斎藤佑樹のセカンドキャリアは今●昨年、プロ野球人生に終止符を打ち、実業家としてのセカンドキャリアを歩み始めた斎藤佑樹さん。彼が想い描く未来予想図、そしてボールの代わりに手にしたカメラの魅力。
▶︎すべての画像を見る甲子園のマウンドでハンカチ(実際にはハンドタオル)を使い汗を拭う姿から“ハンカチ王子”と呼ばれ、注目を集めたのは16年ほど前のこと。斎藤佑樹さんは昨年、プロ野球人生に区切りをつけ、自身の名を冠した会社を設立。現在は野球の未来のために日々奮闘している。そんな彼が抱く理想のセカンドキャリアとは? ウェルビーイングな暮らしとは? さまざまな岐路に立つオーシャンズ世代として気になることをすべて、聞いてきた。まずはこの質問から。
「斎藤さん、今の夢って何ですか?」。 斎藤佑樹●1988年生まれ。群馬県出身。早稲田実業学校高等部3年時に夏の甲子園で優勝し、早稲田大学進学後も4年間を通じて活躍する。2011年にはドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。2021年に現役引退し、同年12月に株式会社斎藤佑樹を設立。現在は「野球の未来づくり」をテーマに活動しながら、CM出演、野球解説、コラムの執筆、写真展の開催など幅広く活躍中。
夢の始まりは、“平成の怪物”松坂大輔だった
現在斎藤さんは、足繁く野球場に通い、雑誌の取材を受け、CMにも出演。会社を設立して以降「野球の未来づくり」をテーマに、忙しなく全国を駆け回っている。これまでの活動を振り返りながら、「まだまだ初めてのことばかりで慣れないですね」と話す。とはいえ、実業家とアスリートでは共通点も多いと言う。
「ピッチャーは、バッターの気持ちや考えていることを探りながら自分の得意な球種を投げるもの。それは違うキャリアを歩んでいる今も同じで、相手のことをしっかり考え、何をしたいのかを咀嚼しながら対応しています。その点はすごく似ていると感じますね。僕は今まで野球の経験しかないので、違うジャンルの世界で活躍されている方とお会いしながら日々刺激をもらっています。
野球に対する視点もだいぶ変わったように思います。外から見ていると、選手ってすごく楽しそうにプレーするなと思うんですよ。やっぱり、野球に携わる人は、皆野球が好きなんだなって。今思えば、僕ももっと野球の楽しさをファンの前で素直に表現してもよかったんだなと感じています」。斎藤さんが野球の楽しさを知ったのは小学校時代。当時からプロ野球選手への憧れはあったが、それよりも彼の心を動かしたのは甲子園で躍動する“平成の怪物”だった。
「小学4年生の頃に横浜高校の松坂大輔さん(元西武ライオンズ)が活躍している姿を見て、すごく憧れました。中学時代には、東京六大学野球の青木宣親(現東京ヤクルトスワローズ)さんが出ている早慶戦も観戦し、自分が早稲田のユニホームを着て活躍する姿を想像していました。その頃から、甲子園に出場して優勝し、神宮で活躍するという明確な目標ができました。当時からプロ野球選手になるのは夢でしたけど、すごく漠然としていましたね」。斎藤さんは、当時から周囲へその目標を語っていたという。
「高校入学時から『甲子園で優勝する』と、当時の仲間たちの前で言っていました。最初は優勝なんて無理だと思われていましたが、徐々に夢が現実味を帯びてきて、最終的には甲子園で優勝するという成功体験を得ることができました。言い方はすごく難しいんですけれど、
夢の叶え方というのか、叶える過程を経験できた。だからこそ今の僕の夢も、諦めなければ叶うと信じています」。甲子園で優勝投手となり、東京六大学野球では史上6人目となる30勝300奪三振を記録。やはり夢を成し遂げきた男の言葉は、説得力が違う。「プロになったあとは思うような結果を残すことができませんでしたけどね(苦笑)」というオチをつけるあたりも、斎藤さんの人柄だ。--{}--
斎藤佑樹が伝える、夢を実現させるために必要なこと
斎藤さんは、少年野球の会場へ足を運んだ際にも、子供たちに夢の話をするという。そして、叶えるために何をすべきかを彼なりの言葉で伝える。
