「What’s AIR JORDAN」とは……
大きな成功を手に入れた「エア ジョーダン 1」と、振るわなかった「エア ジョーダン 2」。この光と影から、ナイキは新たな一手に打って出る。
それは、のちに“天才シューズデザイナー”として名を馳せるティンカー・ハットフィールドの起用だった。ここから運命は大きく変わる。
エア ジョーダン 1~2「名作が持つ光と影」
エア ジョーダン 3(1988年)
お馴染み「ジャンプマン」の誕生
1988年に誕生した「エア ジョーダン 3」は、「エア マックス」の生みの親でもあるティンカー・ハットフィールドが手掛けた傑作だ。

当時、これまでのシグネチャーシューズに不満を抱えていたマイケル・ジョーダンはナイキとの契約更新を渋っていたが、ティンカー・ハットフィールドの巧みなプレゼンと、「エア ジョーダン 3」の革新的なデザインに瞬く間に魅了されたという。

今ではお馴染みの「ジャンプマン」のロゴが採用されたのは、実はこのモデルからだった。
“セメント柄”、あるいは“エレファント柄”と呼ばれ親しまれているデザイン、透明の窓によりエアを可視化した「ビジブル エア」などのユニークな発案は、今なお色褪せない。

マイケル・ジョーダンはこのシューズを履いて、1988年のダンクコンテストで逆転勝利した。フリースローラインからジャンプしてボールを叩き込む映像は、何度見ても鮮烈。まさにジャンプマンそのものだった。
エア ジョーダン 4(1989年)
伝説のプレー“ザ・ショット”を支えた名機
マイケル・ジョーダンとティンカー・ハットフィールドとの蜜月が始まり、「エア ジョーダン」シリーズならではの独自性を明確に打ち出した「エア ジョーダン 4」は、1989年にリリースされた。

前作から踏襲したミッドカットと「ビジブル エア」、スピード重視の選手のために考案された「フライト」の概念を導入しつつ、新たにメッシュネットやTPUパーツを取り入れることで「エア ジョーダン 4」は完成した。
スパイク・リーを起用したCMなどナイキ独自のマーケティングも功を奏し、マイケル・ジョーダンと「エア ジョーダン」は遂に世界へと羽ばたく。

マイケル・ジョーダンと「エア ジョーダン 4」が生み出した、NBA史上に残る伝説のプレーがある。
1988-1989年シーズンの対クリーブランド・キャバリアーズ戦、1点差で負けていた残り3秒、マイケル・ジョーダンはジャンプシュートを決め、チームに勝利をもたらす。
エア ジョーダン 5(1990年)
コートを飛び出し、強盗事件も起こった超人気作
前作「エア ジョーダン4」のヒットという伏線もあり、「エア ジョーダン 5」への関心はデビュー前から高く、実際、その姿は期待を裏切らないものだった。

1990年、マイケル・ジョーダンの桁外れの得点力と結びつける力強いデザインを求めていたティンカー・ハットフィールドは、世界大戦時の戦闘機「P-51」から得たヒントを「エア ジョーダン 5」にディテールとして落とし込んだ。

「エア ジョーダン 5」には4つのオリジナルカラーがあり、ソールなどに配したクリアラバー、シュータンのリフレクターなどの特殊なマテリアル、鮫の歯をモチーフにしたミッドソールなどの、ユニークなディテールが目を楽しませてくれる。
一部のモデルのヒールカップには、マイケル・ジョーダンの番号である「23」の刺繍が施された。
マイケル・ジョーダンはこのシューズを履いて、1990年のクリーブランド・キャバリアーズ戦でキャリアハイとなる一試合69得点を叩き出している。

「エア ジョーダン 5」は発売当時から爆発的な人気があり、アメリカでは強盗事件が派生するなどの社会現象を巻き起こした。
30年経った今では、さまざまな派生モデルが登場。最近では、ヴァージル・アブロー率いるオフ-ホワイトとのコラボレーションモデルが世界中のスニーカーヘッズを熱狂させたことが記憶に新しい。
エア ジョーダン 6(1991年)
シカゴ・ブルズに栄光をもたらした傑作
1991年、NBAで初めて優勝したときにマイケル・ジョーダンが着用していたのが、同年に発表された「エア ジョーダン 6」だった。

素足に近い感覚を求めていたマイケル・ジョーダンのリクエストにより、ティンカー・ハットフィールドは「エア ジョーダン 6」を開発するにあたって、大きな構造改革を試みた。

これは主に、補強パーツを極力省いたプレーントウのアッパーが該当し、これまでのシグネチャーモデルと比べて飛躍的な機能の向上をもたらした。「ジャンプマン」をあしらったシューレースロックも特徴的なパーツとして挙がる。

日本では「エア ジョーダン 1」と並び、『スラムダンク』の主人公・桜木花道が初めて手にしたバッシュとしても知られる1足である。最人気の“カーマイン”をはじめ、オリジナルカラーは全6色がラインナップされていた。
余談だが、「NIKE AIR」のロゴの採用は、このモデルをもって一旦打ち切りとなる。
「エア ジョーダン 6」がデビューした翌年は、バルセロナ五輪の年だ。“23”から“9”を背負った「エア ジョーダン」は、どのように進化したのか。
「What’s AIR JORDAN」とは……オークションではマイケル・ジョーダン本人が着用していた「エア ジョーダン 1」が61万5000ドル(約6600万円)で落札。彼が現役引退してからも派生モデルは増殖し、比例するように熱狂的マニアも後を断たず。エア ジョーダンって一体、なんなんだ?
上に戻る戸叶庸之=編集・文 ナイキジャパン=写真