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「37.5歳の人生スナップ」とは……

ネイチャーフォトグラファー岡田裕介さんが2009年にNational Geographic International Photography Contestで奨励賞を受賞した写真は、正面から捉えたマナティのリラックスした表情と、そこにキラキラ群がる魚たちの対比がなんともユーモラスで印象的だ。

このワンカットのために、一日中海に潜り、ファイダー越しにマナティを見つめ続けていたという。

決してラッキーな1枚ではない。

「夢を諦めたら、次に挑戦すればいい」ネイチャーフォトグラファーが求めた次の場所
©Yusuke Okada

「自然の生き物をずっと見続けていることが全然苦じゃないんです。じっと観察し続けて、自分が『かわいい!』『いいね!』と感じた瞬間にシャッターを切れることが楽しくて仕方ない」。

しかし、自然という被写体と岡田さんが出合うまでには、いろいろな転機があった。

「小学生の頃の夢を叶えて今がある人もいると思いますが、僕はそれとは大違い。でも、好奇心旺盛にやってきて良かったな、と思っています」。


今いるココとは違う場所に行きたかった

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小学生の頃の夢といえば、岡田少年の夢はラグビー選手だった。小学校5、6年生のころ、テレビで大学ラグビーを観戦して、そのトライの格好良さに心奪われたのだという。

「それで、トップ選手になるために高校はラグビーの強豪校に行って、花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)を目指そうと考えました。ラグビーを始めたのは、カッコイイ! と思ったのがきっかけではあるんですが、もうひとつ、『今いるここから出て違う世界を見てみたい』という思いを子供の頃から持っていたんです」。

地元は埼玉県大宮。住宅街で会社員の子供として生まれ育った。同級生たちも概ね同じような環境だ。

そういう「フツウ」にどこか反発心を抱いていた。

「だから、ラグビーで強くなれば、ここではないどこかに行けると思ったんですよね」。

中学ではラグビー部はなかったから、野球部、駅伝選抜などで活躍し、相撲部では県大会2位の成績を収めた。そして狙い通りスポーツ推薦を獲得し、ラグビー強豪高校に入学。高校3年のときにレギュラーメンバーとして花園に出場。「あの頃のことは今でも夢に見る」というから、どれほどの集中と努力を重ね、記憶に刻み込まれた日々だったのか想像に難くない。

「でも、ラグビーはそこで終わりにしました」。

ケガをしたのも理由のひとつだが決定打ではない。希望の強豪チームへの進学が叶わなかったこともある。燃え尽きたといえば、そうなのかもしれない。しかし子供の頃からの夢を諦めても、クサらなかった。すでに次の夢があったからだ。

カメラマン、しかも、戦場カメラマンだ。

「高校生のときに修学旅行で行った先で、戦場の写真を見たんです。捕虜と兵士の写真でした。その資料館を一緒に歩いていた何人かが、全員その写真の前で足を止めました。誰も何も言わなかったけれど、全員が何かの感情を抱いたことを感じました。スポーツにしか興味のない男子高生の足を止めさせる力を持つ『写真』、そしてそれを『撮る人』の存在が気になるようになったんです」。


夢に疑いはない。でも評価されず、行き詰まった

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実は、スポーツに夢中であったのと同時に、彼が夢中だったのが本。どんなに練習でくたくたでも書店に寄り、面白そうな本を探すのが日課だったという。

「ここではないどこか」に憧れていた少年の心を捉えたのは、椎名誠の冒険小説や沢木耕太郎の『深夜特急』、辻仁成の芥川賞受賞作『海峡の光』に感動したのもこの頃。

修学旅行先での写真との出合い以降は、ロバート・キャパや一ノ瀬泰造、沢田教一といった報道写真家、主に戦場を被写体とした写真家たちに惹かれ、彼らに関係する本を読み漁った。

「だから、ラグビーを辞めたとき、彼らのような写真家になって世界を旅しようという夢が当たり前のように浮かんできたんです。

同級生には『将来はカメラマンになる』と言い切ってました(笑)」。

とはいえ、カメラマンになることも、ラグビー選手になるのと同じくらい、簡単なことではない。

ラグビー選手という夢に対しては綿密な計画を立てた岡田少年だったが、カメラマンになることについては、あまり具体的な計画がなかった。とりあえず、父親から譲り受けた一眼レフを持って旅に行き、写真を撮り始めたのだが、友達から「全然撮ってねーじゃん!」とからかわれるほど撮った写真は少なかった。

「どうしていいか分からなかったんですよね。でも、自分がカメラマンになるということに疑いはなかった」。

それで大学卒業後、アルバイトで貯めた100万円を軍資金に写真専門学校に入学した。が、やはり何も拓けない。なんとかなるという根拠のない信念は、入学半年で限界を迎える。

「夏休みの課題を発表していたとき、先生に『君は写真より話のほうが面白いね』と言われたんです。それで初めて『ヤバイ、カメラマンになれないかも』と思いました」

同じ頃にお金も乏しくなり、ある日財布もカラ、銀行口座もゼロという現実を突きつけられる。さらには失恋もするという、何もかもデッドエンドなある秋の朝、電話が鳴った。

旅先で知り合ったカメラマンだった。

「明日ヒマ? 知り合いのカメラマンが体力のあるアシスタントを探してるんだけど」。やります、と即答した。

 

>後編に続く

岡田裕介(おかだゆうすけ)●1978年埼玉県生まれ。大学卒業後、フォトグラファー・山本光男氏に師事。2003年にフリーランスフォトグラファーとして独立。水中でバハマやハワイのイルカ、トンガのザトウクジラ、フロリダのマナティなどの大型海洋ほ乳類を、陸上で北極海のシロクマ、フォークランド諸島のペンギンなど海辺の生物をテーマに活動している。温泉に入るニホンザルの写真はアメリカ・スミソニアン自然博物館に展示されている。また、辻仁成・GLAY・MIYAVIなどミュージシャンのライブ撮影も手掛けている。2019年に写真集『Penguin Being-今日もペンギン-』(玄光社)。2020年9月にクジラとイルカをテーマにした写真集『これが君の声 青の歌』を刊行予定。http://yusukeokada.com/

岡田裕介写真展『これが君の声 青の歌』
2020年9月22日(火)~27日(日)恵比寿 弘重ギャラリー
2020年9月29日(火)~10月 11日(日)京都写真美術館

「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。

しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。 上に戻る

取材・文=川瀬佐千子 写真=田辺佳子 取材協力:surfers、石垣島ダイビングセンターMOSS DIVERS

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