将来的には別の場所に新しい施設が設けられることになっている。本稿は、数年前に『Octane 』英国版に掲載されたレポートを元に、再構成したものだ。新しい施設がどのような展示になるのか、想いを巡らせながらお読みいただきたい。
パリの北、プジョー・シトロエンの敷地があったオルネーの工業地は、ロマン溢れる場所ではない。ここにシトロエンの工場が建設されたのは1970年代のことだ。
シトロエン・コンセルヴァトワールは、自社の過去のモデルや興味深いワンオフを収集・保管している施設として設けられた。第二次世界大戦中はナチスに占領され、戦後も会社のトップは長らく過去の遺産に無関心だったが、それでも保管車両が膨大な数に上るところが、さすがシトロエンである。コンセルヴァトワールが開設されたのは2001 年のことだ。
シトロエンの遺産には型破りなものも多い。コンセルヴァトワールの展示物には、1971 年製のヘリコプター、シトロエンRE2もある。ちょうどシトロエンがロータリーエンジンの開発に取り組んでいた時期のもので、文字どおり"空飛ぶシトロエン"だ。
こうした既成概念にとらわれない姿勢こそ、シトロエンが偉大なメーカーとなった所以である。その初期の例が、後輪がキャタピラになったケグレス式ハーフトラックだ。1920年代初頭にシトロエンのアフリカ遠征で使用された車両で、コンセルヴァトワールには2台ある。1台は1922~23年に自動車として初めてサハラ砂漠縦断に成功したP2ケグレスのレプリカだ。
コンセルヴァトワールの設立時にコレクションの管理を任され、2013 年までその職にあったドゥニ・ユイルは、シトロエンのモータースポーツ部門から移ってきた人物で、自らもSMをドライブするエンスージアストだ。メーカーの博物館は世界中どこでもそうだろうが、ドゥニも少人数のチームと共に、限られた人員と資金で悪戦苦闘を続けたという。
開所当時、コレクションにはいい状態のID19(初期の廉価版DS )すらなかったという。プレジデンシャルDSもなく、ド・ゴールのDSを15 万ユーロでオファーされたが、それ以前に収集しなければならないモデルも多々存在するため、後回しにされた(その後、収蔵された)。
別の一画には、第二次世界大戦中の2CVプロトタイプが展示されている。ドイツの侵攻に備えて、ラ・フェルテ・ヴィダムにあるシトロエンのテストコースに隠され、1994 年に見つかったものだ。驚くべき発見の可能性がまだ残されている証拠である。
「ここにもありませんよ。私たちが隠しているんだろうと言われますが、それは違います。個人的には、あのプロトタイプは通常の11CVに再びコンバートされたのではないかと思います。いつかシトロエンがレプリカを造るかもしれませんね」とはドゥニの弁だ(彼は2018 年からレトロモビルの責任者に就いた)。
コレクションの内容が幅広いのは、創業者アンドレ・シトロエンの尽力によるものだ。自社の初期モデルの保管に自ら着手し、ミシュラン時代も継続した。フランス中のディーラーや整備工場から車を集めた結果、コレクションがあまりに膨大になり、保管場所がなくなったため、後年には車を人に譲渡していたという。その典型的な例が、ロケットのようなシルエットを強調するため1962 年のパリ・サロンで垂直に展示されたDSである。その後、スイスのディーラーが譲り受け、ドイツのシトロエンクラブの所有となった。
実物の車ほど刺激的ではないものの、歴史家にとってより貴重なのが、コンセルヴァトワールで保管しているファクトリーの記録である。第二次世界大戦中にジャヴェル工場が爆撃を受けて一部は失われたが、1920年代にまで溯る資料が揃う。また、古いカタログ類が大量にあり、スキャンしてデジタル化する作業が行われている。
コレクションは実にバラエティー豊かだ。アフガニスタンの職人が描いた絵で埋め尽くされているのは、1976年にパリとカブールを往復したGX 1220だ。もっと本格的なラリーカーもある。1996年グラナダ-ダカールで勝利したZXラリーレイド・エヴォリューション5である。
会社としてはむしろ忘れたいのではないかと思うような問題作もある。その最たるものが2CVシュペール(通称”ポップ”)のプロトタイプだ。通常の2CVにトラクシオン風フロントグリルとサイドステップを付け、リアにはトランクと、その外側にスペアタイヤが取り付けられている。1974年に2CV の高級バージョンを造ろうと試みた結果だ。
現在、コンセルヴァトワールは予約制で公開されているので、通常の博物館と違い、ふらりと立ち寄ることができる場所ではない。とはいえ、これほど貴重な車の数々を見る機会があるだけで感謝しなければ。それもすべてスタッフの地道な努力のおかげだ。コレクションのさらなる発展を祈ろうではないか。