物価高対策、所得補償や生活支援拡充に関する公約は他の候補と大きな差がない。しかし、同性婚や選択的夫婦別姓の実現、性暴力事件に携わる警察や検察、裁判官の理解増進、日米地位協定の抜本改定、特に軍事性暴力の再発防止といった人権の課題を明確にした点は大きい。そして、こうした人権の課題を「生きる」課題として前景化し、訴えを広げている。高良氏は「生きるを政治の真ん中に」を掲げていた。
沖縄は、コロナ禍後の経済回復により、表面的には豊かさを享受している。だが他方で、世界的な傾向の多分にもれず、新自由主義的な市場モデルが教育、健康から公共部門に至るさまざまな人間活動の領域に広がり、露骨な商品化と市場を優先する価値観も深まっている。
また、沖縄本島北部の観光開発に見られるように、地域貢献や経済的な自立が、投資家的発想に基づくビジネスモデルで語られることも増えている。
しかし、経済合理性によって人間性をも測られてしまう現代社会は、「勝ち組」「負け組」という言葉に象徴されるように、人の「生きる」を分断し、絶望に導く要素に満ちている。沖縄もそうした社会変容を免れているわけではない。それは男性にとっても女性にとっても過酷であるが、特に若い世代にとっては厳しいものがある。
高良氏が今回、選挙公約を「生きる」という生に関する根源的な言葉をもって訴えたことが、多くの有権者に響いたのではないか。
高良氏には、国政の場での取り組みについて、支持者だけでなく広く市民と課題を共有する機会をできるだけ多く作ってほしい。他の政党、たとえば今回参政党に投票した若い有権者にしても、過酷な経済社会の波に直面している市民である。コミュニケーションを大切にしながら、国政へのパイプを果たしてくれることを願っている。
(沖縄近現代史論)
=随時掲載