大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”に生まれ育ったこだまさん。大好評「おしまいの地」シリーズの不定期連載。
春になると「このままではいけない」「何かしなければ」と誰に言われたわけでもないのにそわそわする。落ち着かない。何もできず家に引きこもっていた二、三十代の頃、大学の同期の活躍をメディアや噂で耳にするたび「それに引き換え私は」と比べて気持ちが沈んだ。祝福できる余裕もなかった。その名残りが未だにある。春の訪れとともに、変われなかった自分に向き合わされる。
今年の春は少し違った。ちょっと変わった企画を設けていただいたのだ。担当編集者Fさんからタイトル案が送られてきた。「太田出パン 春のこだまつり」。ふざけている。
文章の仕事をいただくようになっても、何もできないな、いまいちだな、力が足りないな、と卑下する癖は一向に直らず、むしろ悶々とするばかりだったが、そんな気持ちを振り切って前に進む道を照らしてくれたのだった。とにかく外に出よう。イベントに誘ってもらえたら迷わず出てみよう。そう思えた。覆面を着けていても人前に出るのは怖い。緊張で何日も前から下痢になる。だけど、このタイトルを見たら不思議と力が抜けた。私がちゃんと何かを成し遂げられたことなどない。いくら悩んでも失敗するのだから、これくらいゆるゆるでいいはずだ。
私は人よりもミスや勘違いが多い。
この春、イベントでとある作家さんから差し入れをいただいた。イベントの途中で退席されたようで、直接お礼を伝えられないまま立派なお土産を手にした。最近はどのような作品を書かれたのだろう。ふと気になって検索欄に名前を打ち込んだ。すると候補の一覧に、私のかつての教え子と同じ名前が含まれていた。件の作家と一字違いなのだ。それほど珍しい名前ではない。同姓同名の人はいるだろう。
懐かしいなあ。いまあの子はどこで何をしているのだろう。
せいちゃんもまた、春の息吹とともに動き出した。私の従兄弟。かつて歌手としてメジャーデビューし、現在は事務所を抜けて関東圏で個人的にライブ活動を続けている。
昨年は二度「斉藤」という偽名でチケットを予約し、ライブを観に行った。二十年以上会っていなかったため、彼は私を新規ファン「斉藤」だと思い込んで熱烈に歓迎してくれた。せいちゃんにはデビュー時から応援してくれる数人の熱狂的な女性ファンがいた。この時期に新規、しかも単独でわざわざ来る客はかなりレアだったらしく、せいちゃんのライブにおいて「斉藤」は準主役級の扱いを受けた。身バレを恐れるあまり、もう小さなライブハウスには行くまいと心に決めた。二度目は比較的大きな会場を満員にしていた。今でもどういう客層だったのか謎である。でも、そのおかげで「斉藤」に興味を持った熱狂的女性ファンに捕まることなく純粋にステージを堪能できた。
そんなせいちゃんから、最近メールが何通も届いた。彼はこれまでもチケットを予約する際に使ったアドレスをたびたび使って「俺に関するお得な情報」を送ってきた。
今回もまたLINE登録の催促だろうか。身構えつつメールを開くと、ファンの集いを開催するという報せだった。今後ファンクラブも作る計画だという。ますます危険だ。「斉藤」はこの辺で身を引くべきだ。個人情報を差し出した時点で私は終わる。半年で二度ライブを観に行き、会場でアルバムも買い、写真も一緒に撮った。これからも機会があればライブに行く、応援すると約束した。なのにLINE登録を渋り続ける。ファンクラブの話を振ると返信がぴたりと止まる。せいちゃんは不審な行動を取る「斉藤」をどう思っているだろう。
実は従姉妹でしたー! と告白できたら楽になれる。堂々とライブに行き、ファンの集いにも足を運ぶ。そんな道があったはずなのに、私は「斉藤」になってしまった。今後どうやって彼を応援していこう。
大盛堂書店での「春のこだまつり」単独イベントに向かう直前、私は私にしかできない方法を思いついた。イベントでせいちゃんの曲を流そう。サイン会のBGMにしよう。誰も気付かない程度までボリュームを絞ればいいじゃないか。我ながら素晴らしいアイデアに思えた。