「子供たちからは、『小さい頃、どんな夢を持っていましたか?』という質問をよくされます。
夢の話をするときには、やりたくないこともやらなければいけないと話しますね。勉強もそう。僕の通っていた早稲田実業は、野球を三年間続けるために、勉強でもしっかり成績を残さなければいけません。そうしないと進学ができないんです。成績が悪いと、留年の可能性だってあります。勉強が好きな子はそれほど多くないと思います。ただ、
好きなことをするために、“頑張れる許容範囲”を増やしておくことは大事。僕自身の体験からは、そう伝えるようにしています」。おそらくオーシャンズ世代にとっても胸に刺さる言葉だろう。斎藤さんはCMで、憧れの選手・松坂大輔さんと共演を果たした。そのときも、同様の話になったという。「以前、大輔さんとキリンビールのCMで共演させていただいたときは、緊張しましたね! そのとき、大輔さんは練習も走るのも好きじゃなかったとおっしゃっていました。でもボールを投げるのは好きだったと。僕も投げるのはすごく好きですけど、嫌いだな、嫌だなと思っていた練習もたくさんある。でも必要なことですし、やらなければ前に進めないのです」。
斎藤さんは、今も欠かさずトレーニングを行っている。彼のインスタグラムを見ると、その本気度たるや現役さながらである。「現役時代と比べると、疲れ方が変わりましたね。以前は体を目一杯使っていましたけど、今は頭をすごく使う。この疲れをどうにか体のほうに分散したいとは思っています」。引退後、運動をしない時期もあったが、自分にとっては良くないと痛感したという。「どこかで体のスイッチを入れる状況を作らないと、闘争心みたいなものが湧いてこないんですよ。それに、洋服も格好良く着たいじゃないですか(笑)」。--{}--
斎藤佑樹が感じている「夢」と「目標」の違い
斎藤さんの話の中で出てくる「夢」と「目標」という言葉。このふたつの違いを、彼はこう語る。
「
夢は、漠然としていて、叶えられるか叶えられないか分からないもの。目標は頑張れば手が届くものという認識があります。以前、大輔さんがインタビューで『目標と夢は違う。夢は叶えられないかもしれないが目標は叶えられる』と答えていました。本当にその通りだと思います」。どんな問いにも真摯に向き合い、丁寧に答える姿。こうした真っ直ぐな姿勢こそ、斎藤さんが多くの人から愛され続ける所以だろう。では今、彼はどんな夢、そして目標を抱いているのだろうか?
「
夢でも目標でもありますが、野球場を作ること。何もない土地にダイヤモンドの線を引いたら、もうそこは野球場になりますよね。それだったら、誰でもすぐにできます。でも、僕が作りたい野球場は、少年野球の全国大会が開催できる聖地と呼ばれるような場所。子供たちがそこを目指して一所懸命に野球と向き合えるような場所を作りたいと思っています」。古巣である北海道日本ハムファイターズの新球場建設の過程を間近に見ることができた経験も、夢を膨らませるきっかけとなったようだ。
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「ファイターズの新球場は理想的だと思います。確実に世界一の野球場といえますね。グラウンドと観客席の距離が近いですし、選手目線で野球を楽しめる。関係者の話を聞いて僕自身、すごく勉強になりました。まだ妄想ですけど、野球場に美術館が併設されてもいいなと思っています。野球の応援ですごく盛り上がったあとに、美術館に行き、心を落ち着かせて帰宅する。ふたつ同時に楽しめたら、素敵な1日になると思うんですよね」。
北海道日本ハムファイターズは、来たる9月24日からのホームゲーム5連戦を「FINAL GAMES 2022」と題し、さまざまな催し物を用意。その一環として斎藤さんの写真展を開催している。彼の野球への思いが込められた写真を、ぜひその目に焼き付けてほしい。◇次回は、斎藤さんが次なる夢へと向かう手段として選んだ写真についてインタビュー。ボールを置き、カメラを手に取るまでの経緯から、写真家としての目標を抱くまでを赤裸々に語っていただく。