国民的人気を集めた長嶋さんは沖縄県内にもファンが多い。復帰前の1968年にあった広島とのオープン戦で来沖した際には、熱狂的な歓迎を受けた。
74年に引退後も講演や野球教室で沖縄に足を運び、野球の醍醐味(だいごみ)を伝えた。
 長嶋さんは87年、青年会議所の招待で平良市(現宮古島市)を訪れた。プロ野球キャンプの誘致を願う島の若者の熱意に応えて講演。実行委員長を務めた平良勝之さん(76)は「快く引き受けてくれ、素振りを見せてほしいというリクエストにも気さくに応じてくれた。硬式野球場と雨天練習場を整備すれば、キャンプが実現するというアドバイスももらった」と懐かしむ。
 高校生の時にはラジオで活躍を追っていたスーパースター。「教わった野球の魅力を継いでいきたい」と前を向いた。
 2011年から巨人の春季キャンプ地となっている那覇市の知念覚市長は「いつか那覇キャンプにお見えになることを期待していたが、かなわなくなり哀惜の念に堪えない」とコメント。玉城デニー知事は「高校野球やプロ野球など野球熱の高い沖縄の野球振興に多大なる貢献をいただいた」と感謝した。
 沖縄市の少年野球チーム「山内スピリッツ」に所属する小学4年の上原吏登(りと)さん(9)はプロ野球のゲームソフトで長嶋さんを知ったという。夢はプロ選手。「長嶋さんのように遠くに打球を飛ばせる選手になりたい」と誓った。

 チームを指導する與那覇範明さん(61)は幼い頃、テレビに映る長嶋さんのプレーに見入った。「オーラがあり、特に守備がすごかった。チームを超えて愛された、まさにミスタープロ野球だった」と惜しんだ。(社会部・嘉数よしの、滝口信之)
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