トーマス・ドルビーのシンセポップ
シンセポップ全盛の1983年、打ち込みとシンセを多用したトーマス・ドルビーの「彼女はサイエンス(原題:She Blinded Me With Science)」が大ヒット、収録アルバム『光と物体(原題:The Golden Age Of Wireless)』(‘82)ともども素晴らしい仕上がりであった。しかし、1年も経つと新しいデジタル機器を使ったサウンドが登場し、古いものはあっと言う間に忘れ去られていく。才能にあふれていたにもかかわらず、ドルビーが輝いていたのも少しの期間だけである。
当時、僕も最初こそ面白がってシンセポップを聴いていたのだが、派手なサウンドと複雑な打ち込みのリズムに、だんだんついていけなくなっていた。ダンスしやすい打ち込みやシンセの奇抜な音などで勝負するグループやシンガーに、次第に飽き飽きするようになっていたのだ。ポップスの醍醐味はメロディーにあるのではないのか…ひとりで勝手に憤慨し、人力演奏を続けていたジャズ、ブルース、カントリーへと興味は移り、知らず知らずのうちにデジタル機器ばかりのロックを聴かなくなっていた。
突然やってきたネオアコのブーム
まだまだ世間はテクノとディスコの時代であったけれど「良いメロディーを味わいながら人力演奏で聴きたい」という僕のような人は少なくなかったようで、83年頃からスタイル・カウンシル、アズテック・カメラ、ベン・ワット、ペイル・ファウンテンズ、ザ・スミスなど、アコースティック楽器を中心にして、60年代や70年代のフォークロックやソウルを模範にしたグループやシンガーが増えてきていた。生音を中心にしたサウンドが徐々に認知されるようになり、僕もまたロックのアルバムを聴くようになった。
ただ、ネオアコのアーティストたち、雰囲気は良いんだけれど、良いメロディーを書けるソングライターが少なかった。レノン&マッカートニー、ポール・サイモン、デビッド・ゲイツ、キャロル・キング、ジャクソン・ブラウン、スティーリー・ダンらのような、60年代~70年代のすぐれたメロディーメイカーたちに太刀打ちできるのは、イギリスではアズテック・カメラのロディ・フレーム、ザ・スミスのジョニー・マー&モリッシー、そしてポール・ウェラーぐらいではなかったか。
プレファブ・スプラウトというグループ
そんな時、エルヴィス・コステロがプレファブ・スプラウトのリーダーであるパディ・マクアルーンのソングライティングが気に入り、オープニングアクトとして抜擢したという記事が音楽雑誌に出ていて、良いメロディーを探し求めていた僕は大いに興味を惹かれた。レコード店に行ってみると(ていうか、いつも行ってるのだが…)、デビューアルバムの『スウーン』(‘84)はなく、新譜の『スティーブ・マックイーン』(’85)があった。ジャケット(当時はLPで購入)を見ると、バイクの周りに4人のメンバーがいるだけのプロフィール写真で、デジタル時代にしては古臭い感じであった。
プレファブ・スプラウトはイギリスの炭鉱都市として知られるニューキャッスル近郊のダラム出身。
本作『スティーブ・マックイーン』について
さて、話は前後するが、レコードを買って家に到着。プロデュースはトーマス・ドルビーとなっている…。こ、これはシンセポップか!と一瞬慌てたが、買ってしまったのだから聴くしかない…。
実はオルタナカントリー風はこれ1曲のみ。収録曲は11曲で、2曲目以降の10曲は都会的な音作りではあるが派手さはなく、自然体で軽くやってみました感がある。
また、ドルビーのプロデュースは絶妙で、このグループの持ち味の“甘酸っぱさのあるシンプルさ”を見事に演出している。シンセは多用しているものの、隠し味的に使われているので、品の良いハンドメイド的なサウンドになっている。ノーザンソウルやジャズ的なコードが控えめに使われているところや、巧いヴォーカルだけど、テクニックは出しすぎず抑えているあたりに、パディのセンスの良さがにじみ出ている。
本作を知っている人なら分かると思うが、何回聴いても飽きない作品だ。というか、聴けば聴くほどスルメのような旨味が味わえる。彼らのアルバムはこれ以降も素晴らしく、完成度の高さでは、5作目の『ヨルダン:ザ・カムバック』(‘90)が一番だと思うが、青っぽい部分を残しつつ完成されつつある『スティーブ・マックイーン』こそが、彼らの最高傑作だと僕は思う。
彼らの音楽を聴いたことがないなら、ぜひこの機会に聴いてください。極上のメロディーが味わえるはず!
著者:河崎直人