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「純恋歌」「睡蓮花」など、2000年代を代表するヒット曲を生み出したレゲエグループ、湘南乃風のSHOCK EYE(ショックアイ)さん。若々しいルックスもさることながら、最近は類稀な強運の持ち主として『歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている運気アップの習慣』(講談社)を発表するなど、40代にして新たなブレイクを果たしている。
「26歳までにデビューできなかったら音楽活動をやめる」と彼女と約束し、一念発起して音楽制作に専念した20代前半。そして見事に約束通り、SHOCK EYEさんは26歳でデビューを果たした。
「期限を決めてからは音楽のことしか考えていませんでした。これまで仕事を言い訳にして避けていたイベントにもすべて顔を出して、メンバーともより密にコミュニケーションをとるようにした。1曲作るのに本当に時間がかかりました。仲間でもありライバルでもあるから意見もぶつかったし……。だからこそ納得のいくテープも作れたんでしょうね」。
「純恋歌」のヒットで生まれたギャップと責任感

2001年のデビュー後、2006年に湘南乃風が発表した「純恋歌」は、年間シングルチャートでTOP10にランクインするほどの大ヒットを記録。続く「睡蓮花」もヒットを飛ばし、湘南乃風は一躍人気アーティストとして注目を集めるようになった。当時、一気にスターダムに上がったことをどう感じていたのだろうか。
「僕はうれしかったけど、戸惑うメンバーもいました。この先どういう方向性で進んでいくか言い争うこともあった。僕らはライブ会場やクラブで盛り上がる音楽をメインにやってきたから、ラブソングで注目を浴びることにギャップを感じていたんです」。
こうしたい!という思いだけでやってきた10代~20代。30代に突入し、自分ひとりの行動がメンバーやスタッフ、ファン、そして家族に影響を与え、大きな責任が伴うことを痛感した。

「彼らのために自分の生き方や気持ちを変えられるかどうかの岐路。芯となる部分だけは残して、あとは柔軟に対応しなければならない。僕は意外とそれが得意でした。誰かのために自分が大切にしていたものを置いていくことに対して、抵抗がなかったんです。だって本当に大切なものって意外と少ないじゃないですか。だから意地はっても仕方ないなって」。
30代に入って2人の子供ができたことも、考え方に大きな変化をもたらした要因だった。
「子供中心の生活に、一気に変わりましたね。生活スタイルや考え方を貫く格好よさもあると思うけど、僕は大切にしたいもののために自分の価値観を修正していこう、というタイプでした」。
子供は教師のような存在

「子供中心の生活」とはどのようなものなのだろうか。
「子供と一緒にゲームをしたり漫画を読んだり、常に話題をシェアできることがいちばんの喜びなんです。休日の使い方、聴く音楽ひとつとっても子供が喜び、一緒に楽しめるものを選びたい。昔は全然興味のなかった世界をたくさん教えてもらえるので、子供の世界で遊ぶほうが刺激的なんですよね。だって彼らには目の前が僕らよりはるかに輝いて見えているから。それを全力で守りたいし、自分も取り戻したいなと思います」。
子供に「教える」のではなく「教わる」。その言葉選びがなんともSHOCK EYEさんらしい。
「湘南乃風を組むときにレゲエなんて絶対うまくいかないとか、そんなのいつまでやってんだ、格好悪いって散々笑われた。レゲエミュージックをかけた途端、音楽止めろってクラブのオーナーに言われたり、たくさんの人に『不正解だ』って突きつけられました。でも僕の中では『正解』だったから突き通せたんです。僕は子供にも彼らなりの『正解』を見つけてほしいし、それをいちばん近くで一緒に体感したい」。
蚊帳の外から伝えるのではなく、生の言葉を届けて響かせたい。そのためにもまずは一緒に試してみる。それはSHOCK EYEさんのアーティストとしての思いにも似ていた。年齢を重ね、人生観にも変化を迎えるなかで、40代に入って「歩くパワースポット」として注目を浴びたことについては、どう思っているのだろう。
「最初はびっくりしたけど、そう言ってくれる人を後悔させないような自分になろうと思って生きています。大事なのは成功のためのノウハウやスキルよりも、日々を大切に思う心の軸。自分がどんな人間として人生を終わらせたいか、を考えると、自然と行動も気持ちも上向きであり続けられると思うんですよね」。
湘南乃風、SHOCK EYEとしてかっこよくありたい。そう語る姿は、パワースポットと呼ばれるのも納得の輝きを放っていた。

藤野ゆり=文 小島マサヒロ=写真