【那覇】戦前まで現在の那覇空港敷地内にあった大嶺集落で、約140年前に始まった「地バーリー」。海ではなく陸でこぐもので、今でも字大嶺地バーリー保存会が旧暦5月4日(ユッカヌヒー)に合わせて那覇市内で行っている。
海に面した集落は戦前、漁業が盛んで海でのハーリーも盛んだった。赤嶺大貴会長(34)は「今後は海でのハーリーを復活させたい」と意気込みを語る。(社会部・末吉未空)
 大嶺のハーリーの始まりは1868年ごろ。当時、那覇ハーリーの「久米舟」のこぎ手が足りなかったため、大嶺の海人たちが久米の人々と一緒にこいでいた。
 だが、86年に病気が流行し、大嶺の人々は那覇ハーリーを見に行くことが困難となった。加えて、大嶺の浜は遠浅のため沖合で競うハーリーの様子が陸からはよく見えなかったことから、浜でこぎ始めたのが地バーリーの始まりだという。
 地バーリーのかけ声は船にエンジンがない時代、大きな船に小さなサバニを連結させて沖合から港に引っ張ってくる際に、水深や波の高さに合わせて必要な海人たちの合図だった。「サーサーサー」は小さくこぎゆっくり進めて、「ヒヤ、ヒヤ、ヒヤ」は大きくこいで速度を速めることを意味する。
 沖縄戦を前に、日本軍による小禄飛行場建設が始まると、大嶺の人々は土地を接収された。沖縄戦でハーリーは中断。1975年、普段は立ち入ることができない那覇空港敷地に入り、大嶺地域の海でハーリーを復活させた動画が残っているが、以降は海でのハーリーが途絶えている。
 地域の人によると、復活を試みるも、滑走路の埋め立てなどで砂が採取されて浜がなくなり、海流も変化しているという。

 海でのハーリー復活へ、保存会の赤嶺会長は「先輩たちがつないできた行事を後世に受け継ぎたい」と語った。
 
(写図説明)字大嶺地バーリーを披露する保存会のメンバー=5月30日、那覇市・字大嶺自治会館
(写図説明)1975年、接収された大嶺地域の海でハーリーを復活させた。舟を海へ移動させる人々。後ろにフェンスが見える(提供)
病気・遠浅・土地接収で海へ行けず陸で爬龍船をこぐ 那覇市大嶺...の画像はこちら >>
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