1909年に創業された高級車メーカーのマイバッハ。2002年にメルセデス・ベンツの上級ブランドとして復活した。
ロールス・ロイスやベントレーとともに雲上カーブランドの一角を担う超高級車をリリースしているのは前回紹介したとおりだが、その歴史を振り返ると、屋根が開くオープンカーが目立つ。
超絶セレブは屋根を開けるのがお好き!? そう思えてしまうような、マイバッハが過去に発表した“屋根の開く超高級車”を見ていこう。
現代に蘇った貴族時代の“馬車”
メルセデス・マイバッハ ランドレー
2007年、突如ジュネーブモーターショーにてコンセプトカーとしてお目見えしたのがランドレー。翌年には受注生産を開始した。なんでも顧客からのリクエストに応じて誕生したモデルらしい。
そもそもランドレー(ランドレット)は馬車の形状を表した言葉で、自動車が登場する前の馬車時代から存在していた。
客室にオープントップを持つものや、運転席だけオープンのものもある。車が普及していくにつれ、ランドレーは国家元首や王室のパレード車両として、運転席と助手席のフロントセクションには屋根がある“通常”のセダンのカタチで、後席だけが屋根を開けられるような車を指すようになった。

ランドレーはマイバッハの最上級グレード、62Sがベース。ドアのラインはセダンのまま、リアの屋根の部分だけソフトトップで開閉できる構造になっていた。

新車時価格は90万ユーロ(現在のレートで約1億1000万円)と、ベース車の62Sの約2倍だった。
ラッパーのバードマン、サムスングループ元総帥の李 健煕などが新車で購入したことが話題になったが、総生産台数は8台という幻の車なのだ。
実は割安!? S65ベースのカブリオレ

メルセデス・マイバッハ S650カブリオレ
独立したブランドとしてのマイバッハは2012年で一旦消えるが、2014年からはメルセデス・マイバッハの名称でサブブランド化された。
メルセデス・ベンツSクラスの上級モデルとして展開されたあと、2016年に登場したのが「S650カブリオレ」。

日本への割り当て台数はたったの4台。新車時価格は4420万円だが、そもそもベースのメルセデスAMG S65カブリオレが3471万円なので、その超絶豪華仕様からすれば割安だったかもしれない。
エクステリアの随所にメッキパーツがあしらわれ、足元には専用デザインの20インチホイールを装備。
左右のシートサイドボルスターにはダイヤモンドキルティングとブダペストスタイルのパイピングが施され、インテリアの随所に「MAYBACH」のレタリングが配された。

車の仕様もそうだが、実は付属のトラベルラゲッジセット(トラベルバッグ2個、ライフスタイルバッグ2個)とマイバッハエンブレム付きのキーホルダーも、超絶高級品だったという噂。
細かなところも手を抜かないのが、高級ブランドの証と言えるだろう。
マイバッハ初のSUVは、最強にして超絶ゴージャス

メルセデス・マイバッハ G65ランドレー
2017年、メルセデス・マイバッハが世界限定99台で投入したのが、メルセデス・ベンツGクラスベースのG65ランドレーだ。
価格は約90万ユーロ。2016年に期間限定で販売されていたG550 4×4²がロングホイールベース化されたモデル……だけにとどまらなかったのがこの車のポイント。
そもそもノーマルのG550に対して最低地上高を460mmも取り、渡河深度1000mmと悪路走破性を高めたのが限定車のG550 4×4²。
これにメルセデス・マイバッハS600と同じ最高出力630ps/最大トルク1000NmのV12ツインターボエンジンを搭載。

「ランドレー」と呼ぶだけあって、Bピラー(フロントドアとリアドアの間の車体の“柱”部分)から後ろにかけて電動開閉式の幌を装備。また、後席のプライバシー保持のためにフロントシートとの間にパーテーションも備えられていた。
そして、SUVにマイバッハの名称が付けられたのは実はこれが初。
とはいえ、Gクラスは軍用車にも転用された出自を持ち、マイバッハもその昔、軍用車のエンジン生産に携わっていたなど、実は両者の繋がりはないわけではなかった。

最強にして超絶ゴージャス。スリリングなアドベンチャーも優雅に楽しみたい方には、打ってつけかもしれない。
古賀貴司(自動車王国)=文