イベントの前に編集者Fさんとお茶をしながら「こういうものを持ってきたのですが」と彼のアルバムを見せた。歌詞カードを開いたFさんは瞬時に誤植を発見した。さすがだ。原稿チェックの鋭さをこんな形で目の当たりにするとは思わなかった。
せいちゃんの歌詞はとても不思議だ。デビュー当時から変わらない。何か言っているようで、何も言えていない。尖っているのに刺さらない。ただ、癖のあるコブシをきかせることで歌として成立させるタイプの歌手なのだ。だから冷静に歌詞を分析しようとする者は赤面する。「ここ精いっぱい工夫しました」という感じの不自然な単語や言い回しが続く。歌詞だけじゃ駄目なのだ。せいちゃんが歌うことで完成する曲だ。彼にしか歌えないように作られている。実に巧妙である。
どの曲にも背中がもぞもぞするワードがふんだんに散りばめられているが、中でもひとつだけ縦書きの歌詞があり、悪目立ちしていた。難しい漢字を多用している。Fさんと「椎名林檎を意識し過ぎている」「パクリなのに全くパクれていない」と意見が一致した。ヤマザキ春のパンまつりをパクった私たちが、である。
誰にも伝わらない形で応援したい。せいちゃん、いま渋谷のど真ん中であなたの歌が流れてるよ。そう言いたいだけなのかもしれない。私は本当のことを書いている。脚色していない。本当に胸がざわざわするので聴いてほしい。体感してほしい。でも「これが彼の歌です」とは明言したくない。サブリミナル効果のようにお客さんの潜在意識にじわじわと浸透させたい。そんな目論見があった。
大盛堂書店のYさんにCDデッキを用意していただき準備万端。トークを終え、いよいよサイン会の時間を迎えた。私の頭の中では成功の予感しかなかった。その根拠なき自信がすべての始まりだった。私が自信を持つと大抵失敗する。
片隅に置いておいたCDデッキをテーブルに乗せた時点で「さあさあ始まりますよ」感を出してしまったようだ。準備するYさんの動きに、みなの視線が集まった。凝視している。しんと静まり返っている。まずい。こんなに注目されてはいけない。じっくり聴かれてしまう。「曲の紹介をしますか?」と声を掛けてくださったYさんに「し、しません!」と明らかに動揺しながら答えてしまった。せいちゃんの歌詞を超えるくらい不自然な態度だったと思う。
曲が流れた。覆面の下で頬がカーッと熱くなった。お客さんは本当に意味がわからなかっただろう。変な態度、変な歌詞、変な空気。波のように繰り返し訪れる独特なワード。なぜこれを流す必要があるのか。隣に座るFさんも、ぐっと堪えているのがわかった。さすがに違和感があり、途中でボリュームを落としてくれた。自分で考案したのに生きた心地がしなかった。ずっと気まずかった。悪いことをしたら自分に返ってくるというのは本当だ。お客さんの何人かは意図に気付いていたらしい。私の考えることなどお見通しなのだ。さらに恥ずかしくなった。
だが、私は懲りなかった。翌週のイベントでも似たようなことをした。ライブの音源をほんの一部流した。せいちゃんのオリジナルではなく誰もが知るヒット曲のカバーだったが、その歌い方の癖の強さは充分すぎるほど伝わった。感想を言い合った。「自分に酔っている」「独特なコブシだ」。みな思うところは同じで、初対面の人たちの心が、せいちゃんの歌でひとつになった。私は身内を笑い者にしている。同時に、なぜ彼にここまで固執するのか知ってもらいたい気持ちもあった。その空間に居合わせた人と通じ合えるだけで満足だった。
風俗店で働く教え子も、ファンサービスに余念のないせいちゃんも、私の存在など知らない。一方的に私が興味を持ち、追いかけているだけだ。外に出るようになったけれど、気質はすぐに変わらない。この先も相手の知らない場所で情報を追ったり、応援したりする。私はずっと気持ち悪い。
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【開催日時】7月10日(水) OPEN 18:30/START 19:00
【出演】姫乃たま、こだま、爪切男
心に刺さる文章を書き続ける3名が横浜でトークセッションを開催!
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Credit: 文・写真=こだま