内訳は中城村で収集された18点、那覇市4点、石垣市3点、今帰仁村と与那国町各1点、ほか市町村が不明のもの。
遺骨の返還に関しては「先住民族の権利に関する国連宣言」でもその権利が明記されている。
東大は今年8月に先住民族などの遺骨返還に向けたタスクフォースを設置。10月にはアイヌ民族の遺骨返還に際して、先住民族の尊厳を深く傷つけたとして正式な謝罪文をサイトに掲示した。
そのタスクフォースで沖縄の遺骨についても調査。報告書は収集者や時期、場所や経緯などを文献や日記などで明らかにしている。
最も数が多かった中城では、人類学者の鳥居龍蔵が伊波普(ふ)猷(ゆう)の案内で実施した1904年の沖縄学術調査の際に、中城城周辺から収集されたという。
14世紀後半~近世・近代の古墳群のものと推測するが、今年11月に中城村教育委員会の現地調査でも墓の特定には至らなかった。
石垣と与那国はいずれも明治期に地元で「大和墓」と呼ばれる墓域から持ち出されたとした。
琉球人遺骨の保管に関してはこれまで京都大学や台湾大学での保管が判明。一部が県や自治体などに移管された。
東大でも保管数や部分的にではあるものの収集経緯が明らかにされたことは一歩前進と言える。
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今回、東大が保管を認めた大部分は頭骨だ。
明治期、日本の人類学者は国内外の民族を序列化し、支配や同化を強いる根拠を探るため研究した側面もあった。そうした中で当時、頭骨だけを収集する方法は珍しくなかった。
旧帝大や警察、県庁などの権力も後ろ盾にして収集されており、報告書はそうした研究の問題の一端にも触れている。
一方、謝罪や、調査を今後、遺骨の返還にどうつなげていくのかについては明示されなかった。
約100年前に持ち出された遺骨を、誰に、どこに、返還すべきか。返還に向けた課題は多い。
研究目的で持ち去られた遺骨を元の土地に返還することは世界的な潮流だ。持ち出した側には返還への道筋を示す責任がある。
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東大は今回、報告書の「はじめに」で、調査に協力したとして関係する市町村の教育委員会や県、市民団体の代表へお礼の言葉を明記した。
京大も先月、沖縄から持ち出した少なくとも106体の遺骨を保管していることを公表し、返還協議に応じる方針も示している。
しかし長年、保管してきたことを考えれば、ただ返還すればいいという問題ではない。なぜ収集されたのか。

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