訪問先として糸満市の平和の礎や、県平和祈念資料館、対馬丸記念館を選んだことに注目したい。
戦後80年という節目の年に実現した家族そろっての沖縄訪問は、上皇ご夫妻から託されたバトンを継いでいくための、天皇家の「継承の旅」という性格を持っている。
愛子さまの沖縄訪問は初めてである。祖母に当たる上皇后さまは1995年、皇后の時に、植樹祭にちなんでこんな歌を詠んだ。
〈初夏(はつなつ)の/光の中に/苗木植うる/この子供らに/戦(いくさ)あらすな〉
「戦あらすな」という心の叫びは、沖縄戦でわが子を失った母親の痛切な思いと重なる。
国体護持の名の下に戦われた沖縄戦は、戦闘に巻き込まれた住民に甚大な被害を与えた。
昭和天皇が戦後一度も沖縄を訪れていないのは、27年間にわたって米国に統治され、その上、絶えず戦争責任問題がついて回ったからだ。
上皇さまの沖縄訪問は、皇太子時代を含めると2018年までに計11回を数える。
沖縄に寄り添い、国民としての一体性を保つために努力することが「象徴としての務め」だと理解していたのである。
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米兵による少女暴行事件の発生で沖縄中に怒りが充満し、基地の過重負担が問題になった1996年。誕生日を前にした会見で天皇としてこうも語っている。
「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」
立場上、ぎりぎりの発言だったといわれている。
2019年5月、59歳で即位した陛下が強く意識したのも「象徴としての責務を果たす」ことだった。
被災地を訪ね、被災者の生の声を聞くときの、膝をついて同じ目の高さで話すスタイルは、上皇ご夫妻から受け継いだものだ。
初の戦後生まれの天皇として、何をどこまで継承し、どの部分で新しさを打ち出すのか。
「象徴としての務め」を巡る模索が続きそうだ。
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今回の訪問先は、沖縄戦の実相を深く学び、平和への思いを新たにする場となっている。
県平和資料館には、戦後のコーナーも設けられており、米国統治下の住民生活に触れることができる。沖縄は27年間も日本から分離されていたのである。
沖縄でも記憶の継承の場の主役は若者だ。
ひめゆり平和祈念資料館は、展示を大幅にリニューアルし、戦後世代が全面的に資料館運営を担うようになった。
愛子さまには、継承の現場で活動する若者たちの声にもぜひ耳を傾けてほしい。