曲にすると決めてからは早かった。歌詞は約2日で一気に書き上げ、書き直すこともなかったそうだ。何も知らずレコーディングに立ち合ったエンジニアは、曲を聴いてすべてを悟ったのか、ブースの外で頬を濡らしていたという。--{}--
「この曲で悲しい気持ちになったらごめん」
「メジャーなアーティストだったらこの曲は出せないですよね。でも僕はメジャーじゃないから関係ない。曲について何を言われてもいい。
それが罵詈雑言だとしても、僕には響かない。それでも、曲を世に出す怖さはありました」。恐怖の理由はシンプルだ。「この曲を聴いて辛い気持ちにさせちゃったらごめん、っていうことですよね。出すか出さないかを迷ったっていうのは、そこです。本当はこんな曲、この世に存在しちゃいけないんですよ。だけど、もしかしたら、この曲を聴いた人が『自分の家の隣でも虐待が起きているかもしれない』って考えたり、何か気になることがあれば声をかけるキッカケになるかもしれない。そうなればいいなと思って、最終的に曲を出しました」。
自分の身近な場所で、今も虐待は起こっているかもしれない。見慣れた日常風景にその可能性が投影できれば、救える命もあるかもしれない――。『2018.3.2』のリリースを決意した背景には、般若の切実な願いがあった。
後編<「『また虐待か』と麻痺する社会は嫌だ」般若が子供たちのために動いた理由>はコチラ未公開シーンを含む動画はコチラ