AKB48などの人気曲の振り付けも担うダンス講師として活躍する。安室奈美恵さんらと共にアイドルグループ「スーパーモンキーズ」でデビューした時は中学3年生。
読谷村で生まれた。中学卒業と同時に、スーパーモンキーズのメンバー4人と一緒に上京した。仕事の声がかかるまで、歌とダンスのレッスンを続ける毎日。「とにかく頑張らなければ」と練習に打ち込んだ結果、2年後に蓄積疲労で腰を痛めてしまう。仕事が増え始めた直後の挫折。「沖縄に戻り、かなり落ち込んだ」と振り返る。
2度目の挑戦は21歳。「海外で活躍するダンサー」を目指して再上京した。ダンススクール講師に早朝と深夜のアルバイトをかけ持ちして渡米費用を稼ぎ、合間に自主練習に励んだ。
ロサンゼルス行きのチケットも購入し、出発を控えた2001年9月11日、米同時多発テロが起きた。母に説得され、渡米を断念するしかなかった。
02年に夫の宮原信善さんと出会って結婚し、2人の子を授かった。「当時の女性ダンサーの慣例」として、出産を機に引退を決意した。
ところが5年後、ママ友からの依頼で再びダンスの道に戻る。今度は指導者として、キッズダンスサークルを始めた。当初は雨が降ると誰も来ない日もあったが口コミで評判となり、杉並公会堂で発表会を開くまでになった。子どもたちの成長を見るのも楽しいが、「ダンスに関わっている時間が幸せ」と改めて実感した。
ブランクを埋めるため、自主練習を再開した。家族の理解を得て、米国で短期のレッスンを受けたりもした。
そんな時、スーパーモンキーズで一緒だった牧野アンナさんから声がかかり、アイドルの振り付け考案にも携わる。9年前から沖縄でも指導し、活動の幅も広がった。
教えるのは10~20代の多感な世代。「前向きで吸収するスピードも速い。教えていてやりがいがある」と語る。
好きで始めたダンスを続けるには、競争を勝ち抜いて売れなければならない。厳しい世界で挫折を経験したからこそ、壁に直面して悩む教え子たちには思いを込めてアドバイスする。
「諦めなければ、開く道がきっとある。まずは一歩進もう」(東京報道部・照屋剛志)
あらかき・ひさこ 1977年、読谷村に生まれる。戦後80年となる来年に向け、世界平和ミュージカルの公演を企画している。夫の宮原信善さんが東京・神田で経営する「読谷食堂」の広報も担う